コストと矜持の要件 2
「鍛治ギルドから納品物に苦情、ねえ」
話を聞き終えたステラが、しゃくしゃくと林檎を齧る。
「別に珍しい話でもないでしょう。よほど
「……わかりません。外注工房からは全試験クリアと報告がきていますし、私自身も術式を精査したんですが、何も見つからなくて」
「あなたの教育係の意見は?」
「それが──……」
シーンが言うには、「んじゃ特注部門に確認してもらって」と突っぱねられたそうだ。
「チッ」ステラが盛大に舌打ちした。
「どこの課のなんて阿呆です、その教育係」
「火属性課のグレミオ主任です」
「クソ要件の常習犯じゃないですか。自分の仕事放棄して丸投げとか良い度胸ですね。これは一度、徹底的に立場をわからせてやる必要があるな……」
ステラの目つきがどんどん険悪になっていく。メリアは怯えるシーンの肩をそっと抱いた。万事控えめな子なのだから、あまり怖がらせないでほしい。
「まあ事情はわかりました。で、議事録と要件書、サンプルの石を待ってやってきたと」
「……ごめんなさい。午後から会議だから、お昼に来るしかなくて」
「別に。食べながらでいいなら、今チェックしますよ」
ステラが腰帯から杖を引き抜いて、先端を石に当てた。石に刻まれた術式が中空に浮かび上がる。
それを固定したまま、ステラは要件書と議事録を照らすように目を通していく。
「【石炭燃料に代替する鍛治用光熱魔法】。最近、石炭の値上がりが続いてますからね」
「鍛治ギルド側から持ち込まれた企画です。上手くいけば、王都全域の鍛治工房の炉を魔法石式に切り替えたいと」
「なるほど」
ステラがちらりとメリアのほうを見た。
「随分と信頼されているようで。優秀ですね、シーンさん」
今の一瞥はどういう意味だ。
いや確かにシーンは学院主席で、地頭もいい上に真面目ないい子だけども。正直比べられると辛いけども。
「──はい。概ね理解しました」
「もうですか⁉︎」
パラパラ流し見ているようにしか見えなかったのに。
ステラは杖で肩を叩きながら、メリアを無視してシーンに話しかける。
「良く書けてます。あなたの教育係よりずっと。この定義書で不具合が起きたなら外注先の魔石技師がヘボというしかない。そして、どうやらヘボではなかったようです」
「つまり……」
「不具合は起きていません。魔法の術式は完璧、要件定義も議事録の内容に沿ったものです。きちんと依頼人の要望に応えている」
つまり、シーンに非は無いということだ。メリアは胸を撫で下ろして、親友の手を掴む。
「よかったね! きっと行き違いか何かだって──」
「ですが」
ステラが魔石定義書を机に放り投げた。
「この【定義】は、明らかに失敗です」
聞き間違いかと思った。けれど、ステラの藍色の目は氷のように冷たい。
「……失敗?」
「ええ。これでは鍛治ギルドが許可を出さないのは当然です。むしろ、生産体制に入る前にクレームがついて幸いでしたね」
「それってどういう、」声を上げかけたメリアの肩をシーンが押さえた。身を乗り出すようにして、ステラに問いかける。
「教えて、ください。何が駄目だったのか」
ぽーん。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。ステラは林檎の芯をゴミ箱に放り投げて、メリアへ向き直った。
「メリア」
「あ、はい」
ステラは、「未済」の箱に積み上げられた書類の一枚目を手のひらで軽く叩いた。
「見てください。この全十巻の文学全集みたいな厚みの紙の束。これ全部ぜーんぶ私の仕事です。本当は今すぐ応接室の暖炉に焚べて燃やしてぬくぬく暖まりたいところですが、生憎そうもいきません。この上予定外の仕事が増えたら、今日は家に帰れないでしょう。今日は、っていうか今日も」
「はあ」
「ところで、他部門への支援と助言は特注部門の職務分掌だそうですね。特注部門期待の新人のメリアさん」
なんだか猛烈に嫌な予感がしてきた。
「いやあ私は嬉しいです優秀な後輩がいてくれて。そんな後輩にひとつ先輩としてアドバイスしてさしあげましょう」
「ステラ先輩? あの、」
「同期同士、仲良く助け合うのが仕事を長く続けるコツです。じゃ、あとは宜しく」
ステラは紙の一枚目を取り、仕事を再開した。
そして、それきりこの件について何を聞いても、けして答えてはくれなかった。
†
「自分だって後輩に丸投げじゃんステラ先輩のばかーっ!」
ばかーっ、かーっ、かー……。
街角の枯井戸に向かって叫ぶと、少しだけ気が晴れた。シーンと並んで、鍛治ギルドへの道のりを再開する。
無表情のまま、シーンが言った。
「なんていうか、強烈な先輩だね」
「そうなんだよ。あ、わたしが先輩に赤入れされた仕様書見る? 逆に面白いよ。猟奇殺人の現場みたいで」
「遠慮しておく」
シーンの並んで歩く。メリアは、ちらりと線の細い同期の横顔を覗いた。先ほどのステラの言葉が蘇る。
──よく書けてます。
特注部門で働き始めておよそ一ヶ月。メリアは、まだそのひと言に辿り着いたことがない。
歩む速度は人それぞれだ。気にしても仕方がないとは、分かっているけど……。
ちょっとだけ、凹む。
「企画の仕事、どう?」
「難しい」
「そうなの? でも完璧な定義書だったって」
「企画の仕事は、定義書を作るだけじゃないから。市場調査とか、行動分析とか、色々ある」
色白なシーンの目元に、薄いクマが浮いていた。彼女は彼女で苦労しているようだ。
「話すのも、下手。メリアと違って」
「わたしも別に話上手じゃないよ」
「そんなことない。学院時代も、メリアは沢山友達がいた。私とは違う」
そうだろうか。人気者なら、もっと他にいたような気がするが。
まもなく鍛治ギルドの事務所につく。
もちろん金を払うだけのメリットがある。仕事を斡旋してもらったり、高額な機材を比較的安価に貸し出してもらえたり、病気や怪我に遭った際に他の職人が手助けに来てくれたりと様々だ。
「約束の時間ぴったり。入ろう」
シーンが重厚な金属の扉に手を掛けた。
ギルドの運営のメンバーは、大きく三種類に分かれる。
まず、引退した職人。いわゆる「顔役」であり、後輩である現役職人たちから慕われていることが多い。現場とギルドの橋渡し役で、代弁者でもある。
次いで多いのが現役職人の家族。特に妻や娘で、受付嬢などは大体これだ。
最後が、金融業者から派遣された数字のプロ。財布の手綱を握っているのは彼らである。
そして。
「どうもどうも。すみません、お待たせしました」
打ち合わせの場に現れたのは、明らかに「三番目」の男だった。
「シーンさん、お久しぶりです。お呼びだてしてしまって申し訳ない」
「ガストンさん」
二十代後半くらいだろうか。色付きの眼鏡に、油で固めた髪と髭のない顎。手には何かの資料を抱えている。
「すみません、前の陳情会議が長引いてしまって」
男がドサドサと資料をテーブルに載せた。紙が何枚か床に滑り落ちる。メリアは腰を上げて紙を拾った。
何かのグラフに、無数の数字が書かれた資料。そして、これはなんだろう? 正八面体のマークが描かれた──意見書?
「あの、落ちましたよ」
「ああ、どうも。ええと、シーンさん、こちらの方は? 今日はグレミオさんはご不在でしょうか」
「グレミオは別件で。こちらは──」
ひととき迷って、シーンが続けた。「有識者のメリアドールです」
ふわっとしている。あと、いくら成人年齢の十五歳に達しているとはいえ、その紹介は苦しくないだろうか。幸い、ガストンは何も言ってはこなかったが。
シーンが石のサンプルと資料を取り出して、テーブルに並べる。
「その。先日納品したこちらの試作品、ですが」
シーンが赤翡翠を手で示した。
「問題があった、と聞きました」
「ええ……」
ガストンが眼鏡を外して、重苦しく眉間を揉む。
「ああ、すみません。ちょっと仕事が立て込んでいて。で、石の件ですが──いくら払えば対処いただけますか?」
「え?」
「もうサンプルを作る段階まできているんです。ここからの機能修正に追加費用が発生することは理解していますので」
「いえ、それは」
「費用は発生しないと?」
「ちが、違います。その、追加費用は発生します。ただ、まず何が問題なのかを教えてもらわないと」
ガストンの眉間に皺が寄る。
「原因究明と変更内容の提示が必要なことは理解します。ですが、追加予算を押さえるための会議が来週に迫っていまして。先に見積もりを出してもらうことはできませんか」
は?
メリアは咄嗟に自分の口を押さえた。余計なことを口走りそうになったからだ。
シーンが困惑しながら応じる。
「変更内容がわからないと、見積もりは出せません。追加術式に必要な石のストレージ量がわからない、ので」
「一般的にはそうでしょう。ですからざっくりで構いません。相場というか、そういう数字を貰えませんか」
「そう、言われましても……」
シーンが俯く。彼女は聡明だが、間違っても気が強いほうではない。
さすがに見ていられず、メリアは口から手を離した。
「あの! せめて問題点だけでも教えてもらわないと、修正の目処感が掴めないです」
「ですので、それを今ギルド内で取りまとめているところでして」
「内容は粗くてもいいんですっ。もしくは、問題を指摘した方と直接話をさせてもらうとか!」
「本件の窓口は私はですから」
それはわかる。わかるけど!
結局、その後も機能変更の見積もりが出せる出せないの押し問答に終止したまま、打ち合わせの終了時刻がやってきた。
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