恋と竜退治の要件 終
「すみません、寝落ちしました!」
「知ってます。誰が運んだと思ってんですか」
一呼吸遅れて、メリアは言葉の意味を理解した。
「──先輩が運んでくれたんですか⁉︎」
「他に誰もいないでしょうが」
よく見ると、ステラは自分の杖で三番目の魔法石に術式を記述しながら、メリアの杖で二番の魔法石の術式をチェックしていた。左右の手で異なる数学の難問を同時に解くような行為なのに、スピードがまるで落ちていない。
【記述】のスキルもドン引きするほど化け物だ、この人。
けれど、さすがに顔に憔悴が滲んでいる。
「あの、先輩。これ、サンドイッチ、食べてください。シャルロッテさんが作ってくれたんです」
「見てわかりません? 手ぇ塞がってんですよ。どっかの寝落ちした新人の穴埋めるために」
「う……」
メリアは、ステラの顔色とジャムが挟まったサンドイッチを交互に見つめた。
この調子では、休憩しろと言っても聞かないだろう。なら──
「じゃあわたしが食べさせるんで口開けてください! はいあーん! あーん!」
「は? あんた何言っ──もが」
隙を逃さず口にサンドイッチを突っ込む。あとで紅茶も貰ってこよう。
「もがもが」
「左手の、わたしの杖ですよね。返してください。わたし、まだやれます」
「……んぐ」
ステラの細い喉が動いた。藍色の瞳が、石から離れてメリアを見つめる。
目を逸らさず頷くと、杖が飛んできた。
「一番と二番は残りパス通して総合確認試験するだけです。それ終わったら、三番のコードチェック。156行目から」
「はい!」
「日が昇るまで、あと二時間。急ぎますよ」
「──はい!」
杖を手に、メリアは魔法に向き合う。
夜明けが近づいていく。
†
霧深い明け方。
支度を終え、剣を佩いて家を出たダスティの前に、一人の魔石技師が現れた。
背格好は女性のようだが、フードを目深に被っていて顔は見えない。
女は、小さな布袋と一枚の手紙を差し出して言った。
「マリアンヌさんからお届け物です」
「……マリアンヌから?」
「魔法石です。使い方は中に入ってますので、よく読んで使ってください」
「待ってくれ、君は、」
「わたしは謎の魔石技師です! 謎なので名乗れませんっ」
自分で謎て。
「とにかく、あとはその手紙に書いてますから! ちゃんと読んでくださいね!」
「あ、ああ。分かった」
「それと──マリアンヌさんから伝言です」
ダスティの分厚い手に、うっすらと血管が浮いた。
「『必ず、生きて帰ってきて』」
「……っ、」
「地這竜討伐、がんばってください。成功をお祈りしています」
ローブの女は、来た時と同じくらい唐突に去っていった。
渡された袋を開けると、魔法石が四つとその説明書が入っていた。手紙を読まずとも、おおよそ経緯は想像できる。マリアンヌが、自分のために石を用意してくれたのだと。
ダスティは、開いた手のひらで顔を覆った。
一方的に「忘れてくれ」と告げて去るなんて、逃げでしかなかった。
──勝たなくては。
勝って、生きて帰らなくては。
自分と、それから、マリアンヌのために。
それから五日後。
早馬により、騎士ダスティ・グレッグの手による地這竜討伐成功の報が王都に届いた。
従騎士五名を含め、誰一人傷を負うことのない、完全な勝利だったという。
ちなみに。
公爵家の姫君と竜殺しの英雄の間で、破棄された婚約が結び直されたのは、その三日後のことだそうだ。
†
地這竜の討伐成功に王都中が湧いてから、さらに一週間後。
「レ、レビューお願いします!」
震える手で、メリアは魔石定義書を差し出した。
本来の手順どおりの工程だ。通常の魔法石開発では、各工程ごとに有識者(先輩魔石技師)によるチェックが入る。
紙をざっと一読してから、ステラが口を開いた。
「三行目。意図考えてもっとシンプルな式にしてください。八行目。記号の向きが間違ってます。九行目。この要件要ります? 十五行目。なんですか? この絡まったスパゲッティみたいな条件式。二十六行目。誤植。処理コケますよ。三十一行目。字が読めません。三十九行目。この行無意味。要らない。五十六行目。誤植。六十五行目……」
ステラが手にした羽根ペンが、ものすごい速度で紙に朱を入れていく。メリアはただ、それを絶望的な目で見つめることしかできない。
帰ってきたメリアの術式は、またしても惨殺死体だった。
「……ご、ご指摘、ありがとうございました……直します……」
ふらふらと自席に戻る。ここしばらく、ずっとこの有り様だ。練習として、急ぎでない案件の【定義】をしているのだが、毎回毎回鬼のような朱が入る。おまけに指摘の内容はいちいちごもっともなので、反論の余地がない。
悄然としながら指摘箇所の修正に入ると、
「あー、そこ置いといてください。修正はこっちでやるんで」
「え?」
「言ったでしょう。推薦状書くって」
ステラがペン先で壁のカレンダーを示した。
「今日で二週間です。で、どこに行きたいですか。やっぱり研究? それとも企画にしますか?」
──そっか。
もう二週間経ったんだ。気がつかなかった。
メリアはシャルロッテの横顔を覗いた。会話には気づいているだろうに、何も言わない。
好きにしろ、ということか。
だったら、好きにさせてもらおうじゃないか。
「ほんとに、どこでもいいんですよね?」
「ええ」
「じゃあ、特注でお願いします」
「はいはい、特注ですね──は? 特注?」
ステラが顔を上げた。小さな唇が、ぽかんと空いている。
メリアは、ゆっくりと繰り返した。
「わたしを特注部門に入れてください」
「いや、それは」
「どこでもいいって言いましたよね?」
「どこでもいいとは言いましたけど、それだと私の仕事が」
「嘘、つかないんですよね?」
「それは、」
「わたし、特注がいいです! ステラ先輩の部下になります!!」
「あんたマゾなんですか⁉︎」
ぶはっ、とシャルロッテが吹き出した。腹を抱えて笑いながら言う。
「ふ、ふはっ、ふふっ。ステラ、もう観念しなさいな。その子が育てば、あなたも楽になるんだし」
「ちょっとシャル、だって私は」
「あなたが非合法な魔石技師だってことなら、私がもう伝えました」
「はあ⁉︎」
「それでもあなたがいいっていうなら、やってあげればいいじゃない。
「はい! わたし、ステラ先輩がいいです!」
勢いよく右手を挙げる。ステラがとても嫌そうな顔をした。
「……いや、ちょっと、ええー……」
ため息。何も履いていない足を机に放り出し、椅子に体重を預けて天を仰ぐ。
「…………私は、その。あんまり、そういうの向いてないんじゃないかと思うんですけど。主に性格とか、言葉遣いとか」
「自覚してたのね」
「自覚してたんですね」
「だから、その。他の人の下についたほうが」
「やです」
メリアはもう一度繰り返した。わたしはステラ先輩がいいです、と。
「……はあ……」
わかりました、と観念したようにステラが呟く。ぱあっとメリアの頬に光が差した。
「じゃあ、とりあえず。さっきの修正、終わったら持ってきてください──メリア」
「はい! すぐ直しますね、ステラ先輩っ」
メリアはぺこりと頭を下げて、目の前の書類に飛びついた。
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