魔女曰く、ステラ・ディーヴァの要件定義は。
深水紅茶(リプトン)
恋と竜退治の要件 1
アドラステア魔石工房において、ステラ・ディーヴァの評価は真っ二つに分かれる。
曰く、傲慢で口と態度が悪く、鼻持ちならない痩せ兎。
人を人とも思わず、平気で組織のルールを破る空気の読めない小娘。
遠くから眺める分には面白いが、近づかれると面倒くさい
とかく悪口には事欠かない一方で、誰もが口を揃えて言う。
極めて優秀な魔石技師であり、まさしく弊工房の切り札である、と。
さて、この手の「優秀な変人」はおよそどんな組織にも存在するが、往々にしてもっとも不幸なのはその後輩だ。
「まず二行目ですが──この術式を選ぶ理由が、まったくわかりません。どうして着火にこんな古い術式を? もっと燃費に優れた式があるじゃないですか。先々月の『マギテック』誌の論文、読んでないんですか?」
現に今、一人の少女が、半日がかりで書いた
「五行目。魔力疎通プロトコルに反してますね。なんの冗談です? 七行目。この記述要りませんよね。十三行目。記載してる閾値の根拠は? 十六行目。誤植。この仕様で実装したらバグりますよ。二十六行目……」
正論に次ぐ正論。知識という名の棍棒に全身を打ち据えられて、焦茶の髪の少女は今にも膝から崩れ落ちそうだ。
「四十六行目。風魔法を組み込むのはともかく、この術式だと逆に火が消えますね。なにがしたいのか意味不明です。五十行目……」
配属直後のド新人にこの激詰め。しかしここで倒れるわけにはいかないと、少女はどうにか足を踏ん張る。
「六十二行目。字がヘタ。読めない。六十七行目。雪や霧の日のこと考慮できてます? 七十行目……」
彼女はもう知っている。
臙脂色のローブをだらしなく着崩したこの銀髪の少女──と言っていいくらい年若い先輩が、こと仕事においては嘘や出鱈目をけして口にしないことを。
「──以上。なにか質問は?」
「だ、大丈夫ですっ。もう、もうお腹いっぱいですから!」
返却された【寒冷極地における焚き火用火属性魔法石】の魔石定義書──魔法石の設計仕様書は、書き込まれた指摘事項で真っ赤に染まっていた。
まるで殺人現場だ。
「す、すす、すぐに直します……ので!」
「はい、よろしく」
少女はほうほうの体で撤退した。ため息をグッと飲み込み、机の上に載った藍色の石に触れる。
途端に、爽やかな柑橘類の香りが広がった。指先から流し込まれた魔力が疎通プロトコルを通過して、石の内部に記述された香りの魔法を【
少女は深く息を吸い込んで、定義書の修正に取り掛かる。
凹んではいられない。この橋を渡ると決めたのは、他でもない自分自身だ。
そして──うず高く書類が積まれた机を見遣る。
ステラ・ディーヴァ。
あの天使のごとく傲慢で、悪魔みたいに優秀な魔石技師こそが、自分の
†
魔法石。
魔女に生まれた者しか扱えなかった「魔法」を、只人が扱うための新技術。
三十年余り前、伝道の魔女アニマがこの技術を公表したとき、世界は一変した。魔法石は車輪や鉄器、火薬と並ぶ歴史的発明だった。
恐るべき竜が襲ってきても、もはや魔女に奇跡を請う必要はない。魔法石があり、それを作る職人──魔石技師がいるから。
ただし。
石に宿った魔法は、けして万能ではない。
例えばここに、「火を熾す魔法が籠った石」があったとする。
とても便利だ。これ一つあれば、煙草の着火から竈の火入れ、ランタンに入れる蝋燭の代用、野営の篝火に危険なモンスターへの対処まで、火にまつわることは何でもこなせる──とは、ならない。
全然、ならない。
なぜなら、石に込められた魔法は融通が効かないから。
威力も燃費も持続時間も、すべての仕様は決まっていて、誰が使っても変わらない。
蝋燭の火では竜は倒せないし、竜を倒し得る業火は竈の火入れには使えない。
ではここで、魔法を込める側の立場になって考えてみよう。
あなたは魔法を石に込める仕事をしている。
ある日、依頼人がこう言った。
「君、この石に火が出る魔法を込めてくれ」
あなたはどんな炎を
火力は? 形は? その炎は何秒間持続する? 色は何色? 消費魔力に上限はいらない? そもそも手にした石が燃え上がったら火傷しないだろうか? ただ燃えるより、火の玉が飛び出る仕様のほうがいいんじゃない? どうせならもっと派手な感じで。もういっそ爆発させちまおうぜ。地這竜もノックアウトできるくらいに。いえーい。
そして顧客が言う。
「ごめん。なんか思ってたのと違うわ。サクッと作り直してよ」
そういう炎上事故が起きないように、石に込める魔法の仕様を細かく決めていく仕事がある。
これを要件定義という。
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