エピローグ

 ミスドラスの医療院で魔法石を用いた高度治療を受けること一週間。王都に移動して、溜まっていた有給休暇を取得することもう一週間。

 ステラが二週間ぶりに工房へ出勤すると、執務室でメリアがめそめそしていた。


「うっ、うっ……終わらないよぅ、減らないよぅ……ステラ先輩は何をどうやってこんな背骨山脈みたいな書類を一人で捌いてたの……?」


「何してんですか」


「先輩⁉︎」


 ステラの存在に気づいたメリアが、くわっと目を見張る。「もう平気なんですか⁉︎」


「ええ。おかげで休暇も消化できました。これでもう、シャルにぐちぐち言われず働けますね」


「わあ……生粋の仕事中毒ワーカーホリック……!」


 恐れ慄くメリアの机に近づいて、ステラはうず高く積み上げられた書類の八割を自分の机に移した。


「あっ、えっ、そんなに?」


「医療院暮らしで頭が鈍ってんですよ。肩慣らしにちょうどいいです」


 羽根ペンを朱インクに浸して、企画書に書かれた雑な仕様を惨殺しつつ、ステラは気になっていたことを尋ねた。


「結局、あなたが私の対竜魔法を使って魔女と鉄鎧竜を撃退した……ってことでいいんですよね」


 メリアは目をパチパチさせた後、何故か不自然に視線を外して答えた。


「そ、そうですよ?……まあ、魔女さんは無事だと思いますけど……」


「そっちは別にどうでもいいんですが。あなた、よく無事でしたね。魔女相手に」


「あ、あはは。偶然です、偶然」


 相手は空間を操作する魔女だ。対竜魔法の発動前に石を奪う術など、いくらでもありそうなものだが。

 まあ、油断したのだろうか。この後輩が持つ、人畜無害そうな雰囲気に。


「あ、そうだ。クラウなんですけど」


「クラウ──ああ、ナッシュ氏の妹さんでしたっけ」

 

「今度、王都の王立学院に入学するそうですよ。魔法科に、奨学金で。つまりわたしの後輩です!」


「そうですか。別に興味ないです」


「冷たっ⁉︎」


 見舞いに訪れた衛兵長から聞いたことだが、あの後ナッシュは大人しく自首し、刑に服すことになったという。倉庫の破壊と、三件の爆破未遂。死傷者は出ていないとはいえ、長い服役になるだろう。

 なら、他に身寄りがないクラウの選択は最上に思える。メリアによれば彼女は魔法石を嫌っていたそうだが、何か心境の変化があったのだろう。ただ──


「よく受かりましたね」


「鉱物学の知識が認められたみたいです。魔法と石は、切っても切り離せないですから」


「鉱物学。あの子が?」


「……クラウは、捨石拾いの仕事をしていて。お兄さんから色々教わったって、言ってました」


「ああ」


 岩と火薬のことなら、街で一番だったか。

 きっと、そうして受け継がれていくのだ。知識や経験や、暗い夜道を照らす篝火のような何かが。

 ほんのわずかな間、郷愁に浸っていた。ふと気づくと、目の前にメリアが立っている。彼女の手には一枚の紙があった。


「レビュー、お願いします」


 ステラは紙を受け取り、隅々まで目を通してから言った。


「はい、OKです。お疲れ様でした。次工程に入ってください」


「わかりました! すぐに直しま──へっ?」


「なにか?」


「いえ……」


 一文字の訂正もなく帰ってきた成果物を手に、メリアは困惑したまま立ちすくんでいる。

 ステラはしばし迷い、眉間を揉み、目を逸らして、それからぼそりと呟くように言った。


「……よく書けています。特に魔力の熱変換式は工夫しましたね。依頼人も喜ぶでしょう」


 まだよくわかっていない顔の後輩に、仕方なく補足する。


「だから──その。つまり、よく頑張りましたね、ということです」


 あまりにも慣れない台詞を吐いたせいで、舌が攣りそうだ。

 それでもきちんと効果はあったらしく、飼い主に褒められた犬みたいに、後輩の顔が喜びに満ちていく。


「〜〜〜っ、……!!」


 無言で拳を握りしめるメリアから視線を外して、ステラは手元の資料に目を落とした。企画から回ってきた要件書だ。

 曰く、【光属性魔法による衣類の高速乾燥術式の件】。


「──はっ」


 そこに記された要件に目を通して、ステラは鼻で笑う。全身で喜びを表現していたメリアが、ギクリと謎の踊りを止めた。


「衣類乾燥目的でこの光量。さては起案者は新手の放火魔ですね? そもそも衣類素材と染色ごとの着火温度も知らずに要件定義を固めようってのが甘過ぎるんですよ速乾性にばかり目を向けているからそうなるんです火災事故を起こしたいならお前のローブでも燃やしてろ!」


 藍色の目が、紙の端に書かれた日付に止まった。


「げ。これ今日が期限じゃないですか。なら──」


 椅子を蹴って立ち上がる。

 資料を突き返していたら時間がない。直談判だ。どうせなら、魔法石事故の危険性が骨の髄に染みるまで徹底的にやってやる。


「せ、先輩? どこ行くんですか?」


「企画。未来の放火魔を屈服させに行ってきます」


「わ、わたしも着いていきます! あとできれば穏便に、ここはひとつ穏便にいきましょう!」


 応接室へ繋がる扉のドアノブを握りしめて、ステラは背後を振り返った。

 メモ帳を引っ掴んで、きょとんとしているメリアと視線が合う。


「……今回は、あなたに助けられましたね」


 ありがとうございます、とステラは軽くお辞儀をした。


「え?……え、あ、えっ⁉︎ ええっ⁉︎」


 あたふたと動揺する姿を見て、少しだけ口元が緩ぶ。

 これはあまり知られていない事実だが、悪名高い痩せ兎だってお礼くらいは言えるのだ。

 そのひと言が呼び水になったのか、つい、意図しない言葉が口を衝いた。


「あなたはきっと、いい魔石技師になりますよ」


 茶褐色の瞳が見開く。意外なほど長い睫毛の根本が、かすかに潤みを帯びた。


「……ほんとう、ですか?」


「私がお世辞を言うタイプに見えるなら、今すぐ目医者にかかることをお勧めしますが」


「いえそれは全然。まったく」


 ステラは自分より少しだけ高い位置にある頭へ手を伸ばして、焦茶の髪をくしゃりと撫でた。


「私が保証しますとも。だって私は、あなたの教育係メンターなんですから」


 メリアの顔に喜びが広がっていく。健康的な色をした頬が、高揚に赤らんだ。


「──す」


「す?」


「好きです、先輩……」


「は?」


 きらっきらの目で、メリアが迫ってくる。


「わたし、一生せんばいに着いていきますからっ! もっともっと、魔法のこと教えてください!」


「顔が近い距離が近い抱きつかないでください普通にキモいですあと一生はちょっと」


「ひどい⁉︎」


「ひどくねえ。だから、それは──つまり、さっさと一人前になってください、ってことです」


 抱きつこうとする後輩の頬を押し退けて、ステラはドアノブに手を掛けた。

 まだまだ教えなくてはいけない課題は無数にある。アドラステア魔石工房の一部は腐敗しているし、魔法石に反感を持つ者は少なくない。時間停止魔法の存在を知って、他の魔女が動き出すかもしれない。

 何より──きっといつか、過去の罪が私に追いつく。

 それでも。

 応接室から差し込む魔法石の光が、後輩の横顔を柔らかく照らした。


「先輩、わたし、頑張りますから!」


 無垢な宣言に、確かな信頼と、仄かな既視感を感じて。

 なんだか少しだけ、あの人の背中に近づけた気がした。

 

 (完)

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魔女曰く、ステラ・ディーヴァの要件定義は。 深水紅茶(リプトン) @liptonsousaku

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