29.教義
声の届く位置までアルヴァロはゆっくりと降下していった。それに合わせて、騎士団の中からひとりの騎士が前へ出てくる。
緑のコートを翻した金髪の男はどこか見覚えがある。ネレスは眉をひそめながら考えて、騎士団長と呼ばれていた男であることを思い出した。
誰もが表情を険しくしてネレスを見ている。触手と神殿までネレスがやったと思われているのだろうか……思われていそうだ。誤解なんですと声を上げたかったが、そんなことを言える空気ではない。
先に口火を切ったのはアルヴァロのほうだった。
「数日ぶりだな、エドアルド卿。そんなに険しい顔をしてどうした? 気のせいでなければ、先ほど貴殿らから攻撃されたような気がしたのだが……」
「部下が先走って攻撃してしまった非礼はお詫びいたします」
剣を構えたまま、エドアルドは硬い口調で告げる。
「しかし、それほどまでに危険な存在を貴方は腕に抱えているのです。どうかその娘を、こちらに引き渡してはいただけませんか」
「なぜ?」
アルヴァロは穏やかに問いかけたが、その穏やかさが逆に怖い。
「その娘は……オプスマレスの神子です」
「エッ!?」
(なんでバレてんの!? 闇魔法使っただけじゃ……魔法の規模がデカすぎたからか!?)
そりゃあ騎士団の方々も険しい顔になりますわ、と他人事のように考えながらネレスはアルヴァロの服を掴む力を強くした。
「でなければ、このような……一面を海にするような恐ろしい魔法は使えない」
ネレスの予想通り、魔法の規模が大きすぎたらしい。「目を覚ましてください、貴方とは血の繋がりのない悪魔なんですよ!」と他の騎士も声を上げた。
アルヴァロが合点がいったように頷く。
「なるほど。つまりあなたたちは、ネレスが私を邪な術で操り、実の娘であるように錯覚させていると言いたいのか」
「……! ええ、その通りです!」
「覚ますも何も……わざわざ養子とまで説明する必要性を感じなかったから娘と紹介しただけだ。最初からオプスマレスの神子であろうことは分かっている」
「な……なぜそんな真似を!?」
エドアルドが悲鳴のような声を上げた。
「貴方も短期間とはいえ、宮廷魔術師団に所属していたでしょう!? だったら分からないはずがない! オプスマレスの神子はこの国を滅ぼす存在だから、必ず殺さなければならないと教義にあったはずです!」
「エ……そ、そうなの?」
ネレスがアルヴァロを見上げながら尋ねると「書いてあったような、なかったような」と気の抜けるような答えが返ってくる。
「そんなあやふやな……」
「私が読んだのは原典だけだ。何百年も経つうちにどんどん書き加えられていて、現在発行されているものは40条くらい増えている」
「お、多いね……」
教典に加筆してもいいのだろうか。そんな疑問が浮かんだが、苦笑いをするだけに留めた。
今この瞬間、ネレスを殺すか殺さないかという話になっているのに比較的落ち着いていられるのはアルヴァロのおかげだ。彼が余裕な態度を取り続けているから安心していられる。
余計な口は出さないようにしようと思ったネレスは彼らの会話に耳を傾けた。
「それにしても、さすがはエドアルド卿。若くして騎士団長にまで上り詰めただけのことはある。忠実に教えを守り、的確に部下へ指示を出し、異端を見逃さない正義感も持ち合わせている」
「じ、自分のことを御存じだったのですか?」
「もちろん耳に届いていた。だからこそ惜しいと思っている。その教えのせいで、オプスマレスの神子が魔獣を討伐した事実も見えないほど目を曇らせているのだから」
アルヴァロは憐れむように目を細めた。
「教えそのものを……貴方は疑っているのですか」
「そうだな。人間の都合で書き加えられた教義に、どれだけの信用性があると思う? それに……私は先代のオプスマレスの神子に命を救われたことがある」
その言葉に騎士たちがざわめく。ネレスも驚いて顔を上げた。
先代の神子とは、まさかオンディーラのことだろうか。完全に分けて考えてしまっていたが、前世でもオプスマレスの神子だったのか。
「先代の神子……? そんな話は聞いたことがありません」
「ひと握りの人間にしか知らされていなかったから当然だろうな」
エドアルドはしばらく黙ったあと「……証明できない話をされても困ります」と歯切れ悪く答えた。
小さく笑ったアルヴァロは、一瞬どこかへ視線を向けた。それからまた穏やかに話し始める。
「証明ならできるとも。私の娘は血を流すことを良しとしない優しい子なんだ。だからあまり貴殿らと戦いたくはない。……そうだな、もうひとつ教えようか。教会が売っている2種類の薬は、22年前に処刑された先代のオプスマレスの神子が作ったものだ」
「なんですって!?」
騎士たちが動揺する。真偽を問う言葉が飛び交うなか、ネレスの心臓もばくばくと跳ねていた。
(もしかしてとは思ってたけど……ほんまにワイの薬やったんか……)
落ち着こうと深呼吸をするネレスに、アルヴァロが「黙っていてすまない」と謝る。心の準備はなんとなく出来ていたため、思ったよりショックは受けなかった。
「だ、だいじょぶ。さすがに、言えんやろ……」
小声でそう返しながら思い出す。そういえば、この街へ来た初日にアルヴァロは癒術師や薬にまつわる話をしていた。きっと遠回しに教えてくれていたのだろう。
「バラエナ卿……それは、あまりにも神を冒涜しています! やはり貴方は洗脳されている、娘を狙うしか――!」
エドアルドが剣を握り直し、掲げようとする。
そのとき、少年の高らかな声がその場に響き渡った。
「証明ならできるぞ! 薬の解析に僕たちも関わったからな!」
「なっ、何者だ!」
どよめきと共に全員の視線が声の出所に注がれる。
街のほうから堂々と歩いてきたのは――10代前半くらいの少年と、占星術師のベニート、紫髪の女性の3人だった。
突然の第三者の介入にネレスは目を白黒させる。紫髪の女性をどこかで見たような気がして、思い至ったネレスは声を上げた。
「あ……花屋のお姉さん……!?」
3人とも紫色のローブとステッキを持ち、かっちりとした正装に身を包んでいる。ネレスの声が届いたのか、花屋で会った女性はこちらを見上げて微笑んだ。
ベニートが呆れたように肩をすくめる。
「僕たちとおっしゃりましたが、貴方は当時生まれていないでしょう」
「占星部、という括りで言えば僕たちだろう? ベニートはいつも細かいことを言う!」
「拗ねないでくださいな、チーロ殿下。ほら、彼らに言うべきことがあったのではないですか?」
女性に諭すように言われ、栗色の髪をした可愛らしい風貌の少年は「そうだった」と頷いた。
「そこまでだ、剣を収めよ! これはネミラス王国第6王子、チーロとしての命令だ!」
(嘘やろ王子!?)
チーロの鋭い声に騎士たちが一斉に膝をつく。それから彼はあんぐりと口を開けているネレスとアルヴァロを見上げ、手招いた。
「そこでぷかぷかしてるバラエナ卿、降りてこい!」
アルヴァロは言われた通り、チーロたちのいる場所へゆっくりと降り立った。ネレスに小声で「大丈夫、知り合いだ」と告げながら頭を下げる。
「まさか殿下までいらっしゃるとは思いませんでした。ご助力感謝いたします」
「ベニートに引っ張られて来た! 気にしなくていいぞ、僕も乗り気だったし」
胸を張って腰に手を当てたチーロからベニートへ視線を移し、アルヴァロは「随分と早かったな」と笑いを含みながら言った。
「親友の危機に駆けつけない、薄情な男だと思われるのは嫌ですから」
ベニートが穏やかに微笑む。数日前にあったばかりの人間と再会するのは不思議な気分だ。
それにしても、誰とどう接すれば良いのか分からない。アルヴァロに抱えられたまま視線を泳がせていたネレスへ、勢いよくチーロが近づいてくる。
「そちらがオプスマレスの神子だな? お初にお目にかかる、僕はチーロ・タスコッド・ネミラスだ!」
「アッ、え、は、初めまし……」
「神子も気になるがあそこの神殿も気になる。アレが生まれるところを見逃したのは痛いな、歴史的瞬間だったのに! まずは神殿を見に行こう、それがいい。ああ文献で見た通りの形だ、内部の構造までは残っていなかったから早く確かめないと……魔力の含有量、材質も見たいな。神子どの、ちょっと神殿を削ってもいいか!」
「けっけず……? エッ……アッ、その……」
ほとんど返事を聞かず、立て板に水を流すように喋り続ける王子にネレスはたじたじになるしかなかった。
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