反撃と魔女の要件 5
シャルロッテや伯爵も加わり、侃侃諤諤の議論が始まった。数十分の間にあらゆる案が提示され、同じ数だけ却下された。
衛兵長を強化して正面対決、攻撃魔法を構築して遠距離から砲撃、毒餌を与える、害獣用の罠と魔法石の併用、落とし穴を掘る……。
その中で唯一、実現性があると判断された案が──
「人工的に地滑りを起こす」
というものだった。
西の廃鉱山は採掘作業の効率化のために木々が伐採されており、つまりは禿山となっている。こういった地形は、木々が生えた山よりも地滑りを起こしやすい。ましてや坑道が空いていればなおさらだ。
「ナッシュ氏が盗んできた岩石崩しを使い、坑道内の岩盤を破壊する。意図的に崩落を起こし、地滑りによって鉄鎧竜を生き埋めにする」
「もちろん、高位竜にトドメを刺すには至らないですけど──【王笏】到着までの時間は稼げます!」
ステラの言葉をメリアが引き取る。衛兵長が腕を組んだ。
「問題は、どう避難するかですね。坑道の奥で岩盤を破壊して、どの程度持つかはわかりませんが……一刻も早く、地滑りの圏外へ脱出する必要がある」
「人事を尽くして、なお届かない空白を埋める。そのための魔法ですよ。さて──」
ステラが杖を構えたとき、市庁舎の窓硝子が震えた。百里先まで届くと言われる、竜の咆哮だ。
「……急ぎましょう。魔法石の開発は、道中と現地で行います」
ステラが執務室の扉へ向かう。後を追うメリアに、クラウが近づいた。
「メリア、これ」
クラウが差し出したのは、細い紐がついた小さな球体だった。
「これは?」
「煙玉。さっき、兄さんと衛兵から逃げるときに使った残り。役に立つかわかんないけど」
クラウはメリアを真っ直ぐに見つめて、渡した煙玉ごとその手を握りしめた。
「兄さんのこと、止めてくれてありがとう。ボクは、なにもできなかったから」
メリアだって、大したことができたわけじゃない。けれどクラウは、そう考えてはいないようだ。
「今だって、本当はついていきたいんだ。でも、足手纏いにしかならないから」
鳶色の目に涙が滲む。
「ボクも、何かができたらいいのに。剣が使えたり、魔法が使えたらよかったのに」
違う。メリアだって、何の力もない。ステラのそばにいて、何度も自分に才能が足りないことを痛感した。才能だけじゃない。努力も、経験も、何もかもだ。
でも。
「これからだよ、クラウ」
メリアは涙を浮かべたクラウの肩に手を回して、軽くハグをした。
「わたしたちは、これからなんだよ」
泣きじゃくるクラウと離れる。今度は伯爵がやってきて、メリアに金属の箱を渡した。
蓋を開けると、眩いほどの宝石が詰まっていた。
「返さなくていい。君たちの好きにつかってくれ」
伯爵は丁寧に頭を下げ、「どうか、ミスドラスを頼みます」と言った。
四人は市庁舎を後にして、伯爵の私用石車へ乗り込んだ。運転席には衛兵長が座る。メリアとステラは後部座席に乗り込み、揺れる車内で伯爵から渡された宝石箱を開けた。
「これだけの
愚痴りながらも、ステラは凄まじい速度でコランダムに術式を記述していく。
「まあ魔法石開発なんて大体そんなもんですけど。石が無いか時間が無いか。あるいはその両方か」
「ほんと、そうですね。無限にお金と時間があればいいのに」
「そっち、チェックします。見せて」
「はい」
メリアが石に書き込んだ術式を確かめて、ステラがぼそっと言った。
「綺麗な式を書くようになりましたね」
「……えっ?」
聞き間違いだろうか。でも今、確かに。
「先輩、今なんて」
「はやく作業続けてください」
「先輩、もう一回お願いします!」
「作業しろ」
「もう一声!」
「しれっと要求を上げるな」
金、時間、技術。すべてがあれば、魔法はなんでもできる。
でも、それは理想だ。いつだって現実はままならない。
定義、構築、記述、試験。
ひとつひとつ、工程を進めていく。ステラのような神がかった加工技術はなくても、できることはある。
今、やれることをやろう。一歩ずつ歩む道の遥か先にきっと、この人がいる。
†
月並みな表現だが、高位竜とは生ける災厄のそのものだ。
鉄鎧竜。
全長は鐘楼と同程度で、全身に鋼の鱗を纏った大蛇だ。吐き出す
「──できました」
竜が潜む坑道入り口を見下ろす崖の上で、静かにステラが宣言した。
燃えるように赤い夕日が、山際に差し掛かっている。そろそろ鉄鎧竜が本格的に活動を始める時間だ。
間に合った。一つ目の関門はクリアできた。
次は──
「爆弾の設置も終わったぞ」
藪に戻ってきたナッシュが言った。
地滑りを起こすには、廃坑内部に露出している岩盤を砕かなくてはいけない。そのためには、入り口を塞いでいる鉄鎧竜を外に出し、留めおく必要がある。
用いるのは、ナッシュが魔法石店に仕掛けた爆弾だ。結局起爆されることのなかった三つのスーツケースを回収し、坑道の外に設置した。もちろん、結界魔法の石は取り外して。
爆破によって注意を引き、坑道から引き摺り出す。
竜は賢く注意深く、また誇り高い生き物だ。縄張り内で異常が起これば、必ず確認に出てくるはず……。
ナッシュは起爆用の魔法石を取り出し、握りしめた。二人が頷くのを見て、魔力を励起する。
轟音。
耳をつんざくような音と、空気を震わせるほどの衝撃が走る。凄まじい威力に、思わずメリアは身震いした。
「これ、直接竜に喰らわせたらよかったんじゃ」
「まさか。鉄鎧竜にはこの程度、効きませんよ」
メリアの思いつきをステラが切り捨てる。でも、きっとそうなのだろう。人の力が及ばないからこその高位竜だ。
シュラシュラと、何がが擦れ合う音がした。廃坑の奥から巨大な気配が近づいてくる。
メリアは密かに生唾を飲み込んだ。竜。
種別は違えど、かつて故郷を滅ぼそうとした生き物が近づいてくる。
震える足に拳を振り下ろした。怯えるな。この橋を渡る。そう決めたのは、他でもない自分自身だ。
「でけえ……」
ナッシュがうめいた。
鉄鎧竜が、その巨躯を露わにしていた。
大樹を三本束ねたような太い身体に、波打つ蛇腹。逆立つ銀の鱗は夕日を浴びて燃えるように赤く輝き、吐く息はかすかに白く煙る。
そして、深く裂けた顎。四つ足の獣さえ丸呑みできそうな。
藪の中に、固い唾を飲む音がした。それが自身のものか、他の誰かのものかさえ、メリアには分からない。
低い声でステラが言った。
「行きましょう。
ステラの歩みに、メリアとナッシュが続く。
坑道の中はしんと冷えていたが、足元は粘性のある液体に濡れていた。鉄鎧竜の分泌液だろう。
市販されている照明用の魔法石を手に、ナッシュが先導する。
「地滑りを起こそうってんなら、適当に岩を崩しても駄目だ」
議論の最中に彼が言ったことだ。
「どんな山にも、要になってる岩がある。そいつを崩さないと」
ナッシュは、自分ならそこへ案内できると宣言した。
やがて彼は、ある岩の前で足を止めた。何の変哲もない、灰色の平たい岩だ。
「ここだ。この岩を崩せば、この斜面は地滑りを起こす」
「へええ、普通の岩にしか見えないですね……」
岩肌を撫でるメリアに、ナッシュは苦笑を浮かべた。
「だよな。でも、間違いない。大事なのは、どの岩を壊すかじゃない。どの岩を壊さないか、なんだ。どんな山にも、絶対に壊しちゃいけない要石があるんだよ」
「さすが、発破技師ですね!」
無邪気なメリアの言葉に、ナッシュは目を見開いた。
「いや、俺は……違うんだ」
「なにがですか? クラウさんが、ナッシュさんは街一番の発破技師だって」
「クラウが?」
ナッシュは静かに唇を噛み締めた。メリアはそれを不思議に思う。自分は何か間違えただろうか?
「……そうだな。俺は、発破技師だ。岩と火薬のことなら、街で誰より詳しくて──なのに、何でこんなことになっちまったんだろうな」
「ナッシュさん?」
「あんな女の言葉に、耳を傾けるべきじゃなかった。俺が聞くべき言葉は、もっと他にあったはずなのに」
日に焼けた頬を涙が伝う。
「わかってたんだ。本当は。仕事が見つからないのは、俺が酒浸りだったせいだ。岩石崩しなんて関係ない。発破の知識だって、採掘仕事の経験だって、探せばもっと、活かせる仕事はあったはずなんだ。俺は、変わることが怖くて、目を逸らして……畜生」
ちくしょう、とナッシュが岩を殴りつける。皮膚が破れて、血が飛んだ。
「ナッシュさん……」
「今さら」
慌てるメリアをよそに、ステラが黒い手袋をつけながら口を開く。
「あなたが何をしようと、罪は罪です。善行は、罪を相殺してはくれません」
「……ああ、分かってる」
「ステラ先輩!」
「ですが」
ステラの右手が──岩石崩しが、巨岩に触れた。
「罪もまた、善行をなかったことにはしない──らしいですよ。私もつい最近、お節介な後輩に教わったんですけど」
岩にヒビが入り、音を立てて崩れていく。
「あなたはテロリストで、犯罪者です。そして同時に、この街を救おうとした発破技師です」
ステラの言葉に、ナッシュは瞠目した。もう涙は止まっている。
静かな声で、ステラが言った。
「罪も誇りも抱えて、手の届く範囲の最善を希求して、それでも届かないことを愚痴りながら、やっぱり生きていくしかないんです。あなたも、私も──きっと、誰もが」
要石を砕かれた廃坑が、かすかに震えた。「脱出しましょう!」メリアが叫び、三人は入口へ向かって走り出す。
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