反撃と魔女の要件 4

「兄さん!」


 塔内の螺旋階段へ続くドアが、跳ね開いた。

 現れたのはクラウだ。走って登ってきたのだろう。肩で息をしている。


「兄さん、やばい! 衛兵っぽい連中が集まってる!」


 クラウの視線がグリザリアへ向く。彼女はグリザリアのことを知らない。


「あんたが、兄さんの言ってた協力者?」


 ナッシュはクラウの肩を掴んで、自身のほうへ引き寄せた。


「クラウ、逃げるぞ」


「でも、下には衛兵が」


「それどころじゃない! この女は、街に竜を呼ぶ気だ! お前だけでも、早く郊外に──」


 ピシリと、何かが割れる音がした。

 微笑むグリザリアの右手が、竜忌岩に触れていた。

 ほぼ同時に、再び螺旋階段へ続く扉が開く。

 現れたのは、身の丈に合わない燕脂のローブを羽織り、今にも死にそうなほど息を切らせた銀髪の魔石技師と──

 何故かメイド服を着た、クラウの友達だった。


  †


 螺旋階段を駆け上がるメリアの背後で、ステラが苦しげな悲鳴を上げた。


「ちょっ、と、メリア、早い」


「急がなきゃ不味いんですよね⁉︎」


「そ、ですけど、デスクワーカーに、これは、ちょっと、」


 市庁舎に残っていた数名の衛兵と衛兵長、そしてステラとメリアは、即座に鐘楼へと向かった。伯爵の石車を使っての急行だったが、途中で妨害にあった。

 横合いから、馬車が突っ込んできたのだ。それだけに留まらず、酔っぱらいやごろつきが次々に集まってきた。

 多分、【黒曜会】の構成員なのだろう。彼らは武器を携えた衛兵長たちに群がり、強引に剣を奪おうとした。

 衛兵側としても、無闇に切り伏せるわけにはいかない。押し合いを尻目に抜け出したメリアとステラが、結局、一番早く鐘楼へ到着した。



「はっ……ひっ……ひっ、ふ……」


「ああもう、朝の業務に体操とランニングを足しましょう! 従業員の健康維持のために!」

 

 メリアは踵を返して、今にも座り込みそうなステラの手を掴んだ。


「それは、断固、拒否、します」


「うるさい! 行きますよ!」


 手を引いたまま強引に階段を走り抜け、竜忌岩がある展望台へ続く扉を開け放つ。

 そこには三人の人物がいた。

 ナッシュ。クラウ。そして──岩石崩しを手に嵌めた、蜂蜜色の髪の女だ。

 女の右手は、しっかりと竜忌岩へ触れていた。


「間に合わなかった……?」


 呆然とするメリアと。


「メリア? どうしてキミがここに?」


 混乱するクラウと。


「本当にやりやがった。お終いだ……」


 蒼白になるナッシュと。


「……。」


 肩で息をしながら、無言で「敵」を睨みつけるステラと。


「ふふ」


 艶笑を浮かべる女の視線が、幾重にも交錯する。

 最初に沈黙を破ったのは、ようやく呼吸を整えたステラだった。


「あなたが【黒曜会】の親玉ですか」


「そうね。まあ、そういうことになるわね」


「目的は竜忌岩の破壊。それだけにしては、随分と手の込んだことをしましたね」


「そうでもないわ? あなたとミザクラの首が欲しかったのは本当よ。竜忌岩の破壊は、あくまで次善ね」


 予想外の答えだったのか、ステラがわずかに瞠目した。


「あなた、何者です?」


「そう尋ねられると、案外答え難いものね」


 女は随分と真剣に考え、ややあってから答えた。


「かつての既得権益者」


「……は?」


「あるいは、再起を狙う商売敵かしら」


 メリアには、彼女が意図するところは読み解けなかった。

 けれどステラは心当たりがあるのか、零れ落ちそうなくらいに青い両目を見開いている。


「あなた、まさか──本物の」


 女が右手を上げた。その手には【杖】があり、しかし【石】は何処にもない。


「では精々頑張ってね、ミザクラの弟子」


 女が杖を振り下ろした。空間そのものに鋏を入れたかのように、景色に亀裂が入る。ひび割れから黒い隙間が生まれ、すぐに女の全身を飲み込んだ。

 空間を操作する魔法。

 ステラが実現した時間操作魔法と並ぶ、奇跡の中の奇跡。魔法の中の魔法。

 そして、石を用いずに魔法を生み出すことができるのは、魔石技師ではなく、本物の──


「ステラ先輩、今のって」


「……今は目の前の問題を優先しましょう」


 這いつくばるナッシュの脇を通り過ぎたステラが、西の鉱山に視線を投げた。ここからでも、剥き出しの岩肌が見える。

 山の一部が僅かに動いた。

 快哉を叫ぶような咆哮が、大気を震わせる。




 †


 竜忌岩の機能が停止した事実は、あっという間に街中へ広まった。

 ミスドラスの街は大混乱へ陥り、衛兵の大多数は事態の収拾に追われている。

 役人たちにも帰宅指示がなされ、市庁舎に残っているのは以下の者のみ。

 メリアドール・ウィスタリア。

 ステラ・ディーヴァ。

 シャルロッテ・ヒースバーン。

 バーンウッド伯爵。

 衛兵長。

 そして、あの場から連れてこられたナッシュとクラウだ。ナッシュについては、両腕を縄で結ばれて拘束されている。


「現状を整理しましょう」


 ステラが前へ歩み出て、口火を切った。


「竜忌岩は物理破損によって復旧措置は不可。現在、これに伴い、西の廃鉱山に棲みついていた鉄鎧竜の行動が活発化。下山して街に侵入する恐れがある」


 ステラの視線に応えて、衛兵長が声を発する。


「物見塔に配置している部下から連絡がありました。竜の現在地は山の中腹。今はまだ街の様子を伺っているようです」


「避難の状況はどうですか?」


「汽車の発着場は人が集まりすぎて混乱しています。刃傷沙汰になりかねないと判断し、運行自体を停止しました」


「やむなしですが、つまり街からの脱出手段は存在しない、と。バーンウッド卿、王都から騎士団の派遣は? さすがに【王笏】の貸出許可出ましたよね?」


「当然だ。だが、大陸南部でも竜が出現していて、そちらの討伐に派遣されているらしい。今から急がせても、到着は翌朝になるそうだ」


「この状況で一晩か……」


 衛兵長は暗い顔を隠さない。


「鉄鎧竜は普段、廃鉱に篭っている。光を嫌うからだ。だが、夜になれば降りてくるぞ」


「で、しょうねえ」


 執務室の空気が鉛のように重くなる。

 日没から【王笏】が届くまでの間、街にどれほどの被害が出るか。考えるだけでも気が滅入りそうだ。衛兵総出で戦うという選択肢もあるにはあるが、高位竜相手では一蹴されるのがオチだろう。


「ならもう、打つ手はひとつだけですね」


 全員の視線がステラに集中した。

 手元の杖をくるくると回しながら、銀髪の魔石技師が宣言する。


「翌朝まで、私が足止めします」


「……は⁉︎」


 その瞬間、メリアは席を蹴って立ち上がっていた。


「な、何言ってるんですか⁉︎ 先輩、魔石技師ですよね⁉︎」


「ええ、そうですね。超絶デスクワーカーですね」


「む、無茶言わないでくださいよ。魔石技師が竜と戦えるわけないじゃないですか」


「戦うわけないでしょうが。私は足止めすると言ったんです」


 ステラが中空に術式を描く。魔法開発四工程のうち二工程を瞬時に終わらせる、紛れもない神域技だ。


「廃鉱山であれば、術式を刻む石にはこと欠きません。そこら中を魔法石に変えてやれば、さすがの高位竜も難儀するでしょう」


 幸い鉄鎧竜は飛行しませんしね、とステラが平然と語る。

 メリアは、唖然として尋ねた。


「どうして、そこまでするんですか? またヤケになってるんですか? だって、だって先輩、死んじゃうかもしれないのに」


 藍色の瞳が、二度瞬く。


「大した理由じゃありませんよ。ただ──」


 ほんの僅かに口元を緩めて、ステラは言った。


「ここで何もしなかったら、二度とミザクラ先生に顔向けできない。それだけです」


 その瞬間、ステラの姿が、まるで似ていないはずの母に重なった。


 ──今でも、心の中にあの人がいて、ときどき叱ってくるのよ。


 ああ──そうか。そういうことなんだ。

 あの日の母の言葉を、メリアは今、本当の意味で理解した。

 母の心の中には、薬師の師匠がいて。

 ステラの心の中には、ミザクラ・ストレリチアがいて。

 じゃあ、自分の心には、誰がいるのだろう。弱くて情けなくて、挫けてしまいそうな自分が怠けてしまわないよう、誰が見ていてくれるのだろう。

 ──そんなことは。

 もう、とっくに決まっていた。


「じゃあ、わたしも行きます」


 当たり前のように、メリアはそう告げた。

 

 ──いつかメリアにも、きっとわかるわ。あなたが、心から尊敬できる人を見つけたときに。


 うん。

 わかったよ、ママ。


「……メリア?」


「この橋を渡らせてください。わたしは、わたしの教育係メンターに恥じない、本物の魔石技師になりたいです」


 ステラは瞠目し、それからついと目を逸らした。


「やめてください。私に付き合う必要なんてありません」


「いやです。一緒に考えさせてください。ステラ先輩の言う、最善の妥協案を」


「死ぬかもしれないっつってんですよ」


「先輩だって同じですっていうかむしろ先輩ぜんぜん運動できないじゃないですか。先に死ぬのは多分先輩だと思います」


「私は死にません。天才なので」


「鐘楼登るだけであの様だったくせに!」


「あぁん? あれはむしろあなたが──」


「ま、待ってくれ!!」


 割って入るように叫んだのは、部屋の隅で屈んでいたナッシュだった。


「俺も、俺もつれていってくれ。西の廃坑なら、俺の庭みたいなもんだ。道案内は必要だろ」


 部屋中の視線がナッシュに集まる。伯爵や衛兵長が彼へ向ける視線は、当然のように冷淡だ。

 伯爵が、疑わしさを隠さずに言う。


「その『庭』で、上手いこと逃げ出すつもりか?」


「違う! 信じてくれとは言えないが、本当に協力したいんだ。これは、俺が招いたことだから……」


「兄さん……」


 ちらりと横目でクラウを見て、ナッシュは続けた。


「罪滅ぼしをしたいわけじゃない。ただ──ただ、俺は生まれた時からこの街の住人で、クラウの兄貴なんだ。それだけだ。それだけなんだよ……」


 部屋中の視線がステラに集中する。銀髪の魔石技師は、これみよがしに深いため息をついた。


「──まったく、どいつもこいつも……」


 杖の先をこめかみに当て、それから色素の薄い唇を引き結ぶ。


「日没まで、まだ時間はあります。皆で考えましょうか。ままならない現実を、一歩でも理想へ近づけるために」

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