コストと矜持の要件 3
「仕様もなしに見積もりが出せるかあ!」
カフェのテーブルにグラスを叩きつけて、メリアが叫んだ。たっぷりとクリームの泡が載った紅茶が揺れる。
刻印できる術式の容量は石ごとに違う。術式の機能を拡張するなら、より良い石が必要だ。
しかし、どんな術式が必要かわからない状態では、必要な石のグレードが判断できない。
結果、追加費用がいくらになるか現段階では不明だ。見積もりが出せるわけがない。
「……でも、予算確保には見積もりが必要」
「それは──わかるけど。でも、それはガストンさんの都合だよ。適当にコランダム級の宝石で見積もるくらいしかできなくない?」
シーンが首を横に振った。
「【定義】以降の工程は外注だから、そちらに払うお金も変わってくる。迂闊な返事はできない」
「そっか、企画はそうだったね……うーん……」
実のところ、困ったことになった──というわけではない。
このままいけば、ガストンは機能変更のための追加予算を確保できないだろう。その場合、どうなるか?
現行仕様のまま納品するか、契約をキャンセルかだ。キャンセルの場合でも、人件費を含む経費とキャンセル料は請求することになる。
つまり、別にアドラステアは損をしない。
損をするのはガストンであり、鍛治ギルド。ひいては、加入している鍛治職人たちだ。
「さっき、通信用の魔法石で上司に相談した」
「なんて?」
「改修内容も分からず見積もり回答はできない。このまま先鋒が予算確保できないなら、こちらは現行仕様で納品するって」
「だよねえ」
それが妥当だ。けれど、シーンの顔は浮かない。太い藁で甘い紅茶を吸い上げながら、ずっと思案顔だ。
「ステラ先輩の言ってたこと、気にしてる?」
「それもある。でも、私も納得してない」
「だよねえ」
まずもってガストンの態度が解せない。予算を押さえたいならとりあえず現状の問題点を並びたてればいいのだ。そうすれば、こちらは粗々でも数字が出せる。
でもそれをしない。それは──それは?
「もしかして、ガストンさんもよく分かってないんじゃない?」
メリアの言葉に、シーンが「そんな馬鹿な」とでも言いたげに目を見開いた。
「ありえない。工房へ依頼に来たのはガストンさん」
「でも、実際にあの人が鍛治場で働いてるわけじゃないよね。実際に魔法石を使って試したのは職人さんだよ。石にダメ出ししたのだって、職人さんのはず」
「それはそう。でも、じゃあどうして担当者がダメ出しの内容を把握していない──の……」
何かに気づいたシーンの表情が固まる。
OBの先輩が言っていた。曰く、職場で起きる問題の八割は人間関係であると。
メリアは身を乗り出した。
「それは、現場の鍛治職人さんたちがガストンさんに詳細を説明していないから。で、ガストンさんはそれを聞き出せない。お互いにそういう関係じゃない。つまり──」
「
メリアとシーンは天を仰いだ。さすが先輩。あなたの言うとおりです、と。
†
夕刻。
工房へ戻る足取りは、どうしても重くなる。何か失敗をしたわけではないけれど、いかんせん消化不良だ。
「……あ、そうだ。包丁」
鍛冶屋のことを考えながら歩いていたせいか、道沿いに並ぶ金物屋の看板が目についた。
「ちょっと寄っていいかな。早く戻らないとまずい?」
「いいよ。一緒にサボろ」
シーンと一緒に店内に入る。
武器の類はならんでいない。日用品だけを扱う店のようだ。積み上げられた鍋の脇を抜けて、包丁が並ぶ一角へ向かう。
「いらっしゃい」
店の奥から、愛想のいい老人の声がした。
「その辺のはどれも一級品だよ。刀鍛冶が打った品でね。刃紋も綺麗だろ」
一振りを手に取ってみる。確かによく研がれていて、どんな野菜でも斬れそうだ。
けれど、値札を確かめたメリアはすっぱい顔をした。金貨二枚。払えない額ではないが、中々痛い出費になる。
「どうだね」
「すみません、ちょっとお値段が……」
そうか、とさして残念そうでもない。ハナから冷やかしだと思われていたか。
「金がないならしゃあない。特に最近、打ち物は値が上がっちまったからなあ」
「そうなんですか?」
シーンがメリアの袖を引いた。
「ここ数年、石炭の採掘量が激減して価格が高騰してる。鍛治場は石炭を使うから」
「あ、そういうことか。詳しいね、シーン」
「今回の案件もそれが切っ掛け」
つまり石炭の高騰により鍛治場の経費が増え、それが金物全般の値上がりに繋がっているわけだ。
「でも、なんで? 炭坑が枯れちゃったとか?」
「ううん。ここ数年で、色々な燃料が魔法石式に置き換わってる。売れないから炭鉱夫が減って採掘量が減る。採掘量が減るから値段が上がって、もっと売れなくなる。そういう悪循環。木炭はまだ大丈夫だけど」
「じゃあ木炭使えばいいんじゃ」
「それはダメ」「ダメダメ」
シーンと店主が同時に否定した。
しゃがみ込んだ店主が、鉱石を取り出してカウンターに置く。青白く、でこぼこした石だ。
「こいつがその包丁の素材でね。藍白鉄ってんだが」
「綺麗な石ですね」
「普通の鉄より産出量が多くて安価。魔法石適正は低いものの、粘り強くて頑丈。何年か前にコイツが見つかってから、王都の打ち物はこればっかりさ」
「打ち物?」
シーンがくいくいと袖を引いた。
「鍛造品のこと。剣とか包丁とか。つまり鍛冶屋の商品」
「ああ、なるほど」
「だが、こいつは鉄より融点が高い。柔らかくなるためには、より高い温度が必要でね」
「ええと?」
「石炭は木炭より高熱が出る。木炭だと温度が足りないの。普通の鉄を使ってた頃は、木炭でよかったらしいけど」と、再びシーンが補足。
そういうことか。燃料によって火力が違うなんて、初めて知った。
「お嬢ちゃん詳しいな。さすが博覧強記の魔石技師様だ。とにかく、そういうわけで石炭が高騰してる。鍛冶屋もその分を値段に乗せるしかねえ。で、俺らも仕入れ値が上がった分、値段を上げなくちゃならん」
それで値上がりというわけだ。
とはいえ、買い手にはそんな裏事情は関係ない。値段が上がれば、当然客足は遠ざかる。
素材を鉄に変えれば木炭でも打てるだろうが──いや、藍白鉄は普通の鉄より安価と言っていた。それを鉄に替えれば、やはり仕入れ値が上がってしまう。それでは意味がない。
「おかげで売上は右肩下がりでね。ま、ウチみたいのは金物一本ってわけじゃないから、まだどうにかなってるけど」
店主が肩を落とした。横顔には、疲労の陰が色濃く落ちている。
結局、包丁は買わずに店を出た。
「戻りました……」
工房地下の執務室へ戻ると、シャルロッテはすでに退勤していた。ステラは黙々と仕事を続けている。うず高く積み上げられていた書類の山は、三分の一以下に減っていた。
今日、メリアの仕事はもう残っていない。あとは荷物を片付けて帰るだけ。ステラの仕事を引き取るだけのスキルはないし、手伝いを申し出てもかえって邪魔になるだけだろう。
さっさと帰宅するべきだ。
でも──
「あの、ステラ先輩」
「なんです」
「シーンが持ってきた、鍛治ギルドの件なんですけど」
ステラが手を止め、顔を上げた。
「あの件はあなたに任せる、とお伝えしたつもりですけど」
「わかってます。でも、相手の担当者がちょっと難しい感じで」
メリアは、なるべく簡潔に現状を伝達した。
しかしひと通りの話を聞き終えたステラの瞳は、ラピスラズリみたいに冷めたままだ。
「──機能変更の予算を押さえられないなら、現行仕様のまま納品して終わりです。シーンさんの成果物に瑕疵はありません。もっとも、追加注文は望めないでしょうが」
「でも、それだとはガストンさんが」
「ガストン氏がどうかしましたか?」
「その、困るんじゃないかと」
「へえ。どう困るんですかね」
「……じょ、上司に怒られるとか」
「なぜです?」
「え?」
「なぜガストン氏は上司に怒られるんですか?」
「だって、案件が失敗したら──怒られます、よね。普通」
ステラが深々とため息をついた。
「怒られるから可哀想って、どこの子供ですか」
「う」
「問題の本質を考えてください。炉の燃料を石炭から魔法石に変えたい。それは何故ですか?」
「せ、石炭の仕入れ代が高騰しているからです」
「つまりコストの削減ですね。では何故、コスト削減に取り組む必要があるんです?」
「それは──そのほうが、鍛治仕事の利益が出るから」
「利益が出ると、どうなりますか?」
「……職人さんたちが助かる」
「そう。当たり前の話ですが、鍛治ギルドの職員であるガストン氏は鍛治師のために働いている。彼が上司に怒られるとすれば、それは失敗したからじゃありません。職人たちの利益を損なったからです。いいですか? 本当に困るのは彼じゃない。高い燃料代に頭を抱えながら金床にハンマーを振り下ろしている人たちです──メリア」
「っ、はい」
「あなたの予想はおそらく正しい。だから私は腹が立つんですよ」
言われて気づいた。メリアの話をひと通り聞き終えてからずっと、ステラは苛立っている。
「職人と折り合いが悪くて何が問題点か教えてもらえない? まるで子供の喧嘩ですね。当然、職人側にも非はあるでしょう。ガストン氏にも言い分はあるでしょう。その上であえて言いますが、彼の態度は無能を通り越して、ただの怠慢です」
厳しい。
ひとつだけ、分かったことがある。この先輩の言葉はいつだって正論で、その分だけ容赦がない。
「……はい。でも」
だけど。
あのとき、気づいたことがある。わずかに伸びた無精髭。油で誤魔化していたけれど、フケのういた髪。汚れたシャツ。
多分、ガストンは昨日、家に帰っていない。
そして何より、金物屋で聞いた話。石炭の高騰。ステラの言うとおりだ。この案件は王都の鍛治職人たちを守るためのもの。彼らにこそ、きちんと要件を満たした魔法石が必要だ。
だから。
「こんなとき、ステラ先輩ならどうしますか」
そう尋ねずにはいられなかった。
ステラは細工物みたいに華奢な指先をこめかみに当てて、一呼吸分だけ間を置いて答えた。
「責任の所在は相手の怠慢。それでは納得できませんか?」
「できません」
「そうですか」
気のせいだろうか。
そのときメリアの目には、ほんの少しだけ、この銀髪の先輩が微笑んだように見えた。
「それで、なんでしたっけ。私ならどうするか? しょーもない質問ですねえ……そもそも私ならこんな事態には陥りません。プロジェクトの炎上は対処ではなく予防するものです。はい以上」
「かもしれませんけど! 仮定! 仮定の話として!」
「──は。なら、決まってるじゃないですか」
ステラが頬の片側を吊り上げた。「不穏」と名がついた名画みたいな笑顔。
「あっちが職責を果たさないなら、こっちも横紙を破り捨てるまでですよ」
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