恋と竜退治の要件 9

 アドラステア工房の地下へ戻る頃には、すっかり夜空に二つの月が昇っていた。

 直販店はすでに閉まっていて、再び解錠魔法を使うことになった。応接室にマリアンヌの姿はない。先に帰ったのだろう。

 メリアは転がるように執務室へ飛び込んだ。


「ダ、ダスティさんの石、持ってきました!」


「よし。そこに並べてください」


 宙に魔法陣が四つ浮かんでいる。

 改めて見ても、圧巻の出来だ。複雑なのに明快で、ある種の美しささえ感じる。


「すごい……」


 式に目を通したメリアは、思わずため息をこぼした。

 考慮漏れなんてとんでもない。斬新な発想と広範な想定を兼ね備えた【定義】。圧倒されてしまうほど精緻でしかし明快な【構築】。

 魔法科の教科書にも載っていないような、美しい術式だった。魔法を学ぶものなら、誰しもが見惚れてしまうような。


「時間ないんでレビューは割愛します。このまま【記述】行きますよ」


「はい!」


「第一魔法。【鋼鉄製長剣への多重硬度強化、切断機能の拡大、特級炎属性並びに対酸血加護付与の術式】。私が書いたコードのチェックと接続試験があなたの仕事です。やれますか?」


「し、試験のやり方は学院で習ってます! やれます!」


「では、始めましょう」


 ステラが杖の先をコランダムに当てた。


「記述工程、開始」


 中空に浮かぶ魔法陣から、記述式が石へ流れ込んでいく。怒涛のような勢いで。

 メリアは震える手で杖を構えて、コランダムに当てる。恐ろしいことに、書いてあるコードをチェックするより書き込まれていく速度のほうがずっと速い。

 最後に一瞬だけマリアンヌの顔を思い浮かべた後、メリアは目の前の作業だけに集中した。

 慇懃な口調のくせして毒舌だし、いかにも偏屈そうだし、正直怖い。

 それでも今は、石に齧り付いてでも、ついていかなきゃ。この人に。


  †


 ──物音で目が覚めた。


「……えっ⁉︎」


 慌てて身を起こす。口元に違和感を感じて擦ると、手の甲が濡れた。涎。


(もしかしてわたし、寝落ちした⁉︎)


 意識が一気に覚醒する。

 周囲を見回す。ここは──応接室だ。どうやら来客用のソファに寝かされていたらしい。身体には、メリア自身のローブが掛けられている。

 回廊側のドアが開いた。


「あら、起きた?」


「……シャルロッテさん?」


 シャルロッテの手には、携帯型のランタンと、皿に盛り付けられたサンドイッチがあった。それが目に入った瞬間、軽薄な腹の虫が騒ぎ立てる。


「あ……」


「遠慮なく食べてね。今、紅茶を淹れるから」


「わ、わたしがやります」


「いいから。工程に入っちゃったら、私は何もできないもの」


 工程。そうだ、時間は──


「安心して。まだ深夜だから。あなた、作業初めて二時間くらいで倒れちゃったのよ」


「そうなんですか⁉︎ じゃあ早く作業に戻らないと、」


「大丈夫よ。というか、お腹鳴らしながらお仕事は無理でしょ」


「う……」


 手早く紅茶を用意したシャルロッテが、角砂糖を贅沢にティーカップへ落とす。うっすらと湯気が立っていた。そういえば喉もカラカラだ。


「……いただきます」


「どうぞ、召し上がれ」


 飲みやすい温度の紅茶を一息で飲み干して、甘いジャムが挟まれたサンドイッチに手を伸ばす。疲れ切った身体に、糖分が染みるように効いた。


「おいし……」


「全部食べちゃっていいわよ。どうせステラは終わるまで食べないから」


 ちらりと執務室へ続く扉を見遣る。仄かに魔力の流れを感じた。扉の向こうで、彼女はまだ工程を続けているのだ。思わず指先に力が籠る。


「早食いはダメ。ゆっくり食べなさい」


「でもステラさんが、」


「休憩も仕事のうち。遅れはステラがどうにかします。だから、これは上司命令」


「……はい」


 もくもくとサンドイッチを食べていく。口を動かすたびに、脳が動き出す感触があった。

 シャルロッテはただ、紅茶をゆっくりと飲んでいる。


「……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」


「なにかしら」


「特注部門って、いつとこんな感じなんですか?」


 シャルロッテの表情が固まった。


「まさか。そうね、精々半年……いや四半期……まあ、月に一回くらいよ」


 結構な頻度だ。

 シャルロッテが照れ隠しのように笑う。


「だいたいステラが原因ね。ただでさえ面倒な案件が多いのに、あの子は依頼人相手でも譲らないから」


「はは……」


 マリアンヌとの面談を思い出す。いつもあの調子なら、相手によってはひどく揉めるだろう。

 でも、そういう強引さを差し引いても。


「すごい魔石技師、なんですよね」


「そうね。アドラステア一。ひょっとしたら、王国一と言ってもいいかも」


「そんな人が、どうして──あ」


「どうしてこんな一工房の、それも零細部門でくすぶってるかって?」


「ご、ごめんなさい」


「いいのよ、事実だし。それに答えは簡単。あの子、魔法使免許を持ってないのよ。だから表舞台には立てない」


「へえ………………は?」


「剥奪されちゃったの」


「え、だ、だってこれ、この『傾く天秤』のエンブレム胸に付けてて」


「あれ偽物」


「嘘ですよね⁉︎ 嘘だと言ってください!」


「ざーんねーん」


 メリアは口をぱくぱくと開閉した。


「ほ、法令違反……またしても……!」


「そうね。魔法業法第四条第一項に抵触。違反者は金貨二十枚の罰金または三年以下の禁固刑に加えて、資格取得権利の永久剥奪」


「もしかして石から足がつかないように気にしてたのって、」


「もちろん、ウチを叩けば山ほど埃が出てくるから」


「わ、わあー……配属初日で自部門の闇とか、知りたくなかったなあー……」


 とんでもないことを知ってしまった。

 にこにことシャルロッテが微笑む。


「まあ、万一バレてもどうにかけどね。お金で解決できる問題だし、贔屓の貴族様たちとのコネもあるし」


「どうにかって、そういう問題ですか?」


「そういう問題よ。法律なんて、使い方次第だもの」


 怖っ。特に笑顔が全然崩れないところが。

 そういえば以前ステラが、「シャルのほうがよっぽど怖い」と言っていたような気がする。

 今、あの言葉の片鱗を垣間見た気がした。


「だって、もったいないじゃない」


「え?」


「あれだけ優秀な魔石技師が、魔法を使えないなんて」


 ──それは。

 それはきっと、そうなのだろう。


「ここでなら、ステラは自由に腕を振るえる。煩わしいものから、あの子の才能を守ってあげられる。私は、そのためにいるの」


 まるで姉が妹を愛おしむような眼差しで、シャルロッテが執務室へ繋がる扉を見遣った。


「もっともここは、あの子には狭すぎるかもしれないけど」

 

「──そ、そんなことないと思います!」


 視線がメリアに向く。玲瓏な眼差しに見つめられて、思わず赤面した。


「あ、その。今日のお昼に、ステラさんから言ってました。『依頼人が本当に欲しいものを理解し、究極の妥協案を探る。それこそが魔法石作成の肝で、この仕事の醍醐味だ』って」


 メリアの言葉に、シャルロッテが目を瞬く。


「好き、なんだと思います。ステラさんも、今のお仕事が」


「……そう」


 だったらうれしいわ。

 穏やかな顔で、シャルロッテが微笑んだ。

 この二人の間には何があるのだろう。ただの上司部下の範囲に留まらない、深い絆のようなものを垣間見た気がした。


 全てサンドイッチを平らげ、追加の紅茶を飲み干してから、メリアは両手で自らの頬を叩いた。メイド服の上から、藍色のローブを羽織る。


「メリアドール、元気でました! 作業に戻ります!」


「遠慮せずに全部食べていいのよ?」


「いえ、あとはステラ先輩に食べてもらいます。魔法の開発ってすっごく頭使うので、お腹空くはずなんです」


 皿を掴んで立ち上がる。執務室の扉へ向かい、ドアノブに手を掛ける。


「──あ」


「どうかした?」


 つつつと引き返したメリアは、シャルロッテの耳に口を寄せた。これだけは聞いておかなくては。奨学金返済のために。


「あの。今日の作業って、残業代でますか……?」


 きょとんとしたシャルロッテが、一瞬遅れて破顔した。


「もちろん! 深夜残業手当もね。メリアちゃんには、特別危険手当もつけておくわ」


「ぃよっし! じゃあもう一踏ん張りしてきます!」


 皿を抱えて、執務室に飛び込む。

 ランタンが淡く照らす室内では、黙々とステラが作業を続けていた。

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