爆弾と傷痕の要件 2

 ぴちゃん。 

 牢の天井から水が滴り落ちて、石に跳ねる。

 あれからどのくらい経ったのだろう。この場所でうずくまっているだけだから、時間の感覚がよくわからない。

 頭の中で思考がぐるぐる巡っている。

 テロのこと。ミザクラ事件の真実。そして、ステラのこと。

 彼女はあの細い肩に、どれだけ重たい十字架を背負ってきたのだろう。

 過剰なほどの完璧主義と、とことん仕事にのめり込む性分。その本当の理由は……。

 ──ピピピピ。


「えっ、あっ、わっ」


 そのとき、メリアのポケットで魔法石が音を発した。常用している通信用の魔法石だ。すっかり存在を忘れていた。

 中空に黒髪の美女が浮かび上がる。


『あ、繋がった。メリアちゃん、元気?』


「う、うぁ」


『ずっとステラの石に発信してたんだけど、全然着信しないのよ。どこかで落としたのかしら。知ってる?』


「うわぁぁん、ジャルロッデざあぁぁん〜〜〜……っ!」


『あ、あらら?』


 いっぱいいっぱいのところに現れた上司の顔に、思わず涙が溢れる。メリアは嗚咽を堪え、必死で訴えた。


「わ、わたし、わたし、ステラせんぱいが大変なのに、でも何もできなくてえ」


『……よく分からないけど、大変だったみたいね』


 アドラステア特注部門の責任者が、メリアに向けて穏やかに微笑んだ。


『話を聞かせて。それから、ひとつだけ覚えておいてね。いい?』


「は、はい」


 画面の向こうで、シャルロッテが片目を瞑る。


『困ったときは、いつだって上司を頼ればいいのよ。新人さん』


  †


『テロリストから身柄引渡しの要求──ね。それで連れて行かれちゃったと。どのくらい前かわかる?』


「ごめんなさい、ボーッとしてて……でも、そんなに前じゃないと思います」


 画面の向こうから、空気が抜けるような甲高い音がした。汽笛?


「あれ? シャルロッテさん、もしかして汽車に乗ってたりしますか?」


『ええ。そっちと比べたら小規模だけど、こっちもちょっとした事件があってね』


「事件……?」


『アドラステアの在庫倉庫から、暗号化処理前の魔法石が盗まれたの』


 暗号化処理前の製品は、不法な改造を施すことができる。確かに事件だけれど、それとシャルロッテの行動が結びつかない。


『昨日の日中、不審者がミスドラスへ向かったって目撃証言があってね。ミスドラス市長に調査の依頼をしに行くところだったの。悪用されると、アドラステアの管理責任を問われることになるし』


「在庫管理なら、販売部門の担当じゃ……」


『販売部門にはその辺のツテがないから、ま、代理ね』


 いかにも慣れた様子で、シャルロッテが肩をすくめた。

 考えてみれば、この人もよく分からない人だ。

 オーダーメイドを受け持つ特注部門の部門長なのに、魔法の知識は皆無。なのに何故か、いつもたくさんの書類に囲まれている。フラッと執務室を出て、帰ってこないことも多い。

 ただ、ひとつだけ自信を持って言えるのは──

 この人が、ステラを大切にしているということだ。


『始発で出発したから、あと一時間足らずでそっちに着くわ』


 一時間。


『そうすれば、伯爵が馬鹿な真似をしないよう牽制できる。でも、その前にステラが引き渡されたらどうしようもないわね』


「そんな……」


 テロリストに屈するなんて、為政者としてはあり得ない選択肢だ。けれど、あの男ならやりかねない。その上、今のステラが抵抗するとは思えなかった。

 ステラは報復を受け入れようとしている。三〇〇人を殺害した罰として。


『メリアちゃんは、どうしたい?』


 シャルロッテの問いに、メリアはスカートの裾を掴んだ。どうしたいか? そんなの。そんなことは──決まってる。


「助けたいです」


 画面の向こうで、シャルロッテがニヤリと笑った。


『ええ。もちろんそうよね』


「でも、わたし今、地下牢に閉じ込められてて」


 メリアは頑丈な鉄格子を見上げた。

 ステラを連れ去ってから、見張り役さえいない。所詮、自分はオマケで捕まえただけ。どうでもいいのだろう。


『ちゃんと見えてるわよ。まったく、魔石技師を石の牢獄に閉じ込めるとか、馬鹿にするにも、程があるわよね。しかも杖も取り上げずに』


「え……?」


 メリアは自身の腰を見下ろして、ようやく気付いた。そうだ。確かに、杖を取り上げられてはいない。

 そしてここは、石で作られた地下牢だ。

 シャルロッテが、バルで夕食を注文するくらいのトーンで言った。


『とりあえず、脱獄しましょうか』


「い、いいんですか⁉︎ 一応わたし、市長の命令で捕まってるんですけどっ」


『王国刑法第一章第二項第一条。いかなる身分の者も、正当な理由なくこれを拘束、あるいは勾留することはできない。同法第九十五章第一項第一条。政務を執行するにあたり、これを暴行または脅迫行為によって阻害するものは三年以上五年未満の禁固刑または金貨五十枚以下の罰金刑に処す──メリアちゃんは、衛兵を殴ったり、伯爵を脅迫したりした?』


「してません! するわけないじゃないですか!」


『なら、その投獄は不当だわ。堂々とぶち破ってやりなさい』


 いいのだろうか。

 いや──いいとか悪いとか、そういう話じゃない。わたしがどうしたいか。。それだけだ。

 ならもう、答えは決まっていた。


「──はい! メリアドール・ウィスタリア、脱獄します!」


 腰のベルトから杖を引き抜く。

 シャルロッテの言うとおりだ。一端の魔石技師を石牢に閉じ込めるなんて、子供をお菓子の家に閉じ込めるような愚行。

 どうぞやりたい放題してください、と言っているようなものだ。

 先ほどまで膝を抱えていたのは、ただ単に、脱獄なんて選択肢が頭に浮かばなかっただけに過ぎない。


「【定義】──」


 床一面に魔法陣が浮かび上がる。


「──完了。【構築】──完了。【記述】──完了」


 ダスティ邸で用いた解錠魔法のような、複雑な魔法を構築する時間はない。メリアでも短時間で構築、記述が可能で、とにかくここから脱出ができればそれでいい。

 だから構築するのは、一番単純な魔法石。

 試験工程を割愛して、メリアは牢屋の奥に飛び退った。


「【稼働リリース!】


 魔力のパスが通る。瞬間、鉄格子を固定していた石にヒビが入り、砕け散った。

 ぐらぐら揺れる鉄格子を豪快に蹴飛ばす。轟音を立てて、鉄格子が外向きに倒れる。

 メリアは堂々と宣言した。


「脱獄、成功です!」


『そ、そう。思ったよりちょおーっと派手だったけど……まあ、とにかく脱出して、ステラを探しましょう』


「はいっ」


 冷たい石を蹴って、地上への階段を登る。

 行く手の先、わずかに空いたドアの隙間から、白い光が射し込んでいる。

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