反撃と魔女の要件 7
シュウウウ、と気が抜けるような音と共に、周囲に煙幕が立ち昇る。グリザリアが足を止めた。足音。誰かが、ステラの矮躯を抱きかかえる。
いや違う。誰か、じゃない。これは。
「お待たせしました、ステラ先輩っ」
「メリア?」
ステラが驚愕に目を見開く。
「あなた、何で戻って」
「術式をクラッキングして解除したんです。あと、喋っちゃ駄目です」
「……クラッキング? そんな高度なこと、あなたが……?」
「ごめんなさい、先輩」
メリアはポケットから睡眠誘導用の魔法石を取り出して、ステラの胸へ押し当てた。
とうに限界を迎えていた藍色の瞳は、たやすく焦点を見失う。瞼が落ちたことを確認して、メリアはステラを丁重に岩へ寝かせた。
「少しだけ、休んでいてくださいね」
立ち上がり、グリザリアへと向き直る。
メリアの手には、杖がある。
ただ、杖だけがある。
「空間の魔女、グリザリア・《サフィルス》・モールテッドですね」
煙が晴れる。横合いから現れたメリアの言葉に、魔女は怪訝な顔をした。
「誰から聞いたの、私の真名」
「母から、寝物語に」
「……母?」
「色んな話を聞きました。母が亡くなるまでの間に」
メリアは指を折りながら、歌うように言った。
「演繹の魔女。鋳鉄の魔女。治水の魔女。仮想の魔女。瀉血の魔女……そして、空間の魔女」
グリザリアの足が、わずかに下がった。
「あなたの空間操作魔法は、対象を直接傷つけることができないんですよね。だから硬い竜忌石を壊すために魔法石が必要だったし、ステラ先輩を傷つけるためにナイフなんか使っている」
「お前──何? お前の母親って、」
「伝道の魔女。アニマ・《ルブルム》・ウィスタリア」
青く光る瞳が、これ以上ないほどに見開かれた。
「ア──アニマ姐様の、娘?」
「そんなに驚くことですか? 魔女だって、結婚して子供を産むこともありますよね」
メリアの母、アニマは二十歳頃に石革命を起こした。しばらく各地を転々としながら魔法の原理原則を伝道した後、薬師の修行を始め、三十五歳でメリアを出産したそうだ。
自身を含むすべての魔女から「魔法」という特権を奪ったことで、一部の魔女からは蛇蝎のごとく恨まれたという。
父の早逝も、治らぬ病も、もしかしたら他の魔女の呪いだったのかもしれない。
「う、嘘だわ」
「本当ですよ。疑うなら、ちゃんと見せてあげます」
メリアは前髪を掻き上げ、グリザリアを睨めつけた。
生まれつき瞳孔に刻まれている術式に魔力を流すことで、魔女の眼は宝石がごとくに輝く。
ありふれた茶褐色だったメリアの両目は、今、鮮やかな薄紅色に変わっていた。
「メリアドール・《ロゼ》・ウィスタリア。アドラステア魔石工房所属、特注部門の新人魔石技師です」
「ふざけないで!!」
グリザリアが激昂した。
「正統の血を引く魔女が、どうして玩具を作っているの⁉︎ 私たちには力があるわ! 真の魔法が! 奇跡を振るい、世界を変えるだけの力が!」
ヒステリックな叫びが、夜のしじまを引き裂く。
メリアはそっと口を開いた。
「変えられませんよ」
「……あ?」
「魔女は、世界を変えられません。世界をよい方向に進めることができるのは、少数が持つ奇跡なんかじゃない。誰もが使える道具です」
それがわかっていたから。
アニマは──母は、石革命を起こしたのだ。世界に、魔法石という道具を広めるために。
本物の魔法と比べて、魔法石は非力だ。
融通が効かない。工数がかかる。石を買う費用もかかる。ときには不具合も起こす。
でも、誰にでも扱える、世界を前へ進める力だ。
「だからわたしは、魔石技師になるんです。魔女じゃなくて、ステラ先輩みたいな魔石技師に」
「──あなた、
「
後悔を噛み締め、現実を見据えて、それでも理想を追い求めてもがく背中。
ステラ・ディーヴァが、メリアの目標だ。
断じて、目の前にいるような魔女じゃない。
「もういい。価値観が違いすぎて目眩がするわ?」
「そうですか。残念です」
グリザリアが杖を手に取る。
慎重さを信条とする彼女は、次に取る行動をもう決めていた。アニマの娘が使う魔法は不明。ならばもう、あとは鉄鎧竜に任せてしまえばいい。取り逃すかもしれないが、それなら次の機会を伺うだけだ。
杖を振り下ろす。空間が縦に裂ける。
「さよなら。また今度、会いましょうね」
「させません」
メリアが杖を振るった。
瞬間、開きかけていた裂け目が弾けた。グリザリアが瞠目する。
「わたしの固有魔法、魔石技師のお仕事には全然役に立たないんですよ。むしろ邪魔っていうか、そういう感じなんですけど」
「今のは……」
「でも今は、ちょっとだけ感謝してます」
メリアは足元にしゃがみ込んで、ステラが取り落とした大粒の金剛石を拾った。
グリザリアの声が大きくて助かった。この石が、ミザクラとステラが構築した対竜魔法。その改修版。
「術式の阻害……いや、式を改変された……?」
「母によれば、わたしは『欠陥の魔女』だそうですよ」
他者が構築した術式に介入し、不具合を発生させる。バグを仕込む。誤作動を、エラーを、障害を引き起こす。それが
苦虫を噛み締めたように、グリザリアが吐き捨てる。
「史上最悪の魔女だわ」
「わたしもそう思います」
時間停止魔法に記述された術式を思い出す。金剛石の中に刻まれた、完璧な絵画のような【構築】。一糸の乱れもない【記述】。完成された術式は、ある種の美しさを内包する。
魔女としてメリアができるのは、それを掻き回して、ぐちゃぐちゃの台無しにすることだけだ。
だからどうしても、この力は好きになれない。何かを出鱈目に壊す力より、美しいものを創る力のほうが輝かしいに決まってる。母のように。ステラのように。
それでも、今はこんな力が役に立つ。
メリアは対竜魔法が記述された金剛石を握りしめて、真っ直ぐにグリザリアへと突きつけた。
術式を阻害されてしまっては、いかな空間魔法でも逃げられない。
額に汗を流しながら、グリザリアが言った。
「その石は、そこの魔石技師が直したものよ。きっとまだ、考慮漏れが残っているわ? 不具合が起きたら責任を取れるの? もし何かあれば、ミスドラスの街に被害が──」
「出ません。絶対に大丈夫だって、わたし、信じてますから」
一〇〇パーセントの確信を持って、メリアは答えた。
たとえステラが自分自身を疑っていたって、メリアは信じている。ただ一度の過ちではなく、幾度も目の当たりにした背中を信じている。
だから迷わずに、指先に力を込めた。
「知らないなら教えてあげます。わたしの
──【
いつかメリアを救った光が、再び、夜天を白く貫いた。
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