7.生鮮・後

「獲物をそのまま持ってくるなっていつも言ってるでしょ!」

「だって、新鮮」


 む、と白髪のメイド――シムフィが口をへの字に曲げる。脚を掴まれ、逆さに吊られた鳥の断面からは未だに血がぽたぽたと垂れ続けていた。新鮮にもほどがある。

 もう一度「元気になる。美味しい」と突き出され、キアーラが慌ててネレスの目を塞ぐ。


「お嬢様にそんなもの見せないでったら! ああ怖いものを見せてしまってすみませんお嬢様! この子悪気がある訳じゃないんです、ただすっごくその、考える前に行動するタイプなだけで……!」

「だっ、だいじょぶ、隠さなくていいよ……」


 発言から推察するに、彼女はネレスのために鳥を狩ってきてくれたのだろう。あの灰色と白が混ざった羽は見覚えがある。前世でたまに捕まえて食べていた鳥だ。適度に脂が乗っていて美味かったはず。


 な鳥を突然見たせいで驚いてしまったけれど、わざわざ狩ってきてくれたのなら受け取るべきだろう。

 目を覆っているキアーラの手を持ち上げつつ、ネレスはおずおずと微笑んだ。


「あ、ありがとう。捌いてみんなで食べよか……台、キッチンって借りれるかな……?」

「えっ、お嬢様捌けるんですか!?」

「エ!? あっ……アッ、ワ、ええっと……!」

(しまった! アホかワイ、幼女のネレスちゃんが鳥捌けたらおかしいやろ!)


 うっかり口を滑らせてしまった。視線を泳がせながら慌てて言い訳を考える。しかしキアーラは「すごいです!」とキラキラした瞳を向けた。


「ヘッ?」

「私、見るのは平気なんですけど、自分で捌くのはどうしても苦手なんですよね……なのに私よりとっても小さなお嬢様ができるなんて、本当にすごいし尊敬しちゃいます!」

「ア……そ、そう……なんだ」


 腕をぶんぶん振りながら褒められ、ネレスは顔を赤く染める。怪しまれなかったのは幸いだった。

 そもそも、彼女たちはネレスのことをどう認識しているのだろう。突然現れた主人の養子? それとも、海で拾われた謎の子供ということまで知っているのだろうか。何も分からないせいで、笑ってお茶を濁すことしかできない。


「キッチンで捌くと怒られちゃうので、ララジャのところに行きましょう! いつも彼に牧場で飼ってる子たちをお肉にしてもらってるんです」

「せ、専門の人がいるんだ……じゃ、じゃあその人に……」

「ララジャ、小さいのは捌いてくれない」


 鳥をぷらぷら揺らしつつシムフィが言う。同意するようにキアーラも頷いた。


「タウバスやスヴェみたいに、人より大きいくらいのサイズじゃないと嫌がるんです。だからこういうアウィは滅多に食べられないんですよ」

(エッ、その鳥アウィって言うの!? 待って全然知らん単語やめて、タウバスとスヴェイズ何。牧場で飼ってるやつか……?)


 すごく気になるのに、名前も知らない生き物を捌けるのかと怪しまれるのが怖くて尋ねられない。どこか嬉しそうな様子のメイドたちにネレスは「ふへ……」と情けない笑みを浮かべることしかできなかった。



 植物園や畑のある場所とは正反対の方向へ進むと、三角の屋根をした石造りの建物が見えてきた。あれがいわゆる屠畜場とちくじょうらしい。壁の上部に取り付けられた窓は開かれており、かすかに血の匂いがしたような気がする。

 ……隣にも血の匂いを漂わせたメイドがいるため、本当に気のせいかもしれない。


 鉄の扉を足で押し開けたシムフィへ、キアーラが「蹴らないの」と小声で叱る。建物の中を覗いた瞬間ネレスは小さく「デッ……」と声を上げた。

 ひんやりとした薄暗い空間に、自販機くらい大きな肉が3頭吊るされている。すごい存在感だ。いったい何の生き物なんだろう。


「ララジャ、いる?」

「いるよぉ~」


 キアーラの呼びかけに、吊るされた肉の影から青年がひょいと顔を出した。20前後くらいだろうか。ボサボサのオレンジ髪を後ろで結んだ、赤い瞳の若い男だ。

 眠そうな表情だったが、ネレスと目が合った瞬間「ああ~!」と指を差してきた。


「その子知ってる、お嬢様だ。なんでここにいんの!?」

「お嬢様がアウィを捌いてくれるの! だから場所を借りようと思って。いい?」

「えぇ……? いいけど……」


 ふらふらと寄ってきたララジャは、しゃがんでネレスと視線を合わせた。じっと無表情で見つめられている。

 気まずさに肩をすくめて「アッ、あの……ええ……あ……」と口籠る。彼はゆっくりと赤い目を細め、笑みを浮かべた。


「ちっちゃくてかわいーね。んじゃ、マフラーとコートは脱いどいて。エプロン貸したげるから。あと湯とナイフも持ってくるわ」

「エアッ、あ、ありがとう……?」


 頭の中で疑問符を浮かべながら「良かったですね!」とはしゃぐキアーラに頷く。鉄製の長いテーブルの端に脱いだコートとマフラーを置いて袖をまくり、用意してもらったエプロンを身に着けた。

 お湯の入った鍋と小型ナイフを持ってきた彼は、ネレスの姿を見て「よし」と頷いた。


「オレ、アルヴァロにお嬢様のことぜって~切るな燃やすな傷付けたら殺すって言われてんだ。だからアンタがうっかり怪我しないように見てるけど、オレのことは気にしないで」

「ウン!? ウン……わ、分かった……」

(いや何やったらパパ上にそんなこと言われんねん、コイツ怖いよ……!)


 本職らしき人につたない作業を見られる緊張と、得体のしれない男が近くにいる緊張のふたつが同時に襲ってきた。

 ララジャは小型ナイフをくるりと回し、持ち手をこちらへ差し出す。震える手で受け取ったものの、ネレスは今すぐ屋敷に戻りたかった。


 お湯につけて羽をむしる作業はいつの間にかシムフィがやってくれていたらしい。つるつるの状態になった鳥を彼女から受け取り、テーブルの上に置く。

 身長が足りないため用意してもらった踏み台に乗り、ネレスはナイフを構えた。今更帰るなんて言い出せる訳もない。こうなったらさっさと終わらせてしまおうと、息を吸って鋭い刃を突き立てた。


 5分後。

 無心で捌ききったネレスはふうと小さく溜息を吐く。特にミスはなかったはずだが、大丈夫だっただろうか。そう考えながら顔を上げた途端、拍手の音が響いた。


「すごいですお嬢様、とても早くありませんでした!? ねえララジャ!」

「うん、びっくりするくらい手際良かった。ちっちゃいのに偉いねえ~」

「や……へへ……」

(すいません中身は成人男性です……すいません……)


 褒められるのは嬉しいが、なんだかズルをしているようで素直に喜べない。目を逸らしながら曖昧に笑ってナイフを置く。しかし変なことはしていなかったようで良かった。

 各部位に分けられた肉は大皿の上に乗せてある。ララジャがそれをひょいを持ち上げた。


「じゃあオレ、向こうで塩振って焼いてくるわ」

「つまみ食いするな」

「する訳ないだろ。お嬢様はその間に着替えときな~」


 ひらひらと手を振って彼は奥にある部屋へ入っていった。シムフィが「つまみ食いしないか見張る」と言い、彼の後を追いかける。

 この近辺では水道が通っているらしく、近くにあった蛇口をひねって手を洗い、ネレスはキアーラにまたコートを着せてもらった。


「焼いたお肉、楽しみですねえ!」

「うん……そ、そういえばパ……お父様? は食べるかな……」

「ああっ、そうでした! お嬢様が捌いたって知ったらきっと喜んで食べますよ! 冷めないうちにお届けしたいですね……シムフィに届けてもらいましょう」

「シムフィに? ワ、私が行こうか……」


 女の子に届けさせるのも悪いしと考えたけれど「あの子、この中で一番足が速いので」と言われたため頷いた。鳥を狩ってきたことといい、シムフィは運動神経が良いのだろう。


 しばらくしてララジャが持ってきた肉は良い感じに焦げ目がつき、香ばしい匂いを漂わせていた。思わずごくりと唾を飲み込む。


「……お、お父様には、一番美味しいとこあげよ……」

「二番目に美味しいのはお嬢様の」

「ウン、ありがと……」


 骨付きのもも肉をひとつ包んでもらい、シムフィに渡す。カリカリの胸肉をくわえたまま、彼女は無表情ながら嬉しそうに「ひっひぇふふいってくる」と屠畜場から飛び出していった。


「やったー! 久々のアウィだ! ありがとうございますお嬢様!」

「い、いえいえ……どぞ……」

「オレももーらい。んん、うま」


 キアーラとララジャに続き、ネレスも借りたフォークで骨付きもも肉を刺す。肉汁の溢れるそれに小さな口でかぶりつき、思わずにっこり笑顔になった。


(うまーーい! 獲れたて焼きたての鳥肉、最高!)


 それから3人は、無言で熱々の肉を食べ続けた。



+++



「……すこし耳が遠くなったようだ。なんだって?」


 屋敷の執務室にて、アルヴァロは動かしていた手を止めシムフィに聞き返した。


「お嬢様がアウィを捌いてくれたから、お裾分け」

「……ネレスが?」

「そう。私が狩って、お嬢様が捌いて、ララジャが焼いた肉。食べて」


 ずい、と突き出された包みを思わず受け取る。手のひらに暖かさが伝わり、急いで届けに来てくれたのであろうことが分かる。

 しばらく目を丸くしていたアルヴァロだったが、突然肩を震わせて笑い始めた。


「ふふっ……あは、はは……! ありがとう、すぐに食べさせてもらう」

「ん。戻る。早く行かないと肉がなくなる」

「ああ、行っておいで」


 シムフィが飛び出していき、静かになった執務室でまた小さな笑い声が響く。

 包みの中を覗いたアルヴァロは、ゆっくりとそれを包みなおして胸に抱えた。まるで大切な宝物のように。


「そうだ、そうだった……」


 誰にも聞こえぬよう、ほとんど吐息のような声で囁く。


「貴方はそういう人だった――オンディーラ」

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