反撃と魔女の要件 3
混乱したまま直販店を出て、近くに待機していた私服姿の衛兵に成功を伝えた。
メリアはなるべく遠回りをしながら、市庁舎へ帰った。成功を知ったステラはすみやかに三箇所の結界魔法を起動させ、伯爵は露骨に胸を撫で下ろした。
同時に、衛兵が一人駆け込んでくる。
報告内容は簡潔だった。爆薬が入ったスーツケースのそばにいた男と少女──ナッシュとクラウを取り逃した、というものだ。
衛兵が近づくのを見て、爆弾を置いて一目散に逃亡したらしい。追跡したが、妨害が入ったという。
「とはいえ顔も身元も割れていますから、捕まるのは時間の問題かと」
「そうか。とにかく、これで一安心だな」
本当にそうだろうか?
よくやってくれた素晴らしい勇気だ君こそ王国民の鑑だ、という伯爵の賛辞を聞き流しながら、メリアは執務机に広げられた市街地図を見下ろした。
三箇所のバツ印と、明け方に爆発された在庫倉庫。探知魔法によれば爆弾はもうない。それは確かだが……。
同じように地図を見下ろしていたステラが、ぽつりと呟いた。
「偏っている」
それだ。
メリアが覚えた違和感は、つまりそういうことだった。バツ印は、すべて街の西側に集中している。
伯爵が困惑したように呟いた。
「偶然だろう?」
「そうかもしれませんね。ですが、トラブルに際しては常に最悪の想定をすべきです」
つまり、とステラは言葉を続けた。
「この偏りは意図的であり、かつ、それを理解できていない我々は現状、後手に回っていると」
沈黙の帷が降りる。
ふと、メリアはナッシュと出会ったときのことを思い出した。汽車の荷台から落ちた紙袋に入っていた手袋。ステラによれば、あれはアドラステアの人気商品「岩石崩し」だという。
そして、シャルロッテがミスドラス行きの汽車に乗り込んだ理由。最終工程前の製品が盗まれたと言っていた。
これは偶然だろうか──いや。
「シャルロッテさん。もしかして、アドラステアから盗まれたのって、『岩石崩し』ですか?」
シャルロッテが目を丸くした。
「どうして知ってるの? 私、言ってなかったと思うけど」
やはり。あのときナッシュは、アドラステアから暗号化措置前の「岩石崩し」を盗み出し、ミスドラスへ戻る最中だったのだ。
暗号化措置を施される前の製品は、術式を書き換えることができる。だから例えば、セキュリティ構文を削除することだってできる。
アドラステア魔石工房の正規品には、人や魔法石を対象にできないようプロテクトが掛かっている。あえてリスクを冒して製品を盗み出したのが、術式の改変をするためだったとしたら。
メリアは机上の地図に飛びついた。
もっとも悪しき可能性。この街でもっとも重要な、何を置いても守られるべき【石】は──
「大鐘楼の、竜忌岩」
メリアは地図の一点を指差した。
「ナッシュさんは、『岩石崩し』を工房から盗み出しています! プロテクトさえ外せば、ものすごく硬い竜岩だって、砕けるんじゃ……」
「馬鹿な!」
伯爵が席を蹴って立ち上がる。
「自殺行為だ!【黒曜会】とやらは、全員竜に喰われて死にたい自殺志願者か⁉︎」
衛兵長がうめいた。
「……鐘楼は街の東側だ。つまり、爆弾は陽動か?」
爆弾の無力化が終わった今、衛兵の半数は爆発物の回収と住民の避難誘導を開始している。残りは、姿を消した帽子の男の追跡で市中を駆け回っているはずだ。
執務室の空気がどよめく。険しい顔をしたステラが、独り言のように呟いた。
「可能性がないとは言えませんね。衛兵長、直近で竜種の目撃証言はありますか?」
「あ、ああ。街の西側にある廃鉱山に鉄鎧竜が棲みついてる。目と鼻の先だ」
「げ。よりにもよって高位竜ですか……」
「あ、あ、ありえん! いくらテロリストでも、そこまで無茶をするものか! 街中に火をつけて回るような行為だぞ⁉︎」
「工房に爆弾仕掛けるのと大差ない気はしますがね」
ステラが曲げた人差し指を前歯で噛んだ。
「とにかく、急いで衛兵をそちらに回して──っ」
ステラの指示は、窓硝子が割れる甲高い音によって遮られた。
ガラス片が散らばった床の上を、拳大の石が転がる。そこから掠れた男の声が響いた。
『バーンウッド。聞こえているか』
沈黙を無視して、声が続けた。
『今し方、我々【黒曜会】は竜忌岩のある鐘楼を占拠した。改めて要求を伝える』
メリアは下唇を噛む。
間違いない。通信越しで声質は多少変化しているが、声の主は──
『市街地から全ての魔法石を排除すること。ミザクラ・ストレリチアの処刑。そして、ステラ・ディーヴァの引き渡しだ』
ナッシュだ。
†
通信用魔法石のパスを切断し、ナッシュは深く息を吐いた。
「これでいいのか?」
「ええ、ご苦労様です」
女の声が、愛想良く答える。鐘楼を吹き抜ける風を頬に浴びながら、ナッシュは背後を振り返った。
そこに、夜に溶けるように暗いローブを着た女がいる。
二十代後半くらいだろうか。甘い蜂蜜のような黄金色の髪をした、美しい女だ。
「素晴らしい働きだわ? 宜しければ、本当に【黒曜会】へ加入されてはいかがでしょう」
「……考えておくよ」
ナッシュがこの女と初めて出会ったのは、今から四ヶ月前のことだ。
その日、彼は馴染みの街酒場で度数が高いだけの安酒を呷っていた。自棄になったときしか飲まない銘柄だ。二週間前にやっとありついた仕事を首になった鬱憤を、アルコールで誤魔化すつもりだった。
とにかく、仕事がないのだ。
半年前に王都の工房が売り出した「岩石崩し」のせいで、発破の仕事は激減した。元々観光都市化が進む中で減りつつあったが、そこにトドメを刺された格好だ。同業者は次々と鞍替えしていったが、ナッシュはそういう器用な真似ができるタイプではなかった。
未だ、ひと月続いた仕事はない。
酩酊の底で、最後に残った理性が「家に帰らなくては」と告げた瞬間、この女は声を掛けてきた。
けして女慣れしているとは言えないナッシュだが、女の話術は巧みだった。
気がつけば、ナッシュは胸の中にある泥をすべてぶち撒けていた。
魔法石に仕事を奪われたこと。自分を切り捨てた事業主への恨みつらみ。観光都市へと舵を切ったこの街の政治への不満。
そして、明日への絶望。
女は、真摯な声で囁いた。
「さぞ、おつらかったでしょうね。あなたの不満は、よくわかるわ?」
ささくれた心に染み込むような、癒やしさえ感じるような声だった。
店が閉まる頃、女はナッシュを自宅へと誘った。女の容姿は派手ではなく、そのような真似をするようには見えなかったが、だからこそ惹かれたという面は否めない。
しかし結局、肌を重ねることはなかった。
女が提案したのは男女の交わりではなく、それよりもずっと仄暗いものだった。
「復讐をしませんか? あなたを切り捨てたこの街に。弱者を救わない権力に。尊厳を奪った石ころに」
「──復讐?」
女の膝に頭を載せ、幼子のように頭を撫でられながら、ナッシュは問い返した。
「はい。そのために必要なものすべてを、提供いたしましょう。我々、【黒曜会】が」
女は、グリザリアと名乗った。真実かは分からない。ナッシュには、知る術もないことだった。
†
「全部、お前に言われたとおりにしたぞ。で、次はどうするんだ」
「次?」
ナッシュの問いかけに、グリザリアが首を傾げた。
「こんな要求、まともな為政者なら飲むわけがない。竜忌岩を人質に、脱出用の石車と金貨でも要求するか?」
「なぜかしら?」
「いや、何故って」
「要求が承諾されなければ、竜忌岩を壊すだけだわ?」
「……は?」
「元より、そのような計画だとお伝えしていたはずだけど」
「いや、だってそれは──無理だろ」
「なにが無理なのかしら」
「りゅ、竜が来るぞ。鉱山に高位竜が棲んでる」
「だから?」
「正気かあんた! 街が焼け野原になるぞ! この街の対竜兵器なんざ、もう何年も前に取っ払われてんだ!」
「あはぁ」
グリザリアの顔に、初めて愛しむような笑み以外の表情が浮かんだ。
嘲笑。
「工房は吹き飛ばすつもりだったのに、何を今さら」
「き、規模が違うだろ。たかが工房と、街ひとつだぞ。何万人が住んでると思ってんだ」
「全員は死なないわ? 精々、十分の一くらいではないかしら」
それでも何千人かが死ぬ。高位竜が街に降りるというのはそういうことだ。魔法石革命以前は、大砲やら破城槌やらで竜に対抗していたというが。
今の時代、そんなものを備えているのはド田舎くらいだ。観光都市へ舵を切り、景観を重視している今のミスドラスに、そんな無骨な備えは存在しない。
「それが望みだったのでしょう?」
「ち、違う。俺は、俺はただ──」
ただちょっと、思い知らせたかっただけだ。
新しい技術ばかりを持て囃し、錆びついた知恵を嘲笑う連中に。
泥の中を這いずる地虫を靴底で踏みつけて、その汚れにさえ気づかない奴らに。
俺たちはここにいるぞと、知らしめたかった。
なのに──それがどうして、こんなことになっている?
「もっとも、要求が飲まれたところで、結末は同じだけど」
すこんと腰が抜けた。足で後退りながら、ナッシュはグリザリアを見上げる。
なんだこの女は。何がしたい。狂人なのか。あるいは、生贄を求める悪魔の信奉者なのか。
震える声でナッシュは問いかけた。
「あんた、ただの魔法石否定派じゃないだろ。何が目的なんだ」
グリザリアが微笑む。
「確かめたいの。後は、まあ、元に戻したいのね。結局は」
「……何を?」
「この世界を。魔法石が、生まれる前へと」
便利過ぎて嫌いなのよ、あの石。
グリザリアは平然と言い、右手に「岩石崩し」の手袋を嵌めた。
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