24.罪人
(なんていうか……ちょっと怖い、普通に……)
その場にどことなく気まずい空気が流れる。全員が黙りこくったとき、シムフィがぽつりと呟いた。
「そろそろ夕食、です」
「……ああ、もうそんな時間か」
アルヴァロの視線を追うと、窓の外は蜂蜜を塗りたくったような黄金色の夕焼けに染まっていた。無意識に息を吐く。
ネレスは「じゃ、じゃあ、部屋に……戻ろかな……」と視線を泳がせた。彼はネレスを少しだけ見つめたあと、ロレッタとジーナのほうを向く。
「ふたりの食事はこの部屋へ運ばせよう。構わないな?」
「は、はい。ここまでしていただいて本当にありがとうございます……」
「わっ私からも、ありがとうございます!」
ロレッタに続いてジーナが頭を下げる。気にするなというようにアルヴァロが首を横に振り、一同はそれぞれ自室に戻ることとなった。
+++
夜。食事や入浴など細々としたことを済ませたアルヴァロは、ロレッタの部屋を訪れていた。
扉を叩き名前を告げると、戸惑ったような声で「どうぞ」と返ってくる。
部屋にはベッドの上で体を起こしたロレッタしかおらず、やつれた顔をサイドテーブルに置かれたランプが静かに照らしていた。
肩掛けを引き寄せながら彼女が顔を上げる。その瞳には少しだけ怯えが見えた。
ベッドから少し離れた位置で立ったまま口を開く。
「遅くにすまない。何か伝えたいことがありそうな様子だったから訪ねてみたんだが……何もないならすぐに帰ろう」
「あ……いえ! ありがとうございます。確かに、バラエナ辺境伯とはお話がしたいと思っておりました」
「そうか」
「…………」
「……話しづらいならメイドを呼ぶか」
緊張している様子の彼女は、慌てて首を横に振った。
「申し訳ありません、大丈夫です。その……貴方は、私たちをバラエナ領にある街へ迎え入れて下さるとおっしゃいましたよね」
「ああ。騎士たちに説明を頼んではいるが、私が庇っているだけで実際は貴方が闇魔法を使ったのだと言う輩は必ず出るだろう。住む場所を移すのが一番良いと判断した」
「厚かましいと分かっていますが、それでもお願いします。どうか……」
祈るように胸の前で手を組み、苦しそうにロレッタがうつむく。
「……どうか、ジーナだけを、貴方の領地に迎えてやってはいただけないでしょうか」
「何だと?」
アルヴァロは眉をひそめた。まじまじと彼女を見つめるが、それに気づかないままロレッタは声を震わせる。
「わたし、私は、罪を犯しました。人を殺しました。あの子から、ジーナから両親を奪ってしまった」
思いもよらなかった告白に「……ふむ」と呟く。
「ジーナにとっては、良い親だったんです。ただ、私が耐えきれなかった。首に手をかけられたとき、闇が、いっそ全て飲み込んでくれればいいのにって、願ってしまった」
ただ淡々と相槌を打つ。
ずっと誰にも相談できなかったのだろう。身を丸めて謝り続ける彼女の姿は痛々しかった。
「私がそばに居たら、あの子の重荷になってしまう……ずっとあの子に負担をかけるなんて、耐えられません。だからどうか……」
「ジーナの意思は聞いたのか?」
「それは……あの子はいい子だから、一緒に行こうとしか言わないでしょう」
「よく話し合ってから決めてくれ。私としてはふたりとも来てくれると、娘が安心するだろうし助かるが」
「……私は、罪人ですよ」
怪訝そうにアルヴァロを見上げた彼女へ、薄い唇を吊り上げて「問題ない」と短く告げる。ロレッタは何を言われたのか理解できないというように目を大きく見開いた。
「……え? で、でも」
「王宮が定めた法的には正当防衛が成立する。闇魔法適性者だと危ういが、黙っていれば問題はない。本来なら罪に問われないものなのだから」
「……」
「それに私や私の使用人たちのほうが、よほど人を殺している。暗殺者も毎日うちで呑気に家畜を捌いているし、どちらかというと裁かれるべきなのはこちらのほうだ」
歌うように言った男に、ロレッタはぎこちなく笑みを浮かべた。
「バラエナ辺境伯は、面白いお方ですね」
アルヴァロは口元に笑みを浮かべたまま何も言わなかった。彼女が居心地悪そうに身じろぎをする。
「……ほ、本当のことなの、ですか?」
「さあ、ご想像にお任せしよう」
「……」
「バラエナ領は海に近いせいか、オプスマレスを信仰する者が比較的多い。闇魔法の適性者も今で30人ほど居たはずだ。ここよりは余程生きやすい環境だと思う」
いまだ戸惑った表情のロレッタへ「もう一度言うが、よく考えて、よく話し合ってくれ」と告げる。彼女が頷いたのを確認して、アルヴァロは踵を返した。
「では、夜も更けてきたしそろそろ失礼しよう。ゆっくり休んでくれ」
「は、はい……」
ロレッタの部屋を出て、ランプに照らされた廊下を歩く。
一瞬、蝋燭ではないはずの照明が揺らめいたような気がした。足を止め、眉間を揉みながらアルヴァロは薄く細長い息を吐いた。
「……罪人、か」
長い廊下の先に、ネレスの部屋がある。波打つようなニュムパの囁きで彼女がまだ起きていることが分かる。
どこまでも遠く感じる廊下を見つめて、そうして、足を踏み出した。
+++
寝間着姿のネレスは大の字になりながらベッドの天蓋を眺めていた。水魔法で魚を作り出し、ゆったりと泳がせる。
明かりの消えた部屋には煌々と輝く月明かりだけが射し込んでいて、魚の体を時折きらめかせていた。
(オプスマレスの神子ってさあ……重荷すぎて全然実感が湧かん……なんでワイが……こちとらただのヒキニートやぞ)
アルヴァロから告げられた新しい情報がずっと頭を悩ませている。強そうだとか、特別だとか、そういう感情よりも『面倒くさそう』が先に来てしまった。それに、ネレスにそんな重要そうなことが務まる訳がない。
オプスマレスはいったい何を考えているのだろうか。わざわざネレスを作ったようだが、そもそも女性の体に異世界産の男性の魂を入れるのもどうかと思う。
(
ゴロゴロとベッドの上を転がって唸っていたとき、扉がノックされて「うわあ!」と思わず叫んだ。もう全員寝ていると思っていた。こんな時間に誰だろうか。
「ネレス、夜更けにすまないがすこし良いか?」
「アッ、ど、どうぞ!」
その声に慌てて起き上がり、かっぴらいていた足を閉じる。入ってきたアルヴァロへ誤魔化すように笑いかけようとして、彼が浮かない表情であることに気づいた。
視線を上げた男がすこし微笑む。どこを見ているのだろうと追って、自分が魚を出したままであることを思い出す。慌てて手を振って消した。
「泳がせたままで良かったのに」
「や、その、恥ずかしいから……」
「そんなことはない」
会話が途切れた。
彼が不安そうな表情を浮かべているせいで、ネレスまで不安な気持ちになってきた。
「その……君が神子だと黙っていたこと、怒っているか?」
「エ!? ああ、うーん……」
ネレスが怒っているかもと心配していたらしい。たいした理由じゃなくて良かった、と内心安堵する。
「怒ってはない、よ。どっちかっていうと、びっくりしてるっていうか……神子が何をするのか知らないけど、ワッ私にはできそうにないっていうか……」
「君は、ときどき魔獣を倒してくれればいい。そうしたら後のことは私がしよう」
「ええ、で、でもそれじゃ申し訳なさすぎる……」
「良いんだ、それで。私がやりたくてやっているだけで、君を付き合わせてしまっている立場なのだから」
(……問題はこっちよな)
神子であることも充分悩みの種だが、それ以上にアルヴァロの理解できない献身のほうが問題だ。
「私が、怖いか?」
すっと上がった蒼い瞳が、うかがうようにネレスを見る。見透かされたような気持ちになって肩が跳ねた。
「……その………えっと……」
「どうしたら、君は私を怖がらなくなる?」
「ご、ごめん! なんていうか……お父様は怖くない! けど、どうしてここまでしてくれるのか、何を考えてるのか……全然、分からなくて、そこが……」
しどろもどろになりながらアルヴァロを見上げる。彼は息を吸って、しばらく考えるように目を伏せた。
どこかにある柱時計が秒針を進めている。カチカチという音がうるさいくらい部屋に響く。
「――私が本当の理由を話したら、君は安心できるだろうか」
「……え」
(本当の理由……? いや何、そんなんあんの!?)
覚悟を決めたように告げられ、ネレスはごくりと唾を飲み込んだ。心臓がいやに跳ねている。
張り詰めた空気のなかで、ネレスは小さく呟いた。
「……本当の理由がある、なら、教えてほしい」
「……分かった」
アルヴァロは穏やかに目を細め、そして緩慢な動きで、髪を結んでいたリボンをほどいた。
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