38.市長

 殺人事件という内容が内容だけに、早いほうがいい。

 ということで翌日、さっそくネレスたちはバラエナ領にある、ウィマーレという街へ向かうことになった。


 キアーラにしっかりと厚着をさせられたあと、玄関で待っていたアルヴァロと合流する。


 その街は屋敷から三キロほど離れたところにあるらしい。徒歩で行くには微妙な距離だ。

 そのため、今回もカエバルで移動することになった。


 懐かしく感じる馬車のソファに座る。隣に腰を下ろしたアルヴァロは、カエバルが進み始めてしばらくすると口を開いた。


「いま思い至ったんだが……オンディーラが食べていたから大丈夫かと思って、食事に遠慮なく魚料理を出していたが嫌いではなかったか?」

「えっ? う、うん。美味しかったけど……?」


 どうしてそんなことを聞くのだろうと、戸惑いながら頷く。彼は安心したように息を吐いた。


「良かった。実は、魚料理を食べるのはバラエナ領だけなんだ」

「マッ、そうなの!? なんで……?」

「他所では、海や川から獲れるものはオプスマレスの手下であると恐れられている」

「またそれか……」


 ネレスはうんざりしたような声をあげた。


 闇と大海の神があまりにも嫌われすぎて食傷気味になってきた。

 一応ネレスにとっては恩人……恩神のようなものなので、こうも否定されているとネレス自身まで否定されているような気分になる。


(いやでも、恩あるんか? 勝手に転生させられて、性別変えられて、迫害されるような立場で放り出されている訳やけども)


 神託だってポロンポロンと音楽が流れてくるだけだ。良い音色だったものの、何を伝えたいのかはさっぱり分からない。

 唯一アルヴァロに拾われたことだけは感謝したいが、それ以外はというと。


(やっぱ恩神じゃないかもしれん……)


 眉間にシワを寄せると彼は苦笑した。


「これから行く街は海に近いせいか、オプスマレスを信仰している者がそれなりに居るんだ。だから魚を神の恵みとして食べているし、オプスマレスの象徴としてネリネの花を飾っているところもある」

「へえ、クソデカ――ごほん、あの触手が象徴じゃないんだ」

「怪物とされているものはさすがにな。昔からオプスマレスといえばネリネの花、と言われていたらしいが、その由来は分からない」


 思い出したようにアルヴァロが呟く。


「そういえば、貴方のネレスという名前も、ネリネから連想してつけている」

「そうだったの!?」


 どうしてネレスという名前をつけたのか、不思議に思っていた。まさかオプスマレスの象徴からつけたとは。

 アルヴァロはちらと窺うようにこちらを見た。


「今さらだが、もしオンディーラという名前のほうが良ければ戻そうか? それとも……カイセイと呼んだほうが?」

「……う」

「ん?」

「うわあああああぁ……」

「ど、どうした!?」


 ネレスは両手で顔を覆った。


(は、はずい……なんやこれは……!?)


 彼に本名を呼ばれた瞬間なぜかひどく恥ずかしくなった。頬が勝手に熱くなり、背中を丸めて呻く。

 謎の動悸で息を切らしながら「ネ、ネレスで、いい」とか細い声で答えた。


「オンディーラを名乗るのは、危なそうだし……か、海世はちょっと、なんかアレだから、ネレスがいい、です」

「そうか、貴方がいいなら今後もネレスと呼ぼう」

「ウン……」

「……大丈夫か?」

「ダイジョブ……」



+++



 必死で深呼吸しているうちに目的地へ着いたらしい。頬はもう赤くないか、心配しながら溜息を吐く。

 アルヴァロが先に降りて、こちらへ手を差し伸べた。


 馬車の外に出たとたん喧騒に包まれる。

 ネレスは目の前にそびえ立つ建物を見上げた。


「ここが街の中心の市庁舎だ。行政機関、と言って伝わるか?」

「ああ、手続きとかするとこみたいな……?」

「そういう認識でいい。ここに情報が集まるようになっているから、先に市庁舎で話を聞いて、それから街を見て回ろう」


 分かったと頷く。ネレスたちは茶色いレンガ造りの市庁舎へ足を踏み入れた。

 中は広めのロビーになっており、事務員らしき者や街の住民たちが十数名ほど居る。


 顔を上げた受付嬢が「バラエナ辺境伯……!?」と呟き、それに気づいた他の人間もざわめき出した。


(め、めっちゃ見られとる!)


 居心地が悪くなったネレスは、慌ててアルヴァロの後ろへ隠れた。彼は気にしない様子でロビーを突っ切り受付嬢へ話しかける。


「マルケーゼ市長はいるか?」

「は、はい! すぐに呼びますので、あちらの別室でお待ちください」


 頬を紅潮させた受付嬢の案内で、ふたりは奥にある部屋へと通された。

 西部へ行ったときは嫌というほど見た、金や緑の装飾は見当たらない。アルヴァロの屋敷のように青色を使った調度品が多く、本当にオプスマレスを信仰する者が多いのだと妙なところで実感した。


 ソファに座って数分後、ノックの音とともに誰かが入ってきた。

 白髪混じりの恰幅のいい男性だ。人好きのする笑みを浮かべており、商人のような服装も相まって気さくな印象を受ける。


 アルヴァロが立ち上がり「マルケーゼ市長」と呼んだため、ネレスも慌ててソファから降りた。


「お待たせして申し訳ありません、バラエナ卿。この度はご足労いただきありがとうございます」

「構わない。この目で確認したかったこともあるし、彼女にウィマーレを見せるついでだ」


 マルケーゼがネレスに視線を移し、わずかに目を見開く。そして嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「ええ、ええ、お話は伺っております。貴方が……オプスマレスの神子、ネレス様なのですね。お会いできて光栄です」

「いえ……こちらこそ」


 フィオリーナに教わった姿勢と笑顔の作り方を思い出しながら、ネレスはとっさに微笑んだ。

 幸いそれ以上話しかけられることはなく、ソファに座るよう勧められる。


 挨拶はほどほどに、彼らは今回の事件について話し始めた。


「被害者はガルニカ商会長、漁師組合長、パン組合長、市参事会議員の四名です」

「嘆願書にも書いてあったが……それにしても、嫌な面子だな。要職ばかりだ」

「犯人が何らかの目的を持って殺したことは間違いないでしょうね。しかし現場に手がかりとなるようなものが残っておらず、わたくしどもでは解決できそうにないため、嘆願書をお送りいたしました」


 申し訳なさそうな表情でマルケーゼが項垂れる。アルヴァロはすこし考えるような素振りをして口を開いた。


警吏けいり獄吏ごくりは?」

「獄吏からは、四人とも同じ大型のナイフで殺害されていると報告がありました。警吏からは何も。一応不審な人物が居ないか、街を巡回させています」


 重要な人物ばかり狙われており、犯人はひとりの可能性が高い。ということしか現時点では分からないようだ。

 そんな状態からどうやって犯人を見つけるのだろう。


 結構な人数が動いているようだが、それで分からないのであればアルヴァロにも分からないのでは、とネレスは考えてしまう。

 マルケーゼは声を潜めた。


「ここだけの話ですが、犯人は教会の人間ではないかという噂が囁かれております。わたくしも同意見です。この街は、少々特殊ですから」


 確かに、オプスマレスを信仰している街が気に入らない者は居そうだ。

 同意するかと思っていたアルヴァロは、意外にも歯切れ悪く答えた。


「……それはどうだろうか。祝祭日は教会にとって一番大切な日だ。聖なる日が近いときに、手を汚すとは考えにくい」

(ああ、なるほど)


 屋敷で家令と話していたとき『……この時期に?』と怪訝そうな顔をしていたのはそれが理由だったらしい。

 不思議だったことが解決して、ネレスはちょっとスッキリした。


「だからこそ、ではないですか?」


 しかし、マルケーゼは納得していないようだった。

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