26.明朝
朝日が射し込む部屋で、ネレスは若干充血した目を開きながらベッドに転がっていた。
(全然……眠れんかった……)
すこしは落ち着いたが、未だに混乱している部分もある。だってまさか、1年前に会った少年があんなに大きくなっているとは思わないだろう。
しかもネレスが男であることも知っていて……と考えたところで「うああああ」と呻いた。
どうしよう。どうすればいいんだ。
悶々と悩みながらシムフィに着替えを手伝ってもらったあと、朝食が運ばれてくるのをひとりで待つ。
どういう顔で話せば――と悩んでいたとき、タイミング悪くアルヴァロがやってきた。後ろからサービングカートを押した執事もついてきている。
「おはよう、ネレス。よく眠れたか?」
「お、おはよう……あまり……」
「はは、私も一睡も出来なかった」
眠れていないわりには晴れ晴れとした表情だ。彼の心境を考えればそれも当然だろうが、ネレスとしては気まずいどころの話ではない。
しかし、思っていたより変わらないやり取りで安心した。
彼は浮き足立った様子で「そういえば、まだ紹介したことがなかったな」と執事に視線を向ける。
「彼はノベルトだ。私の執事として、それから御者として同行してくれている。優秀な男だ、何かあれば気軽に話しかけてくれ」
「よろしくお願いいたします、ネレスお嬢様」
そういえば彼と直接話したことはなかった。御者台にいるか、アルヴァロの後ろに控えているかで機会がなかったのだ。
深々と礼をしたノベルトは、黒髪を後ろに撫でつけた寡黙な青年だ。「よ、よろしく」とぎこちなく返す。
「今日からネレスは私の婚約者にもなったんだ。説明は頼んだぞ」
「エ!?」
「それは……おめでとうございます。きっと屋敷の者たちも喜ぶことでしょう」
和やかに会話が交わされている横でネレスは唖然とした。
(保留って言わなかったっけ!? いや保留でも婚約者なことに変わりはないんか……!? 待ってヤバいめちゃくちゃ行動早いぞパパ上!? 少年!?)
「ありがとう。祝福してくれて嬉しいよ」
「あ、あの、良いって言ってな……」
「さあネレス、食事をしようか」
「ェ、うう……」
押しが強すぎて何も言えない。いつもと変わらないと言ったが大間違いだった。あまりにも勢いが良すぎる。
顔をシワシワにしながら体を丸めたネレスは、爽やかな笑顔のアルヴァロにテーブルへ連行されていった。
+++
食事を終え、ひと息ついたころ。
ノベルトが食器を下げているとノックの音がした。入ってきたのはシムフィだ。ラベンダーもどきを手にしており、ネレスは「あっ」と声をあげた。
「お嬢様、これ作ろう。キッチン使っていいよね?」
シムフィがノベルトに視線を向ける。彼は「ああ」と軽く頷いた。
よく考えるとここは他人の屋敷だ。そんなところで薬なんて作って大丈夫なのだろうか。不安になってアルヴァロを見ると、彼は「問題ない」と微笑んだ。
「自由に使っていいと許可は得ている。この屋敷の持ち主は少し離れた別の街に避難していてな。おかげで2日前、領主と話をしようと思ったら予想以上に遠出をする羽目になってしまった」
「そ、そうなんだ?」
「ああ。おかげで使用人たちも誰もいない。人目は気にしなくていい」
「分かった……ありがと」
頷いて椅子から降りる。人目を気にしなくていいというのであれば遠慮なく作らせてもらおう。気まずい部屋からも離れられるし一石二鳥だ。
微笑み続ける男に見送られながら、ネレスはそそくさとシムフィの元へ歩み寄った。
キッチンへ向かっている途中、廊下できょろきょろと辺りを見回すジーナと鉢合わせた。彼女は気まずそうに目を逸らしたあと、ためらってから口を開く。
「良かった。貴方たちのこと、探していた……んです。謝らないとと、思って……色々失礼なことをしてしまって――」
心底申し訳なさそうな様子に、ネレスは慌てて首を横に振る。
「や、謝らなくて大丈夫……! どう考えてもこっちのほうが不審者だったし……それに、人が見てないとこなら、改まって話さなくてもいいよ」
「で、ですが」
「距離が離れたみたいで、寂しいし……ほんとに大丈夫だから……!」
手をブンブン振って拒否すると、ジーナは「そこまで言うなら……」と渋りつつも了承してくれた。困ったように眉根を下げた彼女の目元が少し赤い。泣いていたのだろうか?
「だ、大丈夫?」
おそるおそる尋ねると、彼女は不思議そうな顔をしたあとにああ、と頷いた。
「大丈夫、よ。悲しくて泣いた訳じゃないから」
「そ、そか、なら良かった。……今からラベンダーもどきを煎じに行くんだけど、良かったら一緒に行く?」
「ええ、ぜひ。貴方ともっと話したかったから嬉しいわ」
微笑んだ彼女にほっと胸を撫でおろす。ジーナも加わって、3人でキッチンへ向かうことになった。
そう歩かず到着した目的地はかなり広く、がらんとしていた。人が全くいないせいで寒々しい。かまどの近くまで近づいたシムフィが薪に火をつけると、冷えきった部屋がすこし温まった。
ラベンダーもどきの煎じ方は、先日と同じだ。根っこを刻んで、鍋に水を入れ、水が半分ほどになるまで煎じる。
待っているあいだは暇なため、紅茶を飲みながらテーブルを囲むことになった。中心にクッキーの積まれた皿が置かれる。
落ち着いた空気のなか、ジーナが紅茶のカップを見つめながら小さく笑った。
「それにしても、まさか貴方がオプスマレスの神子だったとは思わなかったわ」
「ワ、私も初耳だったよ……」
あの中で一番驚いていたのは確実にネレスだと思う。そういえば、とすこし不思議に思ったことをジーナに尋ねた。
「ジーナって、オプスマレスのことはどんな風に思ってるの?」
「どんなふうに……と言われると、難しいわね。昔から海に棲む怪物だと聞かされてきたわ」
「怪物!?」
「貴方の前で言っていいことじゃないけど……おぞましい見た目をしていて、何本もある吸盤のついた足で人を闇に引きずり込む怪物だって。一部では、闇魔法の使い手は怪物の使者だって言う人もいた」
それを聞いた瞬間、ネレスの脳裏によぎったのは冒涜的な地球外生命体であった。
「あ、あの……オプスマレスを見ると発狂しちゃうみたいな話はない……よね?」
「ええ? なにその恐ろしい話。さすがに聞いたことないわ」
「良かった……!」
ほっと胸を撫で下ろした。異世界というだけでいっぱいいっぱいなのに、そこに理不尽な生命体まで加わったらこの世の終わりだ。
……引きこもりニートがオプスマレスの神子というだけで、充分この世の終わりな気もするが。
「お……お父様は、私に魔獣を倒してほしいみたいだけど……」
「そうね。ほとんど無制限に使えるなら、魔獣の群れも怖くないと思う」
「魔獣を吸収すれば、私の魔力になる……はずで。魔獣も消えて、私も強くなって、良いことしかないように見える。……でも、そのあとはどうするんだろう」
黙々とクッキーを食べていたシムフィが「そのあと?」と首を傾げた。
「うん。魔獣を消しても、また光属性が強くなるだけじゃないかなって。そもそもどういう原理で魔獣が発生しているかも分からないし……今だから言えるけど、私はこの世界のこと、全然知らない……知らないことだらけなんだ」
昨晩いろいろ考えていたことを、ぽつぽつと口に出した。今の状態ではあまりにも物を知らなさすぎる。
アルヴァロから将来の話をされて、このままで良いのだろうかと思ったのだ。流されるまま、甘やかされるまま、言われた通りに動くだけで良いのだろうか。
きっと、それは良くないことだ。
「シムフィと街をちょっと観光したときも思ってたんだけど……屋敷に帰ったら、勉強してみたい」
そう呟いたネレスに、シムフィは「だったら、フィオリーナに教えてもらうといい」と答えた。
「フィオリーナ?」
「そう。メイド長。すごく物知りなおばあちゃん。勉強したい使用人に一般的な知識とか礼儀を教えてくれる。私もお金の数え方、教えてもらった」
「そうなんだ? で……でも、私がそこに入っていいんかな……」
使用人たちが遠慮してしまわないだろうか。
遠慮がちに目を伏せたネレスに、シムフィは「大丈夫。一緒に行こう」と頷く。彼女が来てくれるのは心強いが、一応アルヴァロにも聞いてみなければいけない。
「いいわね、勉強。頑張って――」
ジーナが微笑みながらそう言いかけたときだった。
――カラン、カランと忙しない鐘の音が遠くで鳴った。
それは何度も、何度も鳴らされる。甲高い音が、聞く者の不安を煽るように響いた。
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