6.生鮮・前

 窓の外からカモメのような鳴き声が聞こえる、昼間。

 濃青のカーテンが開かれ、部屋には柔らかい陽光が差している。衣擦れの音とともに明るい声が響いた。


「よおし、できました。これで外でもばっちり暖かいですよ! 重くはありませんか?」

「だいじょぶ……あ、ありがとう」


 ネレスは着替えを手伝ってくれたキアーラに頷いた。

 何枚もスカートを重ね、コートを着せられ、毛皮のマフラーを巻かれた少女はさながら冬のスズメのようにモコモコしている。


 今日は屋敷の外を見て回る予定だった。しかしアルヴァロの仕事が忙しいらしく、キアーラと一緒に行くことになったのだ。そこで判明したのが、今はとても寒い時期であるということだった。

 屋敷の中はアルヴァロが魔法で気温を調節している。しかし彼から離れて外出するなら防寒具は必須らしい。


(そういや、数日前に来たオッサンが芽の月の半分とか言ってたもんな)


 この世界には四季の概念がなく、1年の中に葉・花・実・芽と呼ばれる4つの月がある。

 そして芽の月は真冬並みの寒さであったことをネレスは覚えていた。というより、前世で処刑された日も芽の月だったため覚えているどころの話ではない。


(嫌なこと思い出しちゃった……考えるな考えるな)

「それじゃあ行きましょう! 植物園からが良いんでしたよね」

「ウン……」

「手を繋いでおきましょうか、はぐれるといけませんから」

「ウ、ウン……!」


 突然差し出されたキアーラの小さな手に、ドギマギしながらモチモチの手で握り返す。思っていたよりも硬い。それでもしなやかで細い女性の手だ。(初めて女の子と手を……!)と頬を熱くしたが、ネレスも現在女の子である。

 男であった記憶が抜けきらない少女は、緊張で何度か転びそうになりながら隻眼のメイドと屋敷の外へ向かった。



+++



 玄関を抜けた先には美しい庭園があった。

 緻密に刈り込まれた木々に計算されて配置された花、華麗な彫刻の噴水と、物語の中でしか見たことのないような光景が広がっている。ぽかんと口を開けながらキアーラに手を引かれ、庭園の中を歩く。


「今はあんまり咲いてないですけど、葉の月から花の月にかけてはもーっとお花が咲くのでとっても綺麗なんですよ!」

「はぇ……これより……」

「ええ、もーっと!」


 キアーラが誇らしげに笑う。きっと驚くほど美しいのだろう。早くその月にならないかなあとネレスはぼんやり考えた。



 案内された植物園は思っていたより奇妙な形をしていた。石造りの四角い建物で、外からは中の様子が全く分からない。

 しかし扉を開けて入ってみると、視界が一気に緑色で染まった。天井がガラス張りになっており日光もふんだんに取り込まれている。ここもアルヴァロの魔法が掛かっているのだろうか、ほどよい気温だ。


 土と水、そして植物の匂いがする。花屋の前を通りがかった時の匂いみたいだ、と遠い昔の記憶が過ぎった。


「ここはアルヴァロ様がご自身でお世話している場所です。なんだかよく分からない植物がいっぱいあるので、気を付けてくださいね」

「わ、わかった……」


 そう言われると粗相をしそうで怖い。少々キアーラに寄り添い気味になりながら建物の中を見て回った。

 色とりどりの植物が揃っているが、どうにも見覚えがあるような気がする。鉢に植えられていたギザギザの葉を持つ植物を見て「……あれ?」とネレスは呟いた。


(これ……ギザギザくんやん)


 オンディーラだった頃、植物の名前が分からないため勝手にあだ名をつけて呼んでいた。ギザギザくんもその内のひとつだ。

 葉の先端にかけて緑から紫のグラデーションになっているのが特徴で、葉をすり潰して別の植物と混ぜ合わせ傷口に塗ると、軽い怪我なら1日で治ってしまうという代物だった。


(あれはシソもどきやし、あっちのは肉ウマ草、モサモサしてるアレはヘドバン……)


 そこかしこに薬作りや料理で重宝していた植物があることに気付き、ネレスは戸惑う。


「ネレスお嬢様、どうしたんですか?」

「え……と……この、植物園って……どういうものを集めてるの?」

「すみません、私もよく分からなくって。アルヴァロ様は趣味だって仰ってたんですけど、何でしょうねえ」

「趣味……」


 考え込むように顎へ手を当てた。

 もちろんネレスが知らない植物も同じくらいある。たまたまその『趣味』の範囲に知っている植物が含まれていたのだろうが……彼は、どういうつもりでこれらを集めたのだろう。観賞用にしては森などに生えている雑草ばかりだ。


(植物が好きとか……何かの研究用とか?)


 アルヴァロに対する謎が深まったけれど、あまり首を突っ込み過ぎないほうがいいだろう。下手に薬草の知識なんて披露したら前世の二の舞になりそうだ。知識と言っても自己流のものでしかないけれど。


「いっぱい、種類があったね……」

「そうですね! そろそろ畑に行きましょうか」


 小学生並みの感想を述べ、キアーラの言葉にこくりと頷く。植物園を出たとたん冷たい風が直撃して身震いした。



 次の目的地である畑へはすぐに着き、ネレスは感嘆の声を上げた。正方形に区分けされた綺麗な畑だ。

 全体的に、屋敷と庭園を合わせた広さふたつ分くらいはあるだろうか。しっかり育っていそうな野菜が整然と並び、使用人たちが世話をしている。

 前世で必死に耕していたごちゃ混ぜの畑を思い出してネレスは「ウッ」と泣きそうになった。


「屋敷で使う野菜はみんなここで作ってるんです。今は芽の月なので、甘くて美味しい根菜が収穫時期ですね」

「すご……あ、あの、魔法でいろんな季節の野菜とか、ニョキニョキって作れたりは……しないの?」


 首を傾げて尋ねると、キアーラはふふっと面白そうに笑った。


「時間や空間に干渉する魔法は禁じられているので、ニョキニョキっとはできないんです」

「そうなんだ……」

「ああでも、確かに温度を変えれば季節の違う野菜とかは作れそうですよね。今度アルヴァロ様に聞いてみましょう!」

「エッ、いや、言わなくても……間違ってるかもだし……」


 肩をすくめ、マフラーで口元を隠しながらモゴモゴと口籠る。魔法に関して素人なのに、頓珍漢なことをアルヴァロに言ってしまったら恥ずかしすぎる。

 視線を泳がせるネレスを微笑ましげに見つめて、キアーラは「大丈夫ですよ」と歌うように言った。繋いだ手をあやすように揺らされる。


「あの方は間違えたって怒りません。それにお嬢様にたくさん話しかけられたらきっと喜びますよ。あんなに嬉しそうなアルヴァロ様、初めて見ましたもの」

「エ……そうなの?」

「はい! アルヴァロ様はとても親切な方ですが、ずっとどこか暗い表情だったのが気になっていたんです。けれどお嬢様が屋敷に来た途端びっくりするほど元気になられて……お顔がキラキラしすぎて、ちょっと心臓に悪くて……」


 胸を押さえながら呻くキアーラに(分かる……めっちゃ分かるでその気持ち……!)とネレスはウンウン頷いた。


 しかしネレスを拾ってから急に元気になったとはどういうことだろう。最初はロリコンかと思っていた。けれどそれにしては欲がないような気がする。

 ミフェリルを嫌っていることから、どちらかといえばネレスがオプスマレスの加護を受けていることのほうが関係ありそうだ。


(その加護っていうのも意味分からんけど……もう考えれば考えるほど謎しかない。何やねんほんまに)

「と、ときめいてる場合じゃなかった……! ゴホン、すみませんお嬢様、そろそろ牧場に行きましょう!」

「う、うん」


 我に返ったらしいキアーラに頷く。そのとき「いた」と抑揚のない少女の声がした。


 振り返ると、そこには白髪のメイドが無表情で立っていた。彼女には見覚えがある。数日前に玄関で応対をしていた子だろうか。

 肩の辺りで切り揃えた髪に、アメジストのような瞳。神秘的な雰囲気で、胸元には紫色のリボンが結ばれている。キアーラは彼女に向かって「シムフィ!」と驚いたような声を上げた。


(アレッ、名前ちがくない? こないだはコン……コン……なんだっけ……)

「どうしてここに。今日は森に行くって言ってなかっ……ちょっと、あんた何持ってるの?」

「とった。お嬢様にあげる」


 名前を思い出そうと首をひねっていたネレスの前に、ずいっと突き出されたのは――首のない鳥の死体。


「うおわ!?」

「こ、こっ……コラーーーーッ!!」


 キアーラの初めて聞く怒鳴り声が辺りに響き渡った。

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