27.上空

 ジーナが椅子を蹴るような勢いで立ち上がったため、けたたましい音がキッチンに響いた。


「魔獣だわ」

「エ」

「あの鐘の鳴らし方は、危険なことが起きている合図なの」

「エッ嘘、ど、どうしよう……!」


 鳴り続ける鐘に焦って思考が乱される。おろおろと立ち上がったとき、遠くで爆発音がした。目をつむって身をすくませる。

 そんなネレスにシムフィが声を掛けた。


「お嬢様、火を消せる?」

「火とは……!?」

「鍋の」

「あっ、ああ、うん!」

「私は姉さんのところに行ってくる!」


 言われた通りに水魔法を使い、かまどの火を消す。

 ジーナが小走りでキッチンを出ようとしたとき、ちょうどアルヴァロとノベルトが揃って入ってきた。


「パ……お……ア……!!」

(ああもう、どう呼べばええねん!)


 咄嗟に呼ぼうとしてパパ上、お父様、アルヴァロのどれにしようか迷った結果、訳の分からない言葉を発してしまった。中身がオンディーラ(成人男性)だとバレていることが分かった今、彼に対してお父様と呼び掛けることがすごく気まずい。


「ふ……薬は完成したか?」


 一瞬笑いかけたアルヴァロだったが、すぐに収めて尋ねる。ネレスは慌てて鍋に視線をやった。


「え、っと、もうちょっとだけど、今の時点でもまあまあ効果はあると、思う……!」

「分かった。ならそれを瓶に入れて余った分は破棄しよう。ノベルト、2種類の薬と一緒に女性たちをカエバルに乗せろ。それから上空で待機してくれ」

「かしこまりました」

「は、破棄!?」

「念のためにだ。シムフィ、姉妹の護衛を頼む」


 シムフィがこくりと頷いて身をかがめ、状況が飲み込めないでいるネレスに小さく「無事で」と告げる。そして不安そうなジーナの元へ早足で向かい、促して2人でキッチンから出ていった。


 ノベルトが手早く鍋の中身を移し替えているなか、アルヴァロがうろたえているネレスを抱き上げた。


「では、ネレスは私と一緒に行こう」

「ウェッ、ど、どこに!?」

「言っただろう? 魔獣退治だ」

「今から!?」


 確かに言われたことは覚えている。覚えているが、こんなに早く実行することになるとは思っていなかったので心の準備ができていない。

 昨日闇魔法の特性を教えてもらったばかりなうえ、暴発させてから一度も闇魔法を使っていないのだ。出来るかどうか不安すぎる。


(こんなんで大丈夫なんか……!?)


 焦るネレスをよそにアルヴァロは迷いなく廊下を突き進み、屋敷の外へと出た。

 冷たい風が吹きつけるが、彼がひらりと手を振ると寒さを感じなくなった。温度を調節してくれたのだろう。これはいったい何魔法になるのかと考えていたとき、足を止めたアルヴァロが口を開いた。


「絶対に落とすことはないが、念のために激しい動きはしないよう気をつけてくれ」

「……へ?」


 彼がふっと膝を曲げる。

 沈み込むような感覚に「ヘッ」ともう一度声をあげた瞬間、2人は巻き起こる風によって――空へ


「ア゛ァァァァァァァァ!!」


 ネレスは絶叫した。

 半泣きでアルヴァロの首にしがみつく。すごいスピードで地上が遠ざかっていく。カエバルに乗っていたときですら無い玉がヒュンッとしたのに、生身で空を飛ぶなんて信じられない。


「むりむりむりおちるおちるおちる」

「心外だな。私が貴方を落とすと思っているのか?」


 頬に口付けられたネレスは半ばキレ気味に「いまそれやめて! 頭バグるから!」と叫んだ。


「バグるとは……?」

「混乱する! から! ウウーッ!!」


 あまりにも必死な様子に、しょんぼりとしたアルヴァロは素直に「悪かった」と謝った。唸りながらしがみつくネレスを、安心させるように抱きしめる。


「大丈夫だ、落ち着いてくれ。絶対に落とすことはない」

「ウウ」

「ほら、魔獣が見えてきたぞ」

「ま、魔獣……」


 固く閉じた瞼の片方だけをそーっと開いた。

 そういえば、成体らしいサイズの魔獣はまだ見たことがない。最初にアルヴァロが倒したときは遠すぎて見えなかったのだ。どのくらい大きいのだろう――そう考えたネレスは、眼下に広がった光景に息を呑んだ。


 それはまるで黒い濁流のようだった。

 西に広がる森から、どす黒く染まった魔獣がどんどん溢れ出している。イノシシの頭に鋭い爪を持った前足。特徴的だった背中の縞模様は消え失せ、流れるような黒い毛が鱗の生えた下半身と同じように光っている。

 人と同じくらいのサイズになった魔獣は禍々しい気配を放ち、荒れ狂うようにひたすら突進していた。


 街の西端で騎士たちがバリケードを張っている。土や木魔法で作られたそれに魔獣が激突していく。

 転がった魔獣を剣や魔法で処理していく手並みは鮮やかだったが、敵の数が多いせいで劣勢に立たされているようだ。


「あれが…………」


 ウリ坊やイノシシサイズのときからは考えられないほど凶暴化している姿に、ネレスは言葉を失った。


「あれが魔獣――セクトだ」

「セクト?」

「ああ。元は闇と大海から生まれる、オプスマレスに仕える神獣だった」

「エ!?」


 告げられた情報に目を見開く。


(つまりワイは神獣を食べてた……ってこと!?)

「光のニュムパが増えすぎたため、バランスを取ろうとした闇のニュムパが過剰にセクトへ流れ込んだ結果……巨大化、そして凶暴化し魔獣になってしまうんだ。彼らは光のニュムパを消そうとして突進している。ほら、見えるか?」


 アルヴァロはそう言うと、片手で光の球を作り出して放り投げた。森のほうへ光の球が落ちた瞬間、一部の魔獣たちがそちらに方向転換して走り始める。


「え……じゃあもしかして、バリケードに突進してるのって……」

「ああ。騎士団の者たちは皆光魔法の適性があるからな。それに街も照明などに光の魔石をよく使っているせいで、全体的に光のニュムパが多い」


 バリケードごと突き飛ばされそうになっている騎士のところへ、アルヴァロが腕を振って分厚いバリケードを張り直す。

 何人かが上空にいるネレスたちに気づいたようだ。


「ワ……ワイが、魔獣から闇を吸収したらどうなる?」

「凶暴化は治まるだろうが、巨大化した体は元に戻せない。もしふとした瞬間にまた闇のニュムパを吸収したら目も当てられないからな……魔獣自体を吸収したほうがいいだろう」

「そ、か……」


 では、この濁流のように溢れ続ける魔獣たちを全てネレスが吸収しなければならないのか。


「これ、全部よな?」

「ああ。貴方なら問題ないはずだ。オプスマレスの神子が大規模な魔法を使えば、闇のニュムパたちも満足するだろう。……できそうか?」

「う……ん……」


 自信は全くない。しかし、ここでやらなければ魔獣は増え続けるのだろう。だったらやってみるしかない。

 ネレスは騎士たちの攻防を見下ろしながら、必死で頭を回転させた。


(どうやって吸収すれば……モヤか? でもうっかり騎士まで巻き込みそうやし……吸収っていったらブラックホールのイメージしかないんやけど、アレってどういう原理で吸収しとるんやっけ? 助けて考司こうじ!)


 星に詳しかった昔の親友を思い浮かべる。脳内で彼がカチャリと眼鏡を押し上げ『ブラックホールっていうのは穴じゃなくって、光さえ逆らえないほど強い重力を持つ天体なんだよ』と言う姿が見えた。


(サンキュー考司! 案外覚えとるもんやな……ていうか重力やったらなんかちょっと違うな……)

「ウ~~~~ン……」


 目を閉じて考える。吸収……魔獣、神子。オプスマレスの神子が、オプスマレスの神獣を吸収する。同じ仲間のようなものなら、できるだけ苦しませたくはない。


 そのときふと思い出した。ネレスとして目覚める前、どこかにいたことを。暗くて冷たい静かな場所。あの場にずっと居たいような、落ち着く感覚を。


(そうだ、あれは…………海やったと、思う)


 きっとネレスはそこにいた。闇と大海から生まれたならば、闇と大海に帰せばいい。

 ネレスは目を開き、ゆっくりと息を吸った。アルヴァロがその様子に小さく微笑む。


「ここに、作ろう――海を」

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