9.出発

 おそらく、というか確実にネレスの一言でアルヴァロは意見を変えてしまった。大丈夫なのだろうか。


「え、や……ほんのりそう思っただけで、負担になるなら行かないほうがいいと、思うけど……!」

「負担ではない。ただ、私だけが向かっても無意味ではある」


 その言葉に「無意味……?」と首を傾げる。


「魔獣が大量発生している原因は、光と闇の均衡が崩れていることによるものだ。ただでさえ光に偏りすぎているところへ私が光魔法を打ち込んでも、一時的にいなくなるだけで次はもっと魔獣が増える」


 アルヴァロの言葉にベニートも頷く。


「私たち占星術師はそれらを陰陽均衡説と呼び、提唱しています。光と闇の神は同等に信仰されなければならない。……王宮や教会の高貴な方々は全く聞き入れませんがね」

(あ、以前ミフェリルばっか信仰してて大丈夫なんかって思ってたやつやん!)

「お父様が言ってた、あの……闇と大海のアレ……」

「そう、闇と大海の神オプスマレスだ。彼の力がないかぎり、魔獣の発生を止めることはできないだろう」


 一呼吸置いて、アルヴァロは微笑みながらネレスを見下ろした。


「だから、ネレスにも着いてきてほしいんだ。君が手伝ってくれれば、おそらく長期的に魔獣を鎮めることができる」

(エッ、なんでワイ!?)


 声を上げる前にベニートが「アルヴァロ!」と鋭く咎めた。驚いて彼を見る。ベニートは信じられないとでも言うように、眉間に皺を寄せてアルヴァロを凝視していた。少し様子がおかしい。

 しかし睨まれている当人は何でもないように肩を竦めた。


「方針を変えることも時には必要だと思わないか? 大事な愛娘が人の命を大切にしたいと言うのであれば、私がまずその姿勢を見せなければ父親として失格だろう」

「……その選択が、……より良いと?」

「そうしてみせよう」


 ベニートはしばらく黙ったあと「失礼、少々星を見させてください」と腰を上げた。

 ソファから離れ、部屋の何もない場所まで歩いていく。そして持っていたステッキでカン、と床を叩いた。


 その瞬間、ベニートの足元にぶわりと青い魔法陣のようなものが展開される。「わ……!?」と目を見開いたネレスにアルヴァロがそっと説明してくれた。


「あれは星図だ。占星術師たちはみな、特殊な術式の刻まれたステッキを持っている。それに闇の魔力を込めればいつでも現在の星の動きを見ることができるんだ」

「エエ……!」

(すげえ、ワイもあれやりてえ~!)

「私は星を観測するのが好きなだけで、読むのは専門外なんですがね……」


 呟きながら険しい顔つきでベニートが素早く視線を動かしている。時々ステッキを使って星図を回転させ、溜息を吐きながらゆっくりと額に手を当てた。


「また星がめちゃくちゃになった……!」

「はは」

「君ねえ、笑わないでください! 全く……良いでしょう。確かに問題はないようです」


 もう一度ステッキで床を叩くと、精緻な星図は青い粒子となって消えた。

 戻ってきたベニートがソファに腰を下ろす。そして困ったように眉尻を下げながら微笑んで、薄紫色の瞳にネレスを映した。


「ネレス嬢。どうか、お気を付けて行ってください。君に星の加護があらんことを」

「エッ? は、はい……?」

「決まりだな。マグリカ地方は魔道具を生産していることで有名な地域だ。ついでに観光もしていこう」

「エッ……あ、あ!?」

(もうワイも同行決定ってこと? いや早すぎる待って、心の準備ができてないんやが……!?)


 穏やかに笑う2人に挟まれ、ネレスは「へ……」と笑顔で硬直するしかなかった。




+++



「いい? お嬢様に触れるときは優しくすること!」

「ん」

「ドレスを引きちぎらない、めんどくさくても物を叩いたり投げたり蹴ったりしない、目を離さない、腐ったものは口に入れない、無言で他人を殴らない、それからそれから」

「ん」

「ああもう、注意したらキリがない! お嬢様、シムフィが何かやらかしたらすぐアルヴァロ様に言ってくださいね……!」

「う、うん……」


 あっという間に西部へ向かう準備が進み、後は屋敷を出るだけになってしまった。

 西部へ行くあいだはシムフィが世話係になるらしい。玄関前のホールで、同行できないキアーラがシムフィにこんこんと説明だか説教だか分からない引継ぎをしている。


 若干物騒な内容を聞きながら、ネレスはモコモコのマフラーに口元を埋めて(大丈夫やろか……)と考えた。シムフィに対しては同じ肉を食べた仲間のため、あまり心配していない。


 知らない土地へ行くのだ。ネレスは前世で住んでいた村とこの屋敷しか見たことがない。外の世界はどうなっているのか、どんな人たちがいるのか、――オンディーラを知る人間はいるのか。

 いろんな不安が重なり、緊張でごくりと唾を飲む。


「キアーラ、シムフィは大丈夫だ。彼女も日々頑張って学んでいると聞いている」


 アルヴァロがそう言いながら執事を伴って階段を降りてきた。いつもより装飾の多い軍服をまとっているせいか、3割増くらい威圧感がある。


「アルヴァロ様! 申し訳ありません、つい」

「心配する気持ちも分かるが、今は応援してやりなさい」


 頷いたキアーラはシムフィに向き直り、拳を作りながら「頑張って……!」と声を掛けた。白髪の少女は無表情のままキアーラへ「ん」と手を広げる。


「えっ、今!?」

「ん」

「ええ……も、もう、仕方ないなあ……」


 唇を尖らせながら、それでも嬉しそうにキアーラはシムフィを抱きしめ、背中を軽く叩いた。昔からの知り合いなのだろうか。その姿はとても親しげで、まるで姉妹のようだった。



 玄関の外へ出て、待ち構えていたものにネレスはぽかんと口を開けた。

 馬車がある。

 それだけならいい。さすがに前世で見たことがある。

 問題なのは、馬に羽が生えていることだった。体躯のいい艶々とした黒馬に大きな翼が生えている。思わず指を差しながらアルヴァロに「あれは……?」と尋ねた。


「ああ、カエバルだ。空を飛び、後ろに繋いだキャビンを引っ張ってくれる。私たちはあのキャビンに乗って運んでもらうんだ」

「と、飛ぶ……? 浮くの……!?」

「そうだ。御者が風魔法でキャビンを制御するから心配することはない。何かあった場合、私も魔法でカバーできる」

「はえ……」

(すげえ、どこからどう見てもペガサスや……え、ワイこれから飛ぶってこと!? 飛行機にも乗ったことないのに!?)


 ネレスが内心慌てている間にも防寒具をまとった御者が荷物を受け取り、荷台に積み込んでいく。

 そしてキャビンの扉が開かれた。中は四人掛けで、前後に高そうな素材の背もたれ付きソファがある。

 乗り込む直前、執事とキアーラが並んで頭を下げる。


「行ってらっしゃいませ」

「ああ。屋敷のことは頼んだ」

「い、行って、きます……!」


 ソファの前方にシムフィが、後方にアルヴァロとネレスが座ると扉は閉められた。

 カタンと揺れたような気がした瞬間、エレベーターで上昇するときのような感覚がする。空へ浮上しているのだろうか。内臓がぞわぞわとして落ち着かない。


 馬車の扉には窓が付いていたが、カーテンが引かれているため外の様子は見えない。ドキドキしながら馬車の中を見回しているとアルヴァロに「外を見てみるか?」と聞かれた。


「あ……いいの?」

「勿論、おいで」


 持ち上げられ、アルヴァロの膝に乗せられる。そして彼はカーテンを開いた。


「わ…………!」


 広く、果てしない大地が広がっていた。

 青い草原に森、川、点在する町や集落。ジオラマのようにも見える小さなそれらに息を呑み、ネレスの胸は高鳴る。


(初めて……初めて、ほんとに異世界転生したんだって、実感したかも……)


 しかし上空からの景色に感動すると同時に、落ちそうで怖くなってきた。慌てて腹に回されているアルヴァロの腕をぎゅっと掴む。


「ふふ……安心してくれ、落ちることはない。大丈夫だ」

「ご、ごめん……すごい、広くてびっくりした……。その、マグリカ地方には、どのくらいで着くの?」

「有翼のカエバルだから、およそ3日だな」

「……エッ」


 彼は3日と言っただろうか。……3日?

 きょとんと目を丸くするネレスに、アルヴァロが苦笑する。


「すまない。途中でカエバルを休ませたり、夜には宿で休む必要があるから時間が掛かるんだ。無翼のカエバルで移動すると15日は必要だから、それよりはマシだと思ってくれ」

「15!?」

(エッ長!? というか無翼のカエバルってつまり馬よな!? 馬でそんだけ掛かるってどんだけ遠いねん!)


 数時間で着くつもりだったネレスは内心冷や汗をかきながら、アルヴァロが有翼のカエバルを所有していてくれて良かったと心の底から思った。

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