42.襲撃
「変な生き物だったね……なんか、まだ手にぷるぷるした感触が残ってる」
「洗うか?」
「そこまででは……アッ」
断ろうとしたが、すでにアルヴァロが魔法で水の塊を作ってしまった。せっかくなので使わせてもらう。
ネレスはコートとドレスの袖をまくって、水の塊に手を突っ込んだ。握ったり開いたりを繰り返す。
「ありがと――」
礼を言おうと顔を上げた瞬間、アルヴァロが目を見開いた。
「ネレス!!」
強く腕を引かれる。
バランスを崩してよろめく。アルヴァロが目の前を横切り、地面から透明な石の壁がせり上がる。
それら一連の動きがあまりにも速すぎて、逆にスローモーションのように映った。
何が起きたのか、理解する前にバキンッと大きな音がする。
「……っ!」
ジュウッと焼けるような音と、アルヴァロの小さな呻き声がした。はっと息を呑んで視線を上げる。
彼は燃え盛る炎の矢を素手で掴んでいた。あと数センチで彼の体を貫きそうなところで止められている。
「アルヴァロ!」
「大丈夫だ。……矢を魔法陣で強化していたのか、小賢しいな」
舌打ちしながら水魔法で矢を消火する。
言われてみれば透明な石の壁に、矢が貫通したと思われる小さな穴が空いていた。
(誰が……いや、どこから!?)
のどかだった広場が混乱に包まれ、落ち着いてください! と誰かの叫び声が聞こえる。
ネレスは脳内で魔法を使うシミュレーションをしながらアルヴァロの傍に寄った。全く役に立たないかもしれないが、離れて行動するよりはマシだろう。
「ご無事ですか、バラエナ辺境伯!」
赤い服の警吏が駆け寄ってくる。それに軽く頷き返したあと、アルヴァロは視線を素早く巡らせた。
「――ああ、居た」
「エッ」
「私の前で魔法を使うとは……」
彼は小さく呟いて、焼けただれた手をすっと上げる。
広場から少し離れたところにある建物の、上階の窓がドンッという爆発音とともに割れた。
窓から引きずり出されるように、大きな水球が姿を現す。中には人間のようなものが閉じ込められていた。
宙に浮きながら近づくにつれ、中にいるのが茶髪の若い青年であることが分かった。水の中で苦しそうにもがいている。
警吏が数人、慌てて腰に下げていた縄を手に取った。
「矢を放った犯人だ。おそらくまだ部屋に証拠が残っている。彼を捕らえて、あの建物も徹底的に調べろ」
「は、はい!」
拘束されたことを確認してから、アルヴァロは水球の魔法を解く。地面に叩きつけられた青年が激しく咳き込む。
「ゲホッ、ゲホッ……っくそ、こんな、一瞬でバレるなんて、聞いてな……!」
「動くな、逆賊め!」
「ほう、誰に私のことを聞いた?」
「……っ」
取り押さえられた青年は、恨みがましくアルヴァロを見上げる。しかし何も答えずに顔を逸らした。
「こいつは地下牢へ連行して構いませんか」
「ああ、頼む。私は一度屋敷に帰ってからそちらへ向かおう」
「分かりました」
警吏が頷き、犯人を立たせて歩いていく。窓の割れた建物へも数人が向かっていった。
アルヴァロが屈んで、ネレスを心配そうに覗き込む。
「大丈夫だったか。怖い思いをさせてしまってすまない」
「ワ、私は全然大丈夫だけど……手! アルヴァロの手のほうが大丈夫!?」
彼は不思議そうに首を傾げ、自分の手を見て「あ」と小さく口を開けた。火傷の痕をネレスから隠すように握りしめる。
次の瞬間、彼の手は淡い光に包まれた。
「不本意ながら、私は光と木の魔法が一番得意なんだ。だからこのくらいはすぐに治せる」
そう言ってもう一度見せられた手のひらは、嘘のように綺麗になっていた。
「すごい……そっか、光魔法は治癒が使えるのか」
「ああ。体に刺さらなくてよかった。さすがに内臓が潰れると治せないからな」
アルヴァロは徹底して光と木属性を使わないため、完全に失念していた。ほっとして息を吐く。
「……良かった」
「今日は帰って休もう。すまなかったな」
「なんで謝るん、襲われたのはこっちなのに」
「あれは私を狙っていたからだ。憶測に過ぎないが、もしかすると連続殺人犯かもしれない」
「そうなの?」
もしあの青年が一連の事件の犯人だったとしたら、これで解決するのではないだろうか。そうすればメイドたちと買い物に行けるし、住民たちも安心できるだろう。
心臓に悪かったが、今日この場所に来てよかったのかもしれない。
アルヴァロはおそらく、ニュムパの動きを見て犯人の居場所を正確に捉えていた。彼が居なければ取り逃していたかもしれないのだ。
(魔族ってびっくりするくらいチートやな……)
神子も大概だが、それを棚に上げながらネレスは感心した。期待を込めて「犯人だったらいいね」と返す。
「ああ。とりあえず、あれが正直に吐いてくれるといいんだが……」
+++
同時刻、シムフィは屠畜場に居た。
椅子に座りながら頬杖をつき、姉妹だけが分かる程度に不満そうな顔をしている。
「……許せない」
「許せないって、なにがぁ?」
大きな肉の塊に刃を滑らせながら、オレンジ髪の青年、ララジャは面倒くさそうに尋ねた。
現在、屠畜場にはこのふたりしかいない。
シムフィは肉の切れ端を狙ってよくここへ訪れるため、彼女らにとってはいつもの光景だ。
「連続殺人犯のせいで、お嬢様とのお出かけが先延ばしになった」
「あ~みんな噂してたね、そういや。アルヴァロのお膝元を狙うとか、馬鹿なことするよねえ」
「ララジャもそう」
「もう終わったことだから、言わないでそういうの。オレは心を入れ替えたの」
包丁がダンッと強く音を立てる。シムフィは動じず、ただ肉を見つめていた。
「どうせすぐ捕まるよ~。つか、お嬢様と買い物ってそんなに楽しみなもん? あの子怪しいじゃん、どう見ても」
「変だけど怪しくない。優しいし、かわいい」
「変とは思ってんだ」
シムフィはしばらく黙って、以前あった出来事を思い返す。
「この前、お嬢様の部屋に入ろうとしたらひとりで歌ってて。チピチピチャパチャパ……って、それが、頭から離れない」
「聞いたことないな、どこの歌?」
「知らない。よく変な言葉を使うけど、神子様だし、神様たちの言葉なのかも」
「神子ねえ……オレにはよく分かんないな」
気のない返事に目を閉じて、街へ行ったら何をしようかと取りとめのないことを考える。
行きたいところは沢山あるが、結局殺人犯が捕まってくれないことにはどうにもならない。
「早く遊びたい……ララジャならどうする?」
「なにが? お嬢様とのデート先?」
「違う。犯人、誰だと思う」
「誰ぇ?」
うーん、と彼は切り分けた肉を並べながら思案した。「現場を見たわけじゃないし、事件のこと詳しくないから知らね~けど」と前置きをした上で、彼はにんまりと笑った。
「オレなら、とりあえずパン屋で働くかな」
「……美味しいから?」
「ちげえよ、なんで殺人犯がパン食べる気満々なんだよ。そうじゃなくて、一番情報が集まるからね。それに街を歩いてても警戒されないし、信頼される職業だからさ」
人当たり良く接して、まさかあの人がそんなことする訳ない……まで油断させれば勝ち。
そう言ったララジャにシムフィは首を傾げた。
「オレの古巣の教えだから、他所の奴がどうしてるかは知らね~けど。でも四人もあっさりやれるなら、本職なんじゃないかな。……元同僚でないことを祈りたいねえ」
「……お腹すいた。余った肉、ない?」
「ね~~話聞いてた?」
聞いていたものの、よく分からなかった。とりあえず屋敷には強いアルヴァロが居るし、アルヴァロには負けたものの、シムフィよりはずっと強いララジャも居る。
彼がそこまで分かるなら、大変なことにはならないだろう。
安心してお腹がすいたシムフィはもう一度肉を要求した。
エッ!異世界転生して魔女狩りに遭ったかと思ったらまた同じ世界に転生ってマ!? トトラミ @totorami
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