34.帰宅

 バラエナ領に到着し、屋敷に向かってカエバルが飛んでいる最中のことだった。


 静寂に包まれた馬車内に、突然御者台から声が響く。うたた寝をしていたネレスは跳ねるように目を覚ました。


「アルヴァロ様、屋敷の門前で揉めているようです」

「誰だ?」

「ここからではよく……騎士を連れた貴族でしょうか。コンラリアとララジャが対応しています」

「寄ってくれ」

「かしこまりました」


 あくびを噛み殺しながら会話を聞く。やっと屋敷に着いたのだろうか。

 しょぼしょぼする目を擦っていると、笑い混じりに「おはよう」とアルヴァロが声を掛けてくる。


「おはよう……着いた?」

「ああ。しかし客が来ているらしい。もう風呂に入って寝ることしか考えていなかったというのに……」


 うんざりした様子の男に、ネレスは(分かるでその気持ち……)と頷いた。

 隣でシムフィがそわそわとしている。そういえば、コンラリアは彼女のきょうだいだったか。


 馬車がカタンと小さく揺れた。地上に降り立ったらしい。

 ロレッタとジーナは待っているようにと告げて、アルヴァロが扉を開ける。彼に続いてネレスとシムフィも馬車を降りた。


 鼻の奥がつんとするような寒さに目が覚める。

 冷えた空気を吸い込むと同時に「バラエナ卿!」と甲高い男の声がした。

 門の前に視線を向けて――その奇妙な光景に、ネレスたちは一瞬言葉を失った。


 アルヴァロを呼んだのは恰幅のいい貴族の男だ。その後ろに鎧の騎士がふたり。

 向かい合うようにして、メイドのコンラリアが澄まし顔でテーブルにつき、優雅にステーキを食べている。

 そして彼女の後ろでは、屠殺人のララジャがつまらなさそうに、肉切り包丁のみねで自分の肩を叩いていた。


(どういう状況……?)


 ナプキンで口元を拭いたコンラリアが立ち上がり、こちらに向かって礼をする。


「お帰りなさいませ、アルヴァロ様」

「ああ。コンラリアは……何をしているんだ……?」


 アルヴァロもさすがに困惑したらしい。


「メルカダン伯が、アルヴァロ様は不在だと何度伝えても帰ってくださらなくて。お腹がすいたのでステーキを食べておりました」

「これ見よがしに食べおって……本当にふざけた女だな! 接待や礼儀という言葉を知らんのか!?」

「寒空の下でレディを引き留め続ける方に、なぜ奉仕しなければならないのですか? ステーキが羨ましいなら早くご自分の屋敷に帰ればよろしいのに」

「ステーキが羨ましくて怒っている訳ではないわ!」


 肩をすくめたコンラリアが、きょうだいであるシムフィに視線を向ける。つんと澄ましていた彼女が嬉しそうに表情を緩めた。

 並んでいる姿は初めて見たが、本当によく似ている。


「おかえりなさい、シムフィ。食べかけだけどステーキいる?」


 はっと息を呑んだシムフィが、期待の眼差しでアルヴァロを見上げた。彼は苦笑して「食べていて構わない」と頷く。

 いそいそとステーキのほうへ向かった少女に、貴族の男がまたアルヴァロの名をヒステリックに呼ぶ。


「何度も呼ばずとも聞こえている。状況は分かった。メルカダン卿はなぜここへ? 二度と来るなと言ったはずだが」


 メルカダン卿と呼ばれた男は歪んだ笑みを浮かべた。尊大に胸を張って告げる。


「中央議会で先日の件を報告いたしました。その結果について教えてさしあげに来たのですよ」

(先日の件……? アッ、こないだの、追い返されてた奴か!?)


 ネレスはその言葉でようやく、メルカダン伯爵が教会の人間を連れていた貴族だということを思い出した。

 慌ててアルヴァロの後ろに隠れようとしたが、そんなに恐怖を感じないことに気づく。まあいいか、と隣で立っていることにした。

 なぜ恐怖を感じないのだろう。教会の人間が居ないからだろうか。


「大司教様が、バラエナ卿には神子の資格がないと判断されましてね。次の祝祭日に、ミフェリルの神子を召喚することが決まりました」

「神子を、召喚……?」


 そう呟いたネレスを、メルカダン伯爵が汚らわしいものを見るような目で一瞥する。


「その娘のことも兄上に報告しました。神子の件も含め、とても嘆いておられましたよ」

「ただ嘆いただけだろう。それで? 直接私のところに来る勇気もない連中が、何をすると?」

「それは……」


 答えられないのか彼は視線を泳がせた。


「し、しかし、これでもう勝手な真似はできませんぞ。噂によると召喚の儀で呼び出された神子は、誰よりも強力な魔法を使いこなすと聞きます! 神子が召喚されれば貴方の呪いも浄化され、己の傲慢な振る舞いを悔い改めることができるでしょう!」


 自分のことではないはずだが、なぜか自慢げに告げる。

 アルヴァロはそれに対して小さく笑うことで返した。


「残念ながら、メルカダン卿。私は神子が召喚されてもまだ『勝手な真似』ができるんだ」

「はい……?」

「こちらにはオプスマレスの神子が居るからな」

「エッ」


 ネレスは顔を引きつらせる。肩を抱くようにして紹介され、心の中で悲鳴を上げた。


(ワ……ワイを巻き込まんといて!?)


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたメルカダン伯爵が、ネレスとアルヴァロを何度も交互に見る。


「な……オプ……の……? 娘では……!?」

「海で拾ったから養子にしたんだ。ちなみに婚約しているので未来の伴侶でもある。しっかり父上に伝えておいてくれ」


 幸せそうに言ったあと、アルヴァロは表情を切り替えて「さあ、戻ろうか」とネレスを促す。

 ぱくぱくと口を開けたまま言葉を失っている様子のメルカダン伯爵は放置するらしい。それでいいのだろうか。


「シムフィ、食べ終えたならロレッタ嬢とジーナ嬢を部屋に案内してくれ。コンラリアとララジャはテーブルセットを片付けるように」

「ええ、オレも片付けんの? 護衛頼まれて立ってただけなんだけど……」

「ああ、ありがとう。だから褒美だ。片付けるついでに厨房で菓子でも貰うといい」

「いらないんだけど……」


 唇を尖らせたララジャが溜息を吐く。しかしその後、彼は満更でもなさそうな表情で「テーブルと椅子は持ってあげるよ~」とコンラリアへ声をかけた。




 ――ネレスたちは本当に伯爵を放置したまま屋敷へと戻った。

 およそ10日ほどしか経っていないが、玄関ホールに入っただけでとても懐かしく感じる。感慨深さにしみじみとしていると、階段の上から「ああーっ!」と大きな声がした。


「アルヴァロ様、お嬢様、シムフィ! おかえりなさい!」


 琥珀色の隻眼を輝かせたキアーラだ。嬉しそうに階段を駆け下りてくる。彼女は「転ばないようにな」とアルヴァロが言った瞬間つまずいた。


「キアーラ!」

「うわっ、よっ、ほっ……とう!」


 ネレスは思わず叫んだが、彼女は危なげなく段差を飛ばして着地する。そして照れくさそうに笑った。


「すみません、慌てすぎちゃいました。心配してくださってありがとうございます、ネレスお嬢様! お元気そうでなによりです!」

「い、いや……キアーラも、元気そうでよかった」


 アルヴァロやシムフィがあまり反応しなかったのは、心配するほどのことではなかったからだろう。声を上げたことがすこし恥ずかしくなって目をそらす。


「ちょうど良かった。キアーラ、ネレスを風呂へ案内してくれるか」

「かしこまりました! 長旅でお疲れでしょうし、今日こそは入浴のお手伝いをしましょうか」

「エッ!? い、いい! いつも通り、ひとりで入れるから……!」


 満面の笑みで袖をまくったキアーラにぶんぶんと首を振る。オンディーラ時代を経ているため異性の体には慣れてきたが、他人となるとそうはいかない。見るのも見られるのも恥ずかしいのである。

 だから入浴の手伝いはいつも断っていたのだ。ドレスはひとりで着られないため諦めていたが。


「では私が手伝おうか?」

「アルヴァロはもっとあかん!」

「ふふ……さすがに冗談だ」


 嬉しそうに表情をほころばせるアルヴァロを見て、キアーラが首を傾げた。


「なんだか……仲が良くなったみたいですね? 旅のおかげでしょうか」

「かもしれないな。それと、婚約したおかげもあるかもしれない」


 アルヴァロがそう言った途端、キアーラは笑顔のまま「へっ!?」と声を上げた。アルヴァロとネレスを交互に見る。ネレスは気まずさに視線をそらした。


「え……ええーーーーーッ!?」


 キアーラの初めて聞くような大声が、玄関ホールに響き渡った。

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