30.天秤

 7割くらいはネレスがどもっているせいだが、口を挟む隙が全くない。

 そもそも、王子がこんな場所に居て大丈夫なのだろうか。王宮からはかなり離れているはずだ。


(この子も占星部っぽいけど、まだ小学生か中学生くらいよな。年齢制限とかないんか? もしかしてギフテッド的なアレかな……分からん……)


 ネレスが固まったまま関係のないことを考えていると、チーロは桃色の瞳を瞬かせてこてんと首を傾げた。


「神子どのが許可してくれないと、オプスマレスの怒りを買うかもしれないだろ? 削っていいのか、駄目なのか? 許可してくれると嬉しい、研究にとても役立つからな!」

「え、ええと……」

(ワイが許可するん!? 神殿削っていいかなんて分からんて!)


 言葉に詰まっていると花屋の女性が「チーロ殿下」と微笑みながら口を挟んだ。


「まずは騎士団へ説明と対処を、と決めておいたでしょう」

「どうでも良すぎて記憶の彼方に飛ばしてた! ほんとに面倒くさいな、王子という立場は」


 チーロは苛立ったように溜息を吐いて、膝をつき続けている騎士たちのほうへ向き直る。


「神子の身柄は、我々占星部が預かる。マグリカ地方の魔獣は落ち着いたし中部に戻っていいぞ! お勤めご苦労だった、では解散!」

「ま、待ってください!」

「なんだ、エドアルド卿」

「僭越ながら申し上げます。その神子は危険な存在です。殿下のお傍に置けば何を仕出かすか分かりません。それと教会が配っている薬が先代の神子の……というのは……本当、なのでしょうか」


 重々しい問いにベニートが答えた。


「それについては、私が実際に見ておりましたから説明できますよ」


 目を見開いたエドアルドが「テルヌステラ卿……?」と呟く。それに微笑みで返したベニートは、手にしていたステッキを両手で持ちながらゆっくりと語る。


「22年前……処刑された先代の家から、複数の薬と、その製法などが書かれた手記が発見されましてね。それらの分析は一部の魔術師団に託されました。占星部は直接携わっていませんが、その場面にたまたま私が立ち会ったので知っている……という訳です」


 話を聞きながらネレスは額に手を当てた。


(終わった……ワイの日記がパパ上だけでなく、大勢に見られていた……だと……)


 実は先代の神子って前世の私なんです、なんて口が裂けても言えなくなってしまった。もう駄目だ。

 異世界の偉い人たちに恥ずかしい日記を見られてしまった羞恥心で、ネレスは今すぐ穴があったら入りたい気持ちに襲われていた。


「彼女の遺品から読み取った調合で、薬は作られたのですよ」

「そ、そんな……」


 ネレスとは別のショックを受けている様子のエドアルドは、呆然としながら視線を地面に落とす。


「殺すべきだとされている神子が作った物を、教会は利用している。その事実をどう思うかは貴方次第です」

「しかし、まさかそんなことが……占星部は……もしかしてオプスマレスを信仰しているのですか?」

「別にそういう訳じゃない!」


 腰に手を当てたチーロに騎士たちは目を丸くした。

 同時にネレスも「えっ」と声を上げる。ベニートといい随分ネレスに対して友好的だったため、てっきりオプスマレスの信者なのかと思っていたのだ。


「占星部はずーっと陰陽均衡説を唱え続けてきた。それくらいはエドアルド卿も知っているだろ? あれは端的に言うと、闇の魔力を適度に使わせろという主張だ」

「それは、闇魔法を使う占星部が得をしたいからだと誰もが知って……」

「よく僕の前で言えたな?」

「……っ! も、申し訳ありません!」


 呆れたように首を振って、小さな王子が落ち着いた様子で淡々と説明をする。


「大気中の魔力を安定させるために、抑圧され続けている闇の魔力を使ってやらなくちゃいけない。そのためには闇魔法を自由に使えるようにする必要があって、そのためには闇魔法適性者への迫害を止める必要がある。迫害を止めるには?」


 視線を向けられたベニートは答えた。


「ミフェリルとオプスマレスをどちらも尊び、信者たちが適度な距離を保ちつつ、お互いに協力できる環境を作らなくてはならない……ですね」


 チーロは満足げに頷きながら、手持ち無沙汰な様子で手のひらの上に黒い正方形を作り出した。

 あれは何の魔法だろう。闇属性の混ざった岩、だろうか。ぽんぽんと空に放り投げてはキャッチしている。


「そういうことだ! まあ、別にお前たちが今ここで、あの神殿を壊してしまってもいいぞ。魔獣にこの街を破壊させたいならな」


 アルヴァロが同意するように「そうですね。私はネレスが幸せであればいいので、南の大陸に行くという選択肢もありますし」と微笑みながら言う。


(まあ、パパ上はこの国の存続とか興味なさそうよな……)


 安定した男にすこし安心する。言っていることは『この国マジどうでもいい』なので、喜んでいいのか微妙なところだが。

 ベニートが「正直、我々もさっさと南へ逃げようかと話し合ってはいたのですが……」と苦笑し、花屋の女性が言葉を継いだ。


「でも、オプスマレスの神子が現れましたから。神が神子を寄越したということは、まだこの国を見捨ててはいないということ。だったら、私たちがやるべきことはひとつですわ。星の導きに従って天秤を平行にする。難しいことですが、それが私たちの使命であるというのが占星部の総意です」

「天秤を、平行に……」


 エドアルドはぽつりと呟いた。

 これまでの話を聞いてネレスなりにまとめた結果、嫌な予感がした。恐る恐る首を傾げて尋ねる。


「それは、その……わ、私と教会が協力しろ……ってこと?」


 難しい顔になってしまうのは許してほしい。今の時点では教会に全く良い印象がないのだ。向こうにとってもネレスは目障りだろうし、協力なんてできる気がしない。

 そんなネレスに、ベニートが微笑みながら眉根を下げた。


「この国を存続させたいと思うのであれば、そうですね。教会の恩恵を受けている者の多くは日々の恵みに感謝し、ただ生活している一般市民です。孤児などの受け入れ先ですし、医療機関でもありますから……教会をやっつけてはい終わり、と解決することはできないんですよ」

「……む、難しい、ですね……」

「ええ、本当に。ですが、今すぐどうするか決めなくても構いませんよ」


 チーロも頷いて「神子が協力したくないと思うなら、この国はそこまでだったということだな!」と言いながら正方形を放り投げる。

 それはそれで、ネレスの責任が重大すぎて困るのだが。街単位で助けるはずだった話が、いつの間にか国単位になっている。


「話が大きすぎて実感が湧かないかもしれませんが……闇の適性を持って生まれたというだけで、生きることすら難しくなる人たちを助けられる。そう考えていただければ良いかと思います」

「は、はい……」


 なんとか頷いてみせると、チーロが「よし、話は終わったな!」と満面の笑顔になって正方形を消した。


「そういう訳だ! ヴァセラル第二騎士団の者たちよ。納得しようがすまいがどうでもいいが、さっさと戻って西部の魔獣は鎮圧されたと父上に伝えてきてくれ! 僕は早く神殿を見に行きたい!」

(だ、だいぶノンデリやな、チーロ殿下……)


 年齢的に仕方がないのかもしれないが、それにしても容赦のない子供である。

 ずっと考え込むようにしていたエドアルドは「……拝命いたしました」と告げた。周囲の騎士が「団長!?」と声を上げるが、首を振ってそれを止める。


「私だけでは判断ができません。ですから戻って、他の者にも話を聞いてみようと思います」

「そうか。僕は考えようとする奴を馬鹿とは言わないぞ。お前たちに星の加護がありますように!」


 敬礼をした騎士団は、背を向けて去っていった。

 息の詰まるような空気がようやく消えてネレスはほっと息を吐く。しかし落ち着く暇はなかった。


「さあ行くぞ神子どの! それにしてもすごい魔力を感じるな、この海って消せるのか?」


 チーロが海のほうへと駆け出していく。元気が有り余っているその姿に、ネレスはアルヴァロと顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。

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