15.対話
シムフィから「持ってて」と紫色の花を渡されたと思ったら、脇に手を入れガッと抱き上げられた。勢いが良すぎて一瞬宙に浮いた気がする。
「ヒョッ!?」
「お嬢様だと足音が出る、ので」
「アッ、そ、そういう……重くない? 大丈夫?」
「全然大丈夫、です」
頷いてシムフィは音もなく駆け出した。女の子に抱き上げられるなんて、緊張してどこを掴んでいいか分からない。ネレスは両手で祈るように花を握りながら硬直した。
メイドは橋を越え、足場の悪い森の中をひょいひょい身軽に進んでいく。するとあっという間に追いついた。
しばらく様子を見ることにして、ギリギリ女性が見える位置でネレスたちは息を潜める。
彼女は布を被せた籠を手に、下を向いてきょろきょろと何かを探しているようだ。生えている植物に触れては手を離し、そしてある植物の葉をちぎって籠に入れた。
(あれは……なんやろ。毒にも薬にもならん、ただの葉っぱやった気がするけど……)
それからも女性は次々に植物を採取し続ける。
(あれは喉の調子が良くなるヤツ、あれは体が暖かくなるヤツ……それはただの草……あれは毒性が強いけど煮てすり潰したら胃薬になる――)
毒性があると評した赤い実を手に取った女性は、じっとそれを見つめた。そして口に運ぼうとする。ネレスは思わず「ちょっ、ストップ!!」と叫んだ。
「――ッ!?」
肩を跳ねさせ、驚いたように彼女が振り向く。しまったと口に手を当てたけれど遅かった。「誰!?」と警戒した様子の女性に、隠れ続けるのは良くないかと判断する。ネレスはシムフィへ自分を降ろすように頼んだ。
木陰から出てきたネレスたちに気づき、彼女は怪訝そうな顔をした。
「貴方たちは……昼間の」
「あ……えと、すみません……森に入るとこが見えたので、なんだろうと思って……悪気があった訳では……」
しどろもどろな説明に女性の眉間の皺が深くなる。ネレスたちを上から下まで不審そうに眺めて「お花でも摘みに来たわけ?」と言った。
「や、これは花屋でもらったやつで……そ、そうじゃなくて! その、いま貴方が持ってる赤い実は、そのまま食べると毒があるので、食べないほうが……いい……かと」
「なんで知ってるの、そんなこと」
(なんで!? 昔狩ろうとして見張ってた動物が食べた途端ぶっ倒れたからやが……どう言えばええねんこれ)
ここで詳しいからと言えば、信頼を得られるだろうか。少なくとも女性が採取した植物に関する効能は全て知っている。
ネレスは視線を泳がせながらごくりと唾を飲み込んだ。
「わ、わりと、詳しい……ので。あの、ずっと貴方が採る植物を見てた、けど……もしかして、薬を――」
そう言いかけたとき、女性の顔色が一瞬で青くなった。よろめいて数歩下がり、引き絞るような声で叫ぶ。
「
彼女の足元から木の根が飛び出す。
先端の尖ったそれはまっすぐに、目にも留まらぬ速度で、明らかな殺意を持ってネレスを狙った。「ひっ……!」ぎゅっと目をつむった瞬間、バキンッとへし折れるような音が響く。
薄く瞼を開ける。目の前にシムフィが立っていた。
丸まった背中に「シムフィ!」と叫んで駆け寄る。しかし彼女は無傷だった。濃い紫色に染まった両手で根を掴み、へし折っている。
「大丈夫、です」
「よ、良かった……!」
舌打ちをした女性が低い声でさらに呟く。
「
土が盛り上がり、2本、3本と根が増えていく。いくらシムフィが居るとはいえ、無数のそれに貫かれればネレスたちは間違いなく死んでしまうだろう。
(なんでこんな急に……そうか、薬作ったらあかんのやった……!)
オンディーラだって、それで殺されたではないか。
この女性が禁忌だと分かっていて薬を作ろうとしていたのなら、目撃者をすぐに消そうとするのも納得できる。迂闊だった。慌ててネレスは叫ぶ。
「待って、誰にも言わない! 私も作れるから協力するって言おうとしただけ!!」
「……は?」
青白い顔をした女性は、上げようとしていた手を止めた。「どういう、こと」と小さく呟く。
ネレスは飛び出しそうな心臓を押さえながら、ゆっくりと言葉を重ねた。
「私、薬を……作れる。貴方が採っていた植物のことも、全部分かる。でもそれじゃ、まともな薬にはならない。せいぜい喉の調子が良くなったり、体がぽかぽかするだけ。心当たりは、ない?」
「………………」
女性は唇を噛み締めた。図星だったようだ。
「こんなこと言ったら殺されるから、ここだけの秘密だけど、私なら……貴方の欲しいものを作れる。だから、話をしてくれないかな……」
「……本当に?」
「うん。なんで薬のことを知ってるかは、ちょっと……複雑な事情で、言えんけど……絶対に貴方のことは言わないって、約束する」
逡巡するように黙ったあと、彼女は吐息を震わせながら構えていた木の根を降ろし、土に戻した。シムフィが掴んでいた根も粒子になって消えていく。
「分かったわ。話をする。……焦っていたとはいえ、小さな女の子にすることじゃなかった。怖い思いをさせて、ごめんなさい」
「……や、私も言う順番が悪かったから……びっくりさせて、ごめん」
(……死ぬかと、思った)
ネレスは声が震えそうになるのを必死で抑えながら首を横に振る。
きっとお互いに、まだ怯えているのだろう。ぎこちない空気が漂うなか、女性が取り落とした籠を屈んで拾う。
「……まずは、自己紹介でもしようか。私はジーナ。貴方たちが訪ねてきたロレッタの妹よ」
「わ、私はネレス。ネレス、ネルヴィーノ。……黒髪の男性の、娘」
バラエナ辺境伯の名前を出したらまた面倒なことになりそうな気がしたので、ぼかして言う。案の定ジーナは苦虫を噛み潰したような顔をする。しかし、何も言うことはなかった。
「それで、薬を作れるんだっけ。私が摘んでたものの効能も言い当ててたけど……じゃあ、この葉っぱはどう? 今日初めて摘んだやつなんだけど」
「それは、なんの効果もないやつ……」
彼女は無言で籠から取り出した葉をポイと捨てた。そして深い溜息を吐く。
「……姉さんがね……ずっと熱を出してて。もう15日くらい下がらないの。でも教会のやつらは治療してくれないし、売ってる薬は痛み止めだっていうし。どんどん衰弱してるから、もう自分で作るしかないって思ったの」
「熱を下げる薬なら作れる、よ。……他に症状はある?」
「本当に……!?」
ネレスがこくりと頷くと、ジーナの瞳がかすかに潤んだ。
「あ、あと、食欲もなくって、喉が痛くて、度々吐いてる」
「うん、うん……なんやろ、胃が悪いんかな。それもこの森にある植物でなんとかなるはず……集めて、貴方の家で作っても、いい?」
「ええ。まだ完全に信じた訳じゃないけど……貴方のこと、信じたいって思う」
ジーナはシムフィにも視線を向けて「本当に、ごめんなさい」と謝る。彼女は「いえ」と短く首を横に振った。
シムフィはネレスが突然薬が作れるなどと言い出したことをどう思っているのだろうか。不安になって見上げる。
「シムフィ……」
「私は、お嬢様を守るし、信じる。大丈夫」
無表情のまま、それでもネレスを見つめる彼女の瞳は優しい色をしていた。ほっと体の力が抜ける。ネレスは唇をゆっくりと笑みの形にした。
「ありがと……じゃあ集めよ、か。まずはそこの赤い実から……」
「ちょっと待って、貴方それ毒だって言わなかった?」
「そ、そのまま食べたら毒だけど、煮てすり潰したら薬になる……」
「ええ、本当に……?」
また怪訝そうな顔をしたジーナに、ネレスは慌てて「ほんと! ほんとに!」と声を張った。
それからネレスが先導して、3人は森の中で植物を採取していった。
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