32.神託
言い訳をさせてほしい。疲れていたのである。
帰りたいという考えで頭が埋め尽くされていたせいで深く考えなかったのだ。
軽率に像へ手を当て、ひんやりとした石の感触を認識した途端ネレスは我に返った。
(あれ、これ……本当に神様の声が聴こえるならヤバくない? すっげえ怖くない? だって神様やで……?)
いきなり脳裏に触手が喋る映像が流れてきたらどうしよう。結構グロくないだろうか。いや、オプスマレスは老人の姿なのだったか。あまりにも不敬すぎることを考えてしまった。
――この時点ですでに考えていることが全部筒抜けだったらどうする!?
考えてはいけないと自分に言い聞かせたとき、逆にもっと考えてしまうのは人間の欠陥だと思う。
失礼のないことを想像しなくてはと焦れば焦るほど、前前世でブックマークしていた触手モノのエロ漫画が脳裏に浮かぶ。
(やめろーーーーッナシナシ今のナシですごめんなさい神様!! おれは清廉潔白でなにも考えていない純粋な人間です!!)
片手で頭を抱えながら「ウッ……」と苦悶の表情を浮かべる。アルヴァロが膝をつき、心配そうにネレスの様子を窺った。
邪念を振り払うように強く目をつむる。視界が真っ暗になった、そのとき。
遠くで泡の音がした。
海の中にいるときのような音。それと同時にハープのような楽器で、穏やかなメロディーが奏でられている。
神殿内に楽器は見当たらなかったはずだ。となると、ネレスの脳内に直接響いていることになる。
(これが……神託……?)
ただひたすら泡と楽器の音、それから時折、性別の分からない複数の笑い声が聴こえた。
触手も、老人も、神様っぽい荘厳な声もない。たゆたうような海の中にいる感覚。
けれど、それが何故だか心地よかった。しばらく音楽が奏で続けれられたあと、ふいに全ての音が遠ざかっていく。
――終わりなんだ。
直感でそう分かったネレスは、名残惜しく思いながらゆっくりと目を開けた。
「大丈夫か? 具合の悪いところは?」
「だ……いじょうぶ……」
不思議な感覚に頭がふわふわとしている。何度か瞬きをして、ようやくネレスはアルヴァロのほうを向いた。
「なんか……すごかった」
「すごかった? 神託が聞こえたのか?」
「神託っていうか……音楽? ずっと楽器の音と、海の中みたいな音が聞こえてた」
「音楽か……それは予想外だったな」
彼の言葉に、同意して頷く。てっきりもっと『おお神子よ、ワシの声が聞こえるか~』なんて言われるかと思っていた。
「言葉とかは全然聞こえなかったんだけど……これって大丈夫、なの?」
「貴方がそう聞こえたのであれば、それが正解だと思う」
「どういう……?」
膝をついた状態のまま、彼は目を伏せた。
「ミフェリルの神子が神託を得ていると先ほど言ったが、私が知っているのは
「うん……?」
「つまり、神に作られた神子でない以上、君より彼らのほうが正しいことは絶対にないんだ。彼らが本当に神の声を聞いているかも分からないしな。……ベニートなら知っているかもしれないが」
「え? ……アッ!?」
アルヴァロの視線を追うと、後ろにベニートが立っていた。驚いて目を見開くネレスに、彼が「最初からいましたよ」と苦笑する。全く気づかなかった。
「残念ながら、私も詳しいことは知りません。ですが貴方は正真正銘神に作られた神子ですから……アルヴァロの言う通り、貴方が体験したことが正解、ということでいいでしょう」
「なんで音楽なんだろうって、思ってたけど……そういうものだと、飲み込むしかない……ですか?」
「そうですね。……もしかすると近いうちに、もうひとり参考になる人物が現れるかもしれませんが」
「もうひとり?」
思わせぶりなことを言うだけ言って、ベニートは誤魔化すように微笑んだ。
気になることは最後まで言ってほしい。消化不良でもやもやする気持ちを抱えながら、ネレスはちょっぴり眉根を下げた。
「それにしても、あのふたりは何やってるんですか?」
話題を変えるようにベニートが振り向いて隅のほうに視線を向ける。ネレスたちから離れた場所で、チーロとドロテアがしゃがんで何かを話し合っていた。
3人で近づくと先にドロテアがこちらに気づいた。彼女がチーロに話しかけ、少年も勢いよく振り返る。
「おお、話は終わったか? 僕たちは建材を調べていたところだ! あ、安心してくれ神子どの、削ってはいないよ。というか削ると差し障りがあることに気づいたので今後も削らないでおこうと、いま話し合っていたところだ」
「エッ? えと……さ、差し障り、とは……?」
ネレスの問いかけに、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりの笑顔でチーロが頷く。
「この神殿は特殊な材質で作られてるんだ! こんなの一度も見たことがない。おそらく鉱石の類だとは思うが、よく見ると内部で魔力が常に流動している。闇の魔力を使用しているってところまでは分かったんだけど、詳しい構造までは分からなくってな」
「魔力が流れている以上、むやみに手を出せないのよ。ちょっと叩いただけで爆発するような魔石も存在するから」
「そ、そんな危険な……?」
口に手を当てながらおののいているネレスの背中を軽く叩きながら、アルヴァロが「さすがに爆発はしないから大丈夫だ」と言った。
チーロとドロテアが真剣な表情で、神殿の床を見ながらまた意見を交わし出す。
考え込んでいるような素振りを見せたベニートがしばらくして口を開いた。
「魔力が関係しているようなら……マリー嬢を呼んだほうが早そうですね」
「そうね。でも……いいのかしら?」
「マリー部長まで来ちゃったら、他人とまともに会話出来るやつが占星部から居なくなるぞ! 大丈夫なのか?」
「なんとか頑張ってもらうしかないでしょう。優先すべきなのは神殿の役割を突き止めることですから」
ベニートが「いいですよね?」とアルヴァロに尋ねる。
「アルヴァロはこの神殿で何か気になることはありますか? ないなら、ネレス嬢とともに屋敷へ帰っていただいて大丈夫ですよ。あとは我々にお任せ下さい」
「そうだな……問題ない」
「えっ、か、帰るの……?」
街の人に説明したりしなくていいのだろうか。マリーという人を呼ぶらしいが、それを待ったほうが……と考えたところで、シムフィたちのことを思い出した。
そうだ、彼女たちを待たせている。
「引っ掻き回しておいて帰るのは心苦しいが、私たちがここに留まってもできることはないだろう。貴方たち占星部が迅速に駆けつけてくれて良かった、本当に感謝している」
「いま神子どのが民衆の前に出ても、石を投げられるのが目に見えているからな! それより王子である僕が『突然現れた遺跡を調査しに来ている』とだけ言ったほうが丸く収まる。神子どのはさっさと帰って暖かいベッドでよく眠るといい!」
「は……はい……」
満面の笑みを浮かべたチーロに気圧され、アルヴァロの後ろに半分くらい隠れながらネレスは頷いた。
身長はあまり変わらないはずなのに、どうしてこんなに気が引けるのだろう。やはり溢れ出る陽キャパワーのせいだろうか。
占星部の3人とは神殿内で別れることになった。
アルヴァロと彼らが会話しているあいだ考え込んでいたネレスは、帰る直前になって顔をあげた。
彼らには色々と助けられたのだ、さすがにきちんと礼を言いたい。
「あ、あっ、あの……」
消え入りそうな声で切り出すと、その場にいる全員が不思議そうな表情でネレスを見た。緊張して熱くなる頬をあまり見ないでほしい。そう願いながら視線を泳がせる。
「え、と……チーロ殿下、ベニート卿、ドロテア嬢……み、皆様、ありがとうございました……!」
勢いに任せて頭を下げた。
助言をくれたドロテアは密やかに微笑み、駆けつけてくれたベニートが嬉しそうに目を細め、騎士たちを落ち着かせてくれたチーロは満足げに頷く。
「また一緒にお茶をしましょうね」
「次に会う日まで、お元気でお過ごしください」
「今度はもっとゆっくり話そう!」
占星部の3人が「貴方に星の加護があらんことを」と声を揃える。紫色のローブをまとった者たちが一斉に礼をする姿はとても心強く、ネレスの目に焼きついた。
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