10.侍女
何度か休憩を挟みながら飛び続け、空が夕焼けに染まったころ。カエバルはとある町の外れにある屋敷の前に降り立った。
アルヴァロから今日はここで休むと伝えられ、岩のようにじっと耐えていたネレスは飛び上がって喜びたくなった。
(尻と腰が、めっちゃ痛え……!!)
やっと休めると知ったらもう、1秒でも早く降りたくて仕方なくなってきた。道中は風魔法のおかげかほとんど揺れることもなく、ソファもふわふわで限りなく配慮されていた。それでも座りっぱなしは厳しいものがある。
「尻と腰が痛い……」
シムフィが全く同じことを呟く。いつものように無表情だが、若干眉間に皺があるような気がする。アルヴァロがふっと笑った。
「そうだな、ふたりとも初めて乗ったのだから疲れただろう。今日はゆっくり休んでくれ」
頷いたシムフィが腰を上げ、馬車の扉を開けて先に降りていく。次にアルヴァロが降り、腰を痛めてよろめいているネレスの手を引いた。「大丈夫か?」と小声で問われ、ネレスはか細く「ウン……」と答えた。
石畳を踏みしめ、外の空気をめいっぱい吸い込む。屋敷の周囲は草花や微かな潮の匂いに満ちていたけれど、ここは砂と鉄のような匂いがした。
顔を上げると、すこし小さな屋敷が目の前にあった。門の前には使用人たちを控えた貴族らしき中年の男が立っている。彼は笑みを浮かべながらアルヴァロ一行にお辞儀をした。
「急な要請にも関わらず屋敷を用意していただき感謝する、ティニム卿」
「バラエナ卿、ようこそお越しくださいました! お会いできて光栄です。さあ、どうぞ中へ。食事の準備はできております」
「ああ……すまないが、娘の食事は部屋へ運んでいただけないだろうか。長旅をさせるのは初めてでね、疲れているようだ」
男は一瞬驚いたような表情をしたものの、すぐに笑顔で頷いた。「ご令嬢を部屋へ」と使用人へ指示する。
ネレスは不安な気持ちでアルヴァロを見上げた。
部屋で食べさせてくれるのは正直ありがたいが、大丈夫なのだろうか。バラエナ辺境伯の娘は引きこもりでろくに社交もできない、なんて思われたらどうしよう。全くその通りなのだけれど。
視線に気づいたアルヴァロが安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だ、休ませてもらおう。何かあったらいつでもベルで呼んでくれ」
「わ、分かった……」
「シムフィ、後は頼んだ」
「はい」
アルヴァロから離れてシムフィと手を繋ぎ、使用人の後をついていく。そわそわと落ち着かなかったが、しばらくして重大なことに気づいた。
(シムフィって、敬語使えたんだ……!?)
+++
通された部屋はアルヴァロの屋敷よりも質素だった。しかし白や金、緑と見事に華々しい色合いの調度品ばかりで目に優しくない。
食事や湯浴みを終え、いつもよりちょっぴり雑に着替えさせられながらネレスは悩んだ。
シムフィはほとんど喋らない。元々あまり話さないタイプのネレスはそれに安心感を覚えていた。けれど親しい相手ならともかく、世話を焼いてくれる相手と全く話さないというのも何となく居心地が悪い。
話題を探して必死に脳みそを回転させていると、今朝あったキアーラとのやり取りをふと思い出した。
「あ、の……シムフィは、キアーラと……仲がいい……の?」
一瞬手を止めた彼女は「ん」と頷く。
「キアーラと、私と、コンラリアと、レウージュは幼馴染」
(急に知らん人ふたりも出てきた……いや待って、コンラリアってアレやない? オッサン追い返してた子)
「え、えと、コンラリアとレウージュって……?」
「私のきょうだい。3つ子」
「3つ子!?」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて口に手を当てる。シムフィはその様子にゆっくりと目を細め、自身の胸元に視線を落とした。
「同じ顔で見分けがつかないから、色の違うリボン付けてる。私は紫」
「そ、そうだったんだ……すごいね、3つ子……」
「すごいかは分からない。親は嫌だったかも。キアーラも含めて、みんな孤児だったから」
「エッあ、ごめん! ……3人同じ顔の子がいるって、不思議だなって、思ったんだ。それだけ……!」
慌てながらそう言ったネレスに彼女は口元を緩める。
孤児であったことを初めて知ったけれど、なんとなくそんな気はしていた。シムフィのほうが顕著だが、キアーラもよく敬語が崩れていたし、丁寧な立ち振る舞いにあまり慣れていない様子だったからだ。
(まあ、ワイより数億倍マシやしちゃんと仕事してるからめちゃくちゃ偉いけど……)
シャンデリアがシムフィの顔に影を落とし、柱時計の音が部屋に響く。静寂の中で彼女は「ずっと4人で生きてきて……」と口を開いたが、それから視線を逸らした。
「……色々あって、アルヴァロ様に拾ってもらった」
「そう、なんだ……教えてくれて、ありがとう」
彼女は唇を引き結び、首を横に振った。
ネレスの服のボタンを留めながら何かを考えている様子だ。
「私は……キアーラみたいに強くない。コンラリアみたいに口が悪くもない、レウージュみたいにずる賢くもない」
「ほ、褒めてる? それ……」
「ん」
当然、というようにシムフィは大きく頷く。
「どれも生きるために必要。でも……私は、動くことしかできない。だから頑張って、いっぱい動いて、お嬢様を守る」
(シムフィは……こういう話をしたってことは、彼女なりに悩んでるんやろか。初めて馬車に乗ったぽいことパパ上も言ってたし……ワイと同じで緊張してんのかな)
鳥を狩ってきたり足で扉を開けたりと豪快な面が目立つけれど、だからといって何も考えていない訳ではないのだろう。
彼女になんと声を掛ければいいだろうか。ネレスのほうが一回りは長く生きて悩み続けているのだから、何か言えることはあるはずだ。
「少なくとも……私は、シムフィみたいに速く走れないし、コルセットをひとりで締めることもできない、よ。私がもしシムフィの立場だったら……『ネレス』に獲れたての……えっと、アウィを持って行こうなんて考えもしなかった」
視線をさ迷わせながらも、なんとか言葉を選んで紡いでいく。喋ることに慣れていないせいで思うように表現できないのがもどかしい。
「そしたら私は美味しいお肉を食べられなかったし、嬉しくもならなかった……だから、シムフィはすごいと、思う」
「……」
(小学生並みの感想しか言えんのかワイは!? 年相応といえば相応だけども! ごめんシムフィ、ワイがあまりにも精神年齢低いばかりに……ッ!)
彼女はしばらく黙った。それから引き結んだ唇の端を少しだけ上げ、微笑む。
「ありがとう。お嬢様のこと、拾ってよかった。じゃないと、こうして話せなかった」
「や、感謝するのはこちらのほう……今なんて!?」
「ん?」
「ひ、拾ってよかった……とは……?」
震える声で問いかける。シムフィは紫色の瞳をぱちりと瞬かせて「お嬢様を海で拾ったの、私」とあっさり答えた。
(命の恩人やないかい!?)
「エッ嘘、待って……それ他に誰が知ってる……!?」
「キアーラとコンラリア、レウージュが見てた。あとアルヴァロ様」
「よくワッ、私が養子になるって受け入れたね!?」
ネレスは突然知った事実に混乱した。海で拾った子供を養子にしたアルヴァロや、突然鳥を捌き出した謎の子供をよく普通に眺めていたなと驚くしかない。
「こんなに怪しいのに……!?」と思わず口走ったネレスへシムフィは緩く首を傾げた。
「お嬢様は怪しくない。アルヴァロ様が娘にするって言ったから、そうなのかって思っただけ。お嬢様がお嬢様になってくれて、よかった」
「そ、そう……ありがとう……?」
同じ方向へ首を傾げながらネレスが礼を言うと、彼女は満足げに頷いた。
キアーラたちはネレスの事情をどこまで知っているのだろうという謎は解けたものの、今度は知っていてなぜ受け入れられたのだという謎が生まれてしまった。
それだけアルヴァロへの信頼が厚いのか……もうみんな心が海のように広い、ということで良いだろうか。
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