33.帰路

 外に出たネレスは眩しさに目を細めた。セクトが踏み荒らした平原は広い範囲でえぐれ、辺りに湿った土の匂いが漂っている。


 遠くで街の住民が集まってこちらを窺っていた。魔獣が消えたと思ったら謎の神殿が建っていて、さぞ怖いことだろう。

 ネレスが意図的にしたことではないが申し訳ない気持ちになる。


 アルヴァロが水のベルを鳴らし、ふたりで上空からカエバルが迎えに来るのを眺めた。

 待っているあいだに思い出したことがあり、ためらいながら口を開く。


「あー……婚約のこと、なんですけれども」

「解消はしないぞ」

「早! じゃなくて……保留としか言った覚えないけど、それは置いといて、名前の話」


 食い気味に答えたアルヴァロに首を振る。

 断じて彼のことが好きという訳ではない。しかしずっと自分を想い続けてくれた子を嫌いにもなれない。

 だからこの際、爆速で決められた婚約については目をつむろう。


「こ、婚約者にお父様って呼ぶのも変だし。どう呼べばいいのかなと思って」

「そういうことか、良かった。ならアルヴァロと呼んでくれ。便宜上保護者という立場だが、私は貴方と対等な関係でいたい。……それに、貴方に名前で呼ばれてみたいんだ」


 彼の華やかな笑みに、ネレスは物理的に目をつむった。純粋な好意が眩しすぎて溶けそうだ。

 不思議そうに名前を呼ばれたあと、頬にアルヴァロの手が添えられる。その感触に「ヒョア!」と悲鳴を上げながら後ずさった。


「そ、そういうことはちょっと、こんな体とはいえ一応男なので……!」

「気になっていたんだが、どうして男であることを気にしているんだ?」

「え? いやだって……」


 そう言いかけて息を呑む。

 男だと言ってもためらいがなかったのはオンディーラの死でこじらせたせいかと思っていたが、違うのかもしれない。

 おそるおそる彼に尋ねた。


「もしかして、この国って同性で結婚できたり……?」

「できるが……そうか。貴方の世界ではできなかったのか」


 当然のように頷いた彼に呆然としながら、納得もする。それは『実は中身男なんです』と言っても大して動じないわけだ。


「他の国ならできるとこもあったけど、基本的には……なかったかな」


 世界的に同性婚を受け入れようという空気になっていたものの、まだまだ道のりは長そうだった。

 ネレスはインターネットの波に揉まれたおかげか、そういうことにさして抵抗はない。だが同性を恋愛的に好きになれるかは別の話である。


「あまり多くはないが、この国では一定数いるぞ。貴方の知っている人物でも、ドロテア嬢がマリー嬢と恋人関係にあるな。結婚は事情があってしていないが」

「エッッ!?」


 マリーが神殿に着くまで待っていいだろうか。駄目か。さすがに百合カップルが見たいという邪念で会うのは失礼か。

 一瞬で高揚した気持ちをなんとか落ち着かせる。


「そうなんだ……ア、アルヴァロが動じてないわけやね」


 名前を呼ぶと彼は一瞬嬉しそうに目を輝かせた。


「貴方が嫌なら触れるのはやめておこう。……たまに膝の上に乗せるのはいいか?」


 断りたかったが、それはアルヴァロの屋敷や、西部へ向かう馬車の中で散々やって慣れてしまっている。

 今さら断るのもと考えたネレスは渋い表情で頷いた。



+++



 許可した直後、帰りの馬車でさっそくネレスはアルヴァロの膝の上に乗せられた。四人掛けのソファにジーナとロレッタが増えたため仕方ないが。

 なんだか女性陣に生暖かい目で見られているような気がして体を縮こまらせる。


 相変わらずほとんど揺れない車内で、隣のシムフィが無表情のまま嬉しそうに口を開いた。


「お嬢様の魔法、見た」

「アッ、ほんと? カエバルから見えたんだ」

「すごかった。魚は獲れる?」

「ど、どうだろう……無理かも……」


 魔法から生命はさすがに生み出せないような気がする。触手は別として。

 オプスマレスはどうしてあんな方法で神殿を作ったのだろうか。改めて不思議に思いながらネレスは首を傾げた。正面にいるロレッタと視線が合う。


「そうだ、ロレッタ嬢。体は大丈夫か?」

「え、ええ。お嬢様の薬のおかげで、かなり楽です」

「これから3日はカエバルで移動だ。体調が悪くなったらすぐに言ってくれ、途中の街で休養することもできるからな」

「お心遣いに感謝いたします」


 胸に手を当てて彼女が軽く頭を下げる。アルヴァロは「話はそれだけだ。私のことは気にせず、好きに話してくれ」と言って窓の外を眺めた。


 静寂が訪れる。

 遠慮しているのか姉妹は黙ったままだし、シムフィは元から喋らない。


(気まず……)


 空気に耐えられなくなったネレスは苦しまぎれに口を開いた。


「ジ……ジーナたちって、バラエナ領に着いたらどうするの?」

「家の用意ができるまでは、バラエナ卿のお屋敷に滞在させていただくことになってるわ。姉さん、そうだったわよね」

「ええ。家が決まればそちらに移動して……仕事は、また服屋で働ければいいのだけど」

「服屋?」


 彼女たちはなんの仕事をしているのだろうと思っていたが、服屋だったのか。

 ジーナが自慢げに頷く。


「私はドレスのデザインと縫製をしてるの。これでも結構人気だったのよ」

「レース編みは私に任せっきりだったでしょう」

「姉さんのほうが上手いんだから良いでしょ? こっそり持ち帰ってやってもらってたんだけど、店主ったら姉さんのことを馬鹿にするくせに、姉さんが編んだレースに気づかず褒めてたのよ」


 笑っていいのか微妙な話題すぎる。しかしロレッタが面白そうに笑っていたので、安心しながらネレスも微笑んだ。


 姉妹はネレスのせいで暮らしている街を追われるような形になってしまった。彼女たちにとって良かったのかもしれないが、申し訳ない気持ちは拭えない。

 眉根を下げながらネレスはスカートを握った。


「その……落ち着いたころ、ジーナとロレッタのところに遊びに行ってもいい?」

「ええ、もちろん!」


 アルヴァロが治めている街だ。西部より悪い環境ではないはずだけれど様子は見に行っておきたい。

 揃って穏やかに微笑む彼女たちが、これから堂々と幸せに暮らしていけることを願った。



 ――3日後。

 幸いロレッタが体調を崩すことはなく、ネレスたちは無事にバラエナ領へ帰還することになる。

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