25.再演

 自由になった髪を後ろへ払い、彼はベッドに座っていたネレスの前で片膝をつく。

 しばらくの沈黙。何を言うのだろうと緊張しながら待ち構えていると、アルヴァロは静かに口火を切った。


「君は、怪我をした子供を助けたことを覚えているだろうか」

「…………へ?」

「金髪に緑の目をした子供だ。……これを」


 予想外の質問が飛んできて困惑する。

 ネレスに向けて白いリボンが差し出された。月の光を反射して輝いているが、よく見ると意外に粗い生地のようだ。


「傷つかないように手を加えたため面影はあまりないが、この包帯をもらった」

(……ン? なんか……聞いたことあるような話なんやが……)


 具体的に言えば、昨日見た懐かしい夢のような。


(いやいやそんな、さすがに、んな訳……)


 何か恐ろしいことに気づいてしまいそうな予感がして全力で否定する。変な汗が出てきた。

 無言で何度もまばたきをするネレスの小さな手を取り、彼はそっと口付けるふりをした。


「覚えて、いるだろうか」


 射抜くような力強い視線に――あの日の記憶が蘇る。

 傷だらけのところを拾った。手当てをした。話をして、布切れで作った包帯をあげて、プロポーズされた。


 あの少年と色は違うが、アルヴァロだって元々は金髪緑眼だと言っていたではないか。ヒュッと息を呑む。


「ま…………さか…………」

「私は貴方に誓ったことを覚えている。貴方が誰なのかも、分かっているんだ――オンディーラ」

「しょっ……少年!?」


 目を見開いて叫んだ瞬間、アルヴァロは泣きそうな顔で微笑んだ。


(エッ……マ!? あの日の少年!? パパ上が!?)


 信じられない。でも実際、ネレスと少年しか知り得ないことを知っている。ネレスがオンディーラであるということも見抜かれている。

 動揺してネレスはもはや取り繕うことを忘れてしまった。


「な、なななんで、いっいつから……!」

「浜辺に横たわっていた貴方を見た瞬間、そうなのかもしれないとは思っていた」

「最初から!?」

「確信したのは、貴方がアウィを捌いて肉を分けてもらったときだ」


 それはもう最初からと言っていい。

 彼は、中身がオンディーラであると気づいていながらずっと見守ってきたというのか。それならネレスを養子にした理由も、やたらスキンシップが多い理由も、異様に甘やかしてくる理由も分かる。

 ずっとオンディーラを想っていたのであれば、ミフェリルを嫌うのもまあ、当然だろう。


「い、いやでも、アウィを捌くくらい、神子ならできるかもしれんやん……勘違いかもとか思わなかった!?」

「たとえ神子とはいえ、その外見年齢でアウィを捌けるのも薬を作れるのも、さすがにおかしいだろう?」

「ワイがおかしいって認識あったんかい!」


 思わずツッコミを入れてしまったが、アルヴァロは嬉しそうに微笑んだままだった。「その訛り、懐かしいな」と思い出に浸ってすらいる。

 ネレスは一気に脱力した。


「嘘やろそんな……最初から……」

「ああ、それともうひとつ」

「……まだ何か……?」


 すでにベッドへ倒れ込みたいほど気疲れが激しい。なんなら動悸と息切れもしているのに、まだ追い討ちをかけられるのだろうか。


「……その、忌々しい奴らに殺された後……貴方の家にあったものはほとんど回収されていて……」

「エッ?」

「すまない。端的に言うと、貴方の手記を読んだ」

「……エ」


 歯切れの悪い言葉に耳を疑った。

 手記とはまさか、オンディーラがちまちま日本語で書いていた猛虎弁全開の日記のことだろうか。

 日本語の文章が誰にも理解されないのをいいことに好き放題に書き散らしていた、あの……。


「……げ、言語が、違う……はずじゃ……」

「……翻訳魔法、というものがあってな。つまり君が元は異世界から来た男性であるということも」

「ああああああああああああ!!」


 耐えきれず枕に突っ伏して叫んだ。


(嘘やろあの恥ずかしいアレがバレてコレでつまりワイが男って知りながらずっと!!??)

「す、すまない。落ち着いてくれネレス、いやオンディーラ、貴方の心が男性であっても私は好きだ」

「覚悟決まりすぎやろなんで!?」

「なんでと聞かれても……」


 枕を抱きしめながら後ずさる。おろおろと行き場のない手を上げたアルヴァロは、眉根を下げながら「本当にすまない」とまた謝った。


「わ、ワイがオンディーラだと知ってて、さらに中身が男ってことも知ってて、ずっと……」

「貴方に、幸せになってほしかったんだ」


 小さな囁きにネレスははっと顔を上げた。彼は何かをこらえるように眉間に皺を寄せていた。


「私は……貴方が殺されたと知ったとき、絶望した」

「……あ……」

「絶望という言葉では説明しきれないほど……」


 項垂れたアルヴァロは、何度か口を開いては閉じたあと「……苦しかった」と呟く。それ以上は何も言おうとしなかった。

 混乱して取り留めのなかった思考が落ち着いてくる。


(そうよな……だって、あの子はまだ子供だった)


 ネレスだって、昨日少年の境遇を思って涙したばかりだ。

 教会の人間に想い人を殺され、その教会が信仰する女神の神子として選ばれ、どんな気持ちだったのか。転生した想い人を前にどんな思いを抱えていたのか。


 きっと複雑な感情が渦巻いているはずだ。けれどそれをひと言で表すならば、彼の言った通り『幸せになってほしい』――という言葉に尽きるのだろう。


「……ごめん」

「どうして貴方が謝るんだ。何も悪くない」

「なんで好きなのとか、言うべきじゃなかった。わ……ワイが死んで、めちゃくちゃ傷ついたよな。こんなに大きくなっても引きずってるくらい。……その包帯も、ずっと身に着けてさあ」


 固く握りしめられたリボンを見下ろす。

 ネレスは唇を引き結んだ。ベッドから降り、ひざまずいていたアルヴァロを抱き寄せる。


「な……」

「ありがとう。ずっと好きでいてくれて、守ろうとしてくれて。めっちゃ、頑張ってくれてたんやな」


 穏やかにそう言いながら、彼の背中をゆるく叩いた。

 彼は無言でネレスを抱きしめ返した。どんどん腕の力が強くなって、アルヴァロの肩が震え出す。

 ネレスは黙ったまま目を閉じ、彼の背中をぽんぽんと叩き続けた。



 しばらくして鼻を啜ったアルヴァロが「謝らなくてはいけないことがある」と呟いた。


「え……な、何?」

「私は、貴方を殺した人間の大半を……殺したんだ。すまない、復讐の機会を奪ってしまって」

「……多分、そういう問題やないと思うけど」


 抱きしめたままネレスは顔を引き攣らせた。まずい。不可抗力とはいえオンディーラが死んだせいで、純粋無垢だった少年がとんでもなく歪んで成長してしまっている。


「……貴方は、人が死ぬことが嫌だと言っていた」

「あー……うん。でも正直嬉しいというか、なんというか」


 ネレスは何度も「あー」だの「エー」だの唸りながら、どうにかして自分の考えていることを伝えようと言葉を選んだ。


「なんていうか……人の気持ちって、複雑やん? ワイは基本的に人が死ぬの嫌やなって思うけど、同時に嫌いな奴は死んでしまえって思うこともある」

「そうなのか?」

「そう。身近な人間が死んだらめちゃくちゃ悲しいけど、ニュース……あー、遠くの知らない人が死んだって聞いたら、一瞬悲しくなるけどすぐに忘れる」


 抱きしめていた腕をほどいて、一歩離れる。アルヴァロの赤くなった目と視線が合って、ネレスは困ったように笑った。


「せやから、ワイはそこまで潔白な人間じゃないってこと。さすがに目の前で殺されたらビビるけど……そんなに、気にせんでええよ」

「結婚してくれ」

「いま!?」


 あまりにも唐突すぎて思わず大声が出た。がっしりと肩を掴まれ「オアア」と奇声を発しながらうろたえる。


「今じゃなくていい。元々、貴方が成人するまで待つつもりだった」

「え、や、でも、ワイ男やし……!」

「私は女性の見た目をした貴方しか知らない」

「それはそう……やけども!」


 眉根を下げて悲しそうにこちらを見つめてくる男に、ネレスはウッと小さく呻いた。


「ね、年齢的に、どうかな……?」

「仮に10年待つとすれば、私は38になるな。だが安心してほしい。魔族の平均寿命は400年だ。いくらでも待てる」

「マジか……」


 そういえば彼は魔族だった、と思い出す。それなら多少の年齢差は気にならないのだろう。生きている年数で言えばネレスのほうが年上であるし、成人まで待ってくれるのなら何も問題はない。

 問題、なくなってしまった。

 あとはネレスの気持ちだけだ。しかし、全く恋愛対象として見ていなかった相手から急に言われても困る。


「す、好きになってくれて、嬉しいんやけど……ワイはまだ、よく分からんっていうか、実感が全然ないというか……」

「分かっている、急ぐつもりはないんだ。……貴方にとっては昔の私にプロポーズされてから、まだ1年くらいしか経っていないだろう?」


 その通りだ。プロポーズされてから1年後に処刑され、最近ネレスとして転生したばかりである。


「だから、いまの貴方が成人したら答えを聞かせてほしい。それまでは……貴方の保護者兼、婚約者としてそばに居させてくれないか」

「なんか増えてるんやが!?」


 アルヴァロは黙ったまま微笑んだ。

 ガンガン外堀を埋めるつもりだと、恋人いない歴イコール年齢のネレスでもさすがに分かる。

 ぎこちない笑みを浮かべながら「……ほ、ほんなら、成人まで保留……ということで……」と弱々しく答えた。

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