コストと矜持の要件 終

「──すみませんでした」


 事務所を出た途端、シーンがステラに頭を下げた。「お手間をかけました」


「え」


「わ、わたしも! ありがとうございました、ステラ先輩!」


「いや」


「「助かりました!」」


「……あの、マジで止めてください。そういうノリ、ホント苦手なんで。あとここ道端なので」


 ステラが、心の底からイヤそうな顔をした。

 あの後すぐにガストンが試算し、木炭と魔法石の購入費用を合わせても十分に採算が立つことが判明した。ヴィラックがステラの案を認めたこともあり、話は一気にまとまった。

 つまり、すべてステラの功績ということになる。

 それがわかるから、シーンもメリアも両手を上げて喜べない。

 ため息をついたステラが、自分の髪をくしゃりと掴んだ。


「『顧客が本当に必要だったもの』」


「え?」


「昔、魔法石革命が起きた直後に、現代における開発工程の基礎を一人で整えた人物がいます。異世界人とも、未来人とも呼ばれた男性で──名前をご存じですか?」


「サトシ・ナカモト、ですよね」


 メリアが答える。魔法科の教科書に載っている名前だ。定義構築記述試験。基本四工程の概念を定着させ、次々に斬新な術式概念を生み出した。

 十年、いや二十年は登場が早すぎた天才。それがサトシ・ナカモトだ。実際、彼の死後にメモ帳から発見されたアイディアのうち、未だ七割以上は実現に至っていないという。

 魔法は万能だが、それを記述する石の容量と人の能力には限界がある。


「そうです。生前、彼が自分の生徒に対して行った講義の中で用いた絵があります」


 杖を引き抜いたステラが、空中に光る魔力で絵を描いた。

 十枚の、不思議な絵だった。一本の木の枝に、ブランコの出来損ないのようなものがぶら下がっている。絵はどれも微妙に異なるが、一目見て「どれもブランコとして不完全である」ということは明白だ。


「これは魔法の開発工程、その失敗例を風刺的に図示したものです。左上を見てください」


 木の枝にブランコが結びつけられている。ただし、腰を載せるための板は何故か縦に三枚重なっていた。


「サトシ・ナカモトの解説によれば、これは『顧客が最初に説明した要件』であるそうです」


「……え。この絵、なんかおかしくないですか? ブランコにしては、物凄く座りにくいような」


「ええ。途中は割愛するので、気になったら王立図書館で調べてみてください。で、右下の絵ですが」


 そこには、紐にぶら下がった大きな黒い車輪のようなものが結ばれている。


「これが『顧客が本当に欲しかったもの』です。私の言いたいこと、わかりますか?」


 メリアとシーンは顔を見合わせた。顧客の説明した要件と、顧客が欲しかったものは全くの別物だ。つまり──

 メリアとシーンの声が重なった。


「「顧客は、本当に自分が欲しいものを理解していない」」


「はい正解」


 ステラが雑に拍手した。


「今回の例がまさにそうです。ガストン氏は、そもそもどういう魔法が必要か理解していませんでした。【石炭に代替する魔法】という、漠然とした認識しかなかったんです。つまり、失敗して当然」


 本当は、違和感に気がつくべきだったのだ。最初の時点で。初めからボタンを掛け違っているのなら、後からどれだけ修正したところで意味はない。

 

「……でも私は、それに気づけなかった」


「そうですね。でも、それはシーンさんの責任ではありません。百歩譲っても、あなたの教育係の責任です」


「でも!」


 ローブの裾を掴んで激昂するシーンに、ステラが冷ややかに問いかける。


「悔しいですか? それとも、腹立たしいですか?」


「──両方、です」


 シーンが絞り出すように言った。


「あんな簡単な答えに辿り着けないなんて。情けないです。自分が」


「シーン……」


「往々にしてそういうものです。月並みですが、失敗は次に生かしてください。そもそも、あなたの魔法なら──」


 ステラが何かを言いかけたときだった。


「シーンさん!」


 事務所のドアが勢いよく開いた。


「よかった、まだいた!」


「──ガストンさん?」


「少しお時間いいですか? あの後、もう一度ヴィラックと話し合ってみたんですが──」


 ガストンの話を要約すると、「光熱魔法に興味がありそうな若手鍛治師のために、いくつか魔法石を納品してほしい」ということだった。


「いいんですか? ヴィラックさんの断り無しに」


「いや、これはヴィラックが言い出したことなんです。顔役としての許可は出せないが、希望者には使わせてやっていいだろうと」


「ヴィラックさんが……」

 

「今回の件はすみませんでした。完全に私の勇み足です。もっと鍛治師たちと話し合って、納得してもらってから案件を依頼すべきでした」


 ステラが「おっしゃるとおりで」と余計なことを言いかけたので、メリアは慌ててその口を塞いだ。


「今度、ヴィラックたちと話し合ってみます。鍛治の在り方について。それでもし、また魔法が必要になれば、」


「──はい。そのときは、ぜひアドラステアに」


「ええ。アドラステアの、にお願いしたいと思います」

 

 シーンが顔を上げる。両目は、こぼれ落ちそうに見開いていた。


「今回のことで、大変お世話になりましたから。ぜひ、また一緒に仕事をさせてください」


「……はい。次は──次はきっと、もっと良い魔法をご提案します。して、みせますから」


 だからまた、よろしくお願いします。

 ローブにきつく握りしめたまま、シーンは深々とお辞儀をした。


  †


 それからしばらくして。


「シーンの教育係、セージさんになったみたいですよ。グレミオ主任のほうから言い出したみたいです」


「へー」


 興味なさげに林檎を齧りながら、ステラが呟いた。


「それはそれは。お灸が効きましたかね」


「? ステラ先輩、肩でも凝ってるんですか?」


「あー。えーまー。ガチガチなんですよ残業残業また残業で」


 お揉みしましょうか? とメリアが手振りで尋ねると、ステラは嫌そうな顔で首を横に振った。

 がちゃり。執務室のドアが開き、シャルロッテが入ってくる。


「メリアちゃん、今日もお弁当なのね」


「はい! えへへ、ヴィラックさんが割安で包丁を売ってくれてから、料理が楽しくて。すっごく切れるんです! スパスパですよ!」


「そのうち、打ち物の値段も下がってくるでしょうね」


 そうすれば、また刃物が売れるようになるだろう。ヴィラックたちが守り、育んできた技術は本物なのだから。


「──ところで、さっき残業続きって言ってましたけど。ステラ先輩って、いつ家に帰ってるんですか?」


 空気が凍った。主に部門長であるシャルロッテ付近の空気が。

 余談だが、部門長は当然に部下の労務管理に関する責任を負う。


「……メリアちゃん」


「はい?」


「メリアちゃんは、魔石技師ギルドの労働監督課にお友達はいないわよね?」


「いませんけど。みんな工房に就職するか、田舎に帰るかしたので」


「素晴らしいわ」


 なにがだろう。

 やり取りを気にせず、なにやら指折り数えていたステラが口を開いた。


「多分、四日前ですね」


「え? なにがですか?」


「家に帰ったの」


「………………は?」


「先週は五日くらい帰らなかったような」


「え、あう、え? うぇ?」


 混乱するメリアを、シャルロッテがひしと抱きしめた。


「安心してメリアちゃん。私は毎日きちんと帰ってるし、あなたも定時に帰っていいのよ。ステラがおかしいだけなの。あの子は病気なの」


「いたって健康ですが」


仕事中毒ワーカーホリックだって言ってるの! 部門長会議で詰められるの私なんだからね⁉︎」


「週末は帰ってますけど」


「当たり前のことドヤ顔で言わないで!」


 シャルロッテが両手で顔を押さえた。

 どうりで「なんかこの人いつも職場にいるな?」となるわけだ。どれだけメリアが早く出勤しても先に来ているし、仕事のキリが悪くて残業したときも平然と居残っている。

 それでもまさか、執務室に寝泊まりしているとは……あれ?


「ちょ、ちょっと待ってください。ステラ先輩、ってことはもしかして、前にお風呂入ったのって」


「四日前ですけど」


「きゃーーっ!!」


 メリアは絶叫した。


「う、うそ、嘘ですよね⁉︎ ただでさえそのゴッツいブーツ脱いで机に生足放り出してるの、『正直臭いとかどうなのかな……』って思ってたのに! 四日! 四日洗ってないって!」


「失礼な。臭いませんよ。嗅いでみますか?」


「嗅ぎませんよ! 変態さんじゃないですか⁉︎」


「犬ってよく人の足を嗅ぎにきますよね」


「わたし犬じゃないです!」


「まあ真面目に答えると、ブーツと服に衛生用の魔法石を仕込んでるので。汚れは勝手に落ちます」


「いやいやいや、そうだとしてもですよ。えー、なんかよく見たら髪の毛とかベッタリしてる気がしてきました。ばっちいですよ先輩。お風呂入りましょうよ。ね? お背中流しますから」


「結構です」


「いいじゃない。入ってきたら?」


 思いがけないシャルロッテの言葉に、メリアとステラの視線が集中する。

 シャルロッテは懐から一枚の手紙を取り出し、ひらひらと振った。


「特注部門への相談依頼が来たわ。現地での面談希望で、場所は観光都市ミスドラス。大陸有数の温泉街よ」

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