コストと矜持の要件 4

「王立学院の社会科見学ぅ?」


 全身を筋肉の鎧で覆ったような偉丈夫が、手にした紙を怪訝に見下ろした。

 太く分厚い手のひらは、竈の煤で汚れている。

 メリアは、この秋に卒業した王立女学院の制服のリボンを揺らして、一歩前に踏み込んだ。


「そうなんですよぅ! 王都の職人さんのお仕事を間近で見て、レポート十枚書かないといけなくって」


「……その。そういう感じ。です」


 メリアの隣で、シーンがスカートの裾を握って俯いた。白皙の頬に紅が差している。

 清潔感のある白いシャツに臙脂色のジャケット。パリっとしたプリーツスカートに、首元を飾る大きなリボン。

 シーンもまた、学院の制服姿だ。卒業してまだ数ヶ月だからか、違和感はほとんどない。このまま学院に行っても、早々バレないだろう。


「お仕事の邪魔はいたしません! 近くでちょっと見学させてもらうだけでいいんですっ」


 拝み倒す勢いで前に出る。男が半歩後退した。その分メリアは前に出る。

 下がる。出る。

 やがて根負けしたように、男が大きく息を吐いた。


「別に、なんも面白くねえぞ。それでも良ければ、好きにしな」


  †


「直接職人さんに話を聞く、というのは理解できる。でも、まさか学生服を着て潜入するとは思わなかった。とても恥ずかしい」


 屈んで火入れの支度を整える背中を見つめながら、小声でシーンが囁いた。さくら色の唇がツンと不満げに尖っている。

 メリアも小声でささやき返した。


「いやでも、ガストンさんが依頼した工房の人間だってバレたら心証悪そうだし……」


「理解してる。納得してないだけ」


「あはは……」


 ステラが示唆したのがこの方法だった。ガストンと鍛冶屋の間に溝があるなら、直接鍛冶屋から話を聞けばいい。ガストンの面目は丸潰れだが、知ったことじゃない、と。


(……さて)


 メリアはそっと石組の炉を見やった。こうして距離を置いているのに、熱気が頬に触れる。炉の中では、赤熱した石炭が赫赫と燃えていた。

 あの石炭ならよくて、シーンが用意した魔法では駄目な理由は何か。


「じゃあ、やるか」


 革のエプロンをつけた鍛冶屋の男が、分厚い手袋ごしに藍白鉄の塊を掴んだ。炉に鉄を翳し、その様子をじっと見つめる。背後に座った観客のことなど、すでに目に入ってはいないようだ。


「シーンの要件書、わたしも読んだよ。すごく丁寧に書かれてた」


 メリアの目にも、シーンの要件は完璧としか思えなかった。

 藍白鉄の融点温度を踏まえた火力設定。遠距離でのオンオフ機能。炉から溢れた熱を散らす風属性魔法の併用。ある程度温度を調節可能な機能までついている。

 石炭燃料に代替する鍛治用光熱魔法。

 あの要件書の何を見て、ステラは「失格」と評価したのだろう。

 あえてひとつだけ、疑問点を上げるなら──


「ねえシーンはどうして、光熱魔法にしたの? 石炭の代替なんだから、普通は炎属性の魔法で組み立てるよね?」


「……そこは単純にストレージと予算の問題。炎属性は長時間の連続使用に向かないし、そこをクリアしようとすると、石自体の耐久性を上げるための術式が必要になるから」


「ああ、なるほどね……」


 じっと炉を見つめていた男が、火鋏で鉄塊を掴んだ。白熱した藍白鉄を金床に載せ、ハンマーを振り下ろす。

 カァン。

 溶けて柔くなった鉄塊が、みるみるうちに刃の形へと成形されていく。素人のメリアが見てもわかる。熟練の手つきだ。

 でも、謎は解けない。

 鉄塊が元の色に戻り始めると、再び男は炉に鉄を突っ込んだ。そして、じっと火を見つめる。

 あれは……?


「あの、すみません!」とメリアは手を挙げた。


「なんだ」


 男は振り返らずに応える。


「さっきから気になってたんですけど、ずっと炉を見てますよね。どうしてですか? 目、疲れませんか?」


「はあ? 当たり前だろ、んなもん」


 う。

 ちょっと気後れしてしまいそうな心を奮い立てて、重ねて問いかける。


「素人の学生なので! レポートのネタになるかもなので、教えていただけるとすっごく助かります!」


「あんた、随分と物怖じしねえ学生さんだな……」


 やはり視線は炉から外さないまま、鍛冶師の男はぶっきらぼうに「焼き入れの具合を見てるんだよ」と言った。


「火も鉄も、生き物だからな。焼きが浅くても深くてもいけねぇ。だからこうして、鉄の色を見てんだよ。だから長くやってる鍛冶屋は、どいつもこいつも目が悪ぃんだ。運が悪けりゃ、火花が目に入ることもあるしな」


「刃物の出来って、焼き入れの具合で変わるんですか?」


「そりゃあ、幾らかはな」


 こうして話している最中も、鍛冶師の目は炉からひと時も離れない。「幾らか」のために、炉を見つめ続けている。

 目に負担がかからないわけがない。火花も、煤だって目に入るだろう。

 それでも目を逸らさない。


「……あ」


 光熱魔法。白熱する藍白鉄。鍛冶屋の目。

 メリアは口元に手を当てた──そういうことか。


  †


 翌日、正午。アドラステア工房の地下。

 相変わらず書類にうずもれたステラの机に身を乗りだして、メリアは興奮のままに喋り続けていた。


「問題は【眩しさ】だったんですね! ステラ先輩!」


「はぁ」


 心底面倒くさそうな相槌を打って、ステラは手にした林檎を齧る。


「あの、見てわかりませんか? 今、昼休憩中なんですけど」


「藍白鉄は熱を入れると白っぽくなる性質があります! シーンの魔法は光熱魔法で、発する光の色に指定はありませんでした。高温が要件で色が無指定なら、石が放つ光はもっとも温度の高い白になります。するとどうなるか! 炉の中で魔法石が放つ白色光に紛れて、藍白鉄の微妙な変化が見えづらいんです! しかも鍛冶師さんたちは過酷な仕事でおしなべて目が悪い! だから魔法石の導入を許可しなかった! 謎は! すべて! 解けました!!」


「へー。で、どうするつもりなんです?」しゃくり。


「光の色を変化させます! 光量自体も抑制して、赤い光に。そうすれば藍白鉄の変化も見やすいはずです」


「ほうほうなるほど。それは一理ありますね」しゃくしゃく。


 絶好調のメリアは、くるくる回りながら部屋の隅の姿見へ向かう。乱れた髪を指で整え、ローブにつけたエンブレムの位置を調整する。


「でもやっぱりステラ先輩はすごいです! パパっと要件書を見ただけで欠点に気付くなんて。わたしなんて、実際に鍛冶場を見学するまで思いつきもしませんでしたっ」


「光栄です」もぐもぐ。


「この後さっそく、術式を修正した魔法石の納品に行くんです! このことを伝えたらガストンさんも大喜びで! なんと、反対していた職人さんを打合せに連れてきてくれることになりました!」


「それはそれは」ぽーい。


 ゴミ箱へ林檎の芯を投げ捨てたステラは、編み上げブーツの紐を解いて、そっと足を引き抜いた。


「要するに、あとはその鍛冶師さんが納得するか次第、と」


「はい! あ、そろそろ時間だ。メリアドール・ウィスタリア、行ってきます!」


 ……。

 満面の笑みでメリアが部屋を飛び出していった後、ステラは裸足の足を机の上に放り出し、顔に開いた本を載せた。

 食後は十五分の昼寝をすると決めている。

 しかし、この日はそうはいかなかった。


「ステラ」


「なんです、シャル」


「あなた、今回の改善提案が成功すると思ってないでしょ」


「ええ、まあ」


 シャルロッテの言葉に、ステラは本を顔に載せたまま、冷ややかに応えた。


「絶対に通りません。あの新人、何もわかってないですから」


「だったら教えてあげればいいのに」


「こういうのは、一回自分で恥かいたほうがいいんですよ」


「あら旧時代的。ここ二、三日、あなた機嫌悪いわよね」


「別に。部下の軌道修正さえロクにできない企画の馬鹿をどう屈服させるか、脳内でシミュレーションしてるだけです」


「グレミオ主任ねえ。まあ、あれは良くないわね。案件を部下に任せるのはともかく、客先に迷惑かけそうなら止めるかフォローするかしないと」


「でしょう」


「ところで、ウチにも後輩のフォローをサボってるタチの悪い先輩がいるんだけど」


「…………。」


「ねえ、どう思う? 教育係で先輩のステラさん」


 沈黙の帳が降りる。

 本の下で、ステラの頬を汗が伝った。

 シャルロッテが静かに口を開く。


「ス、テ、ラ」


「……ちょっと出てきます」


「はい、いってらっしゃい」

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