コストと矜持の要件 1

「どこの誰ですかこのクソみたいな要件書書いたのは。えーっとマジで誰だコイツ。主任? は。いますぐ役職剥奪するべきですね。ゴブリン討伐用の魔法にこの魔力使用量って、無限湧きする相手に三回使ったらガス欠になる魔法石でいったい何がしたいんですか? さては冒険者に親でも殺されたんですかね。次」


 猛烈な勢いで朱を入れた後、ステラは紙を「処理済」の箱に放り込んだ。

 間を置かず、「未処理」の箱から新しい紙を取り出す。


「あ? 風魔法による新型飛行術式のフィジビリティチェック? 知りませんよ勝手に飛べばいいでしょう鐘楼から。えー……はは、無理無理。最低でも現想定の三倍のストレージか体重が一〇キロ以下の成人を用意してきてください話はそれからです。次」


 また別の紙を手に、愚痴りながら朱を入れていく。

 メリアは自身に与えられた課題を解く手を止めて、そっとシャルロッテの席に近づいた。

 今日の彼女は仕事が少ないらしく、のんびり紅茶を嗜んでいる。


「あの、シャルロッテさん。ちょっとご質問なんですけど」


「はい、どうぞ?」


「ここに初めて来たときもあんな感じだったんですけど、ステラさんのアレってなんなんですか?」


 初めて特注部門に来たときも、ステラは企画部門が作った資料を痛烈にこき下ろしていた。それから二週間と少し経ってわかったのだが、どうやらあれがステラの平常運転らしい。


「ああ。アレはね、企画部門が書いた魔石定義書のレビューよ」


 レビューとは、成果物の内容が適切で誤りがないかチェックすることだ。それ自体はわかる。メリアが聞きたかったのは──


「なんで企画が作った資料のレビューを先輩が? 普通、企画部門の有識者がやりますよね」


「まあ端的に言うと、企画が超忙しくてステラが超優秀だからね」


 シャルロッテが、肘をついて組んだ手の上に顎を載せた。


「メリアちゃん。アドラステア工房のビジネスモデルはわかる?」


「えっと。『一般市民向けの安価で使いやすい魔法石の販売』と、『貴族や上級冒険者向けのハイスペックな最新式魔法石の販売』の二本柱、ですよね。研修で習いました」


「そのとおり。で、企画部門が何をしているかは?」


「名前のとおり、新商品の企画です。市場調査をしてゼロから企画を立ち上げたり、各ギルドから依頼を受けて新製品を形にする……んですよね?」


「そうね。特注との違いは、個人じゃなくてマス向けの商品であること。属性によって担当する課が別れていること──まあ、これは案件を割り振る目安ってだけで、複数属性を混ぜるなんてザラだけどね。あとは、【定義】以降の工程を外注していることかしら」


「あ、それ研修で聞きました。わたし、工房の製品って全部、そこの工房の魔石技師が作ってると思ってましたけど」


「昔はウチも工房内に開発生産部門があったけどね。規模が大きくなって、賄いきれなくなったの。だから大量生産するような石は外部の専門工房に発注してるわけ」


 つまり下請けへの業務委託だ。


「ではメリアちゃん、ここで質問です」


「え、あ、はい」


「自社内開発ではなく下請けに開発を委任する場合、一番注意が必要なのは何?」


「一番ですか? なんだろ……品質が下がるとか?」


「それは違うわ。きちんとした工房に引き受けてもらえば、むしろ石の質は上がる。【定義】よりも【構築】以降の三工程が得意な技師は沢山いるからね」


「な、なるほど」


「勿体ぶらずに言うと、答えは途中で【定義】の内容を変えないこと」


「【定義】の……」


「【定義】は魔法石作成の指針。ここに間違いがあると、後続の工程はすべてやり直しになる。自社内開発なら頭を下げれば融通が効くけど、他の工房に委託してる場合はそうもいかないわ」


「お金がかかるんですか?」


「そりゃね。当然、納期が遅れても文句は言えない。こっちの手落ちだから」


「それは、確かに」


「で、話を戻すけど──」


 そこでステラが口を挟んできた。


「うちの企画は【定義】がヘタクソなんですよ」


「そうなんですか?」


 研修中は全然そう見えなかったけど。

 ステラが派手に舌打ちする。

 

「連中、頭が自工房で開発してた時代のまま止まってるんです。【定義】をミスっても後で直せばなんとかなると。後工程全部外でやってんのに。それで最終試験で手抜きするんですから、マジで事故起こしますよそのうち」


「お、王国有数の名門工房……」


「だったのは一昔前の話です。今は結構腐敗してますからねこの工房」


「ええー……」


 聞きたくなかった。せっかく採用してもらったのに。まだ新人なのに。

 こらこら、とシャルロッテが苦笑する。


「あんまり新人をおどかさない。ちゃんとお仕事できるスタッフも沢山います。まあとにかく、それでステラにチェックの依頼が回ってくるのよ。外部に出す魔石定義書が適切かどうかとか、今考えてる企画に実現性があるかとか」


「言っておきますけど、本来は企画の中でケリつける話ですからね。言ったらボランティアです」


「ちゃんと職務分掌に入ってるわよ。他部門への支援と助言業務」


「それも意味わかんないんですよ……なんで他所の部の尻拭いが明文化されてんですか……」


 やってられないとばかりに、ステラが手にした書類を放り投げた。クリーム色の羊皮紙がひらひらと空に舞う。

 ぽーん。

 壁に掛けた時計が、正午の鐘を鳴らした。昼休憩の合図だ。メリアはいそいそと書類と筆記用具を脇にのけ、鞄から弁当箱を取り出した。


「メリアちゃん、最近お弁当よね」


「そうなんです! ちょっと魔法関係の本を買い過ぎちゃって、節約しなきゃと」


「新人はお金足りないわよねえ。自炊、大変でしょ?」


「料理はそこまででもないんですけど、ただわたしぶきっちょで。えへへ……」


 包帯が巻かれた、左手の人差し指を撫でる。昨日の夜、皮の厚い根菜を切ろうとして刃が滑り、怪我をしたのだ。

 したり顔でステラがコメントした。


「切れない包丁使うから怪我するんですよ」


「え、逆じゃないですか?」


「切れないから無駄に力が入るんです。良い包丁を買えば怪我しません」


「ステラ先輩って、料理するんですか? お昼、いつもソレですけど」


「すると思います? 今のは一般論です」


 ステラの昼はいつも同じだ。丸のままの林檎が一つ。毎回の食事を楽しみたいメリアからすれば、正直意味がわからない。

 シャルロッテが、たっぷりの野菜とチーズを挟んだサンドイッチを取り出した。


「王都は腕の良い鍛治屋がたくさんあるわよ。特に刀鍛冶は」


「うーん、でも値段がなあ……」


 アドラステア魔石工房は比較的ホワイトな職場だが、それでも新人であるメリアの給料はけして多くない。専門職なので多少色はついているが、月に金貨が二十枚と少し。その三分の一はアパルトメントの家賃で飛んでいく。


「こういうときは、先輩がお昼くらい奢ってあげるものよね」


 シャルロッテがステラに視線を送る。

 当の「先輩」は、仏頂顔を崩さず鼻で笑った。


「今どき昼食で後輩の関心を惹こうってのが浅ましいんですよ。気を遣いながら食べる食事なんて味もしない。いわば時間の搾取です。いいですかシャル、慣れない職場で働く新人にとって銀貨三枚のランチ代と自由な休憩時間、どっちのほうが価値があると「ステラ先輩ご飯奢ってくれるんですか⁉︎」言ってないです奢らないです黙ってその煮付け食べててください」


「ほら」


「なんですかその得意顔。シャルが奢ればいいでしょう。部門長手当たっぷり貰ってんですから」


「私はちゃんと部下に還元してるわよ。ねー」


「はい! 昨日のお店、すっごく美味しかったです! えへへ、おにくが、おにくがお口で溶ろけて」


 メリアは手を頬に当てた。あんな高級な肉、自分の給与ではとても手が届かない。しかもシャルロッテは話上手の聞き上手で、とても楽しい時間だった。


「メリアちゃんは奢り甲斐があって大変よろしい。今度は魚の美味しい店に──あら?」


 カララン。

 来客を告げる呼び鈴が鳴った。

 メリアは壁に掛かった黒板を確認する。今日の来客予定は午前中の一件だけで、それはもう終わっている。


「わたし、出てきますね」


 特注部門の受付は予約制だが、こうして突然やってくる顧客もいる。空いていればそのまま受けることもあるが、基本的には予約を取り直してもらう。その差配は、新人であるメリアの仕事だ。


「すみません、オーダーメイドのご相談は予約制で──」


「メリア」


 回廊に繋がるドアを開けたメリアは、予想外の相手に目を瞬いた。


「あれ? シーン?」


「……お昼時にごめん。ちょっと、相談に乗ってほしい」


 淡い亜麻色の髪に、儚げな面差し。

 企画部門に配属されたメリアの同期が、両手で抱えた資料をぎゅっと抱きしめた。

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