観光都市ミスドラス 1
「ステラさんと二泊三日、温泉付きかあ」
ナイフでパンケーキを切り分けながら、シェルヴィが苦笑した。どさりと載ったクリームがとろりとこぼれ落ちる。
「ふふ、それは大変そうだね」
「そうなんですよ。もう不安しかなくて」
ザクザクと果物にフォークを挿しながら、メリアは嘆息した。
「……私は面白そうだと思う。けど」
ティーゼリーをスプーンでつついて、シーンがメリアに言う。
「あの人。見てて飽きなさそう、だから」
「シーン」
メリアはしっかりと親友の目を見て言った。
「檻の向こうから見る面白さと、一緒に檻に入る面白さは種類が違うんだよ?」
「教育係を珍獣扱い」
「だあってさあ。口を開けば罵倒ばっかりだし、気持ち悪いくらい魔法に詳しいし、お昼いつも林檎一個だし、秋なのに生足だし、おまけに窃盗」
「せっとう?」
「……せ、銭湯には入らないし」
あやうく自白するところだった。
「でも経費で温泉に入れるんだよね?」
「そうなんですよ! それは普通に楽しみです」
「オーダーメイド魔法石の保守メンテナンスって、けっこう大変なの?」
「どうなんでしょう? あくまでわたしはサポートだって聞いてますけど」
ある旅館が保有している温泉の水質浄化、および温度管理用魔法石の保守点検。
それが今回の仕事だ。どうやら魔法石が不調らしく、作成者であるステラが呼び出される運びになったらしい。
「普通は石の修理くらい、現地の工房でやっちゃうよね」
「そこは名指しで指名があったみたいですよ。出張滞在費は向こう待ちだから割高なんですけど」
「つまり、依頼主からの信頼」
ぽつりとシーンが口にした言葉が、おそらく真実だろう。この前の鍛治ギルドとのやり取りでメリアも思い知ったことだが、
間近で見ていれば、ステラが依頼人から信頼されているのがよく分かる。
そして。それはまだ、メリアが持ち得ないものだ。
新人だから仕方ない。自分は天才ではないのだから、仕方ない。そう思う反面──
「……遠いなあ」
溢れた嘆息が、深まる秋の蒼穹に溶けていく。
†
大陸における主要な長距離交通機関は、鉄道だ。大型の魔法石によって湯を沸かし、蒸気でタービンを回して推進力を得る。
王都グランベルから観光都市ミスドラスまではおよそ三時間弱。メリアは郊外にある駅で二人分の弁当を買い、領収書を受け取って二等車両へ乗り込んだ。
「ステラ先輩、お弁当どっちがいいですか? 鴨肉のバゲットか、白身魚のフライとポテトなんですけど。あとお茶も二種類あって」
小ぶりなランチバスケットを左右の手に掲げたメリアをちらと見て、ステラが「はあ」と気のないため息をついた。
今日の彼女はフリルブラウスにキュロットスカート、そしていつもの編み上げブーツというラフな私服姿で、魔石技師の身分を示す「傾く天秤」のエンブレム──もっとも彼女のそれは偽物らしいが──も付けていない。
「行楽気分ですか? それとも観光のつもりですか? 遊びにいくわけじゃないんですよわかってます?」
「わかってますけど! でもわたし、シャルロッテさんから厳命されてるんです! 仕事はちゃちゃっと済ませて、あとはステラ先輩をきっちり休ませてこい、って」
メリアはポケットに手を入れて、薄緑色の魔法石をひとつ取り出した。
「シェルヴィさんから借りた睡眠誘導用の魔法石です! いざというときは、コレで無理やりにでも休んでもらいますからね!」
「へー。それ、犯罪防止用の安全対策プログラムのせいで、よっぽど疲れてる相手にしか効きませんよ。あと、酔ってる相手にも無効」
「え、そうなんですか……?」
えい、えいと起動してみるが、ステラは欠伸ひとつ零さなかった。悲しい。
「さて、到着まで三時間くらいありますね」
「あの。今取り出した紙、なんですか?」
「先週発表された新型水質管理術式の論文」
「先輩人の話聞いてました⁉︎」
「仕事じゃないですけど」
「わたしたちが論文読むのは仕事の内ですよぉ!」
どうしてくれよう、この
そうこうしていると、機関車がぶるりと震えて、木製の座席から振動が伝わってきた。窓枠をつかんで引き上げると、冴え冴えとした涼風が吹き込んでくる。
「わ、わ、動いてますよステラ先輩!」
「機関車動いて感激するってどこの田舎者ですか」
「上京してきたとき以来なんですっ。四年ぶりですよ、四年ぶり」
メリアの言葉に、ステラが論文から顔を上げた。
「……四年ぶり?」
「はい! 王立女学院に入ったのが四年前ですから」
「いえ、そうではなくて。普通、帰省くらいするでしょう。夏季休暇とかで」
「あ。わたし、家族いないので」
「え」
ステラの反応は、これまでメリアが幾度も経験してきたものだった。動揺と、言葉を選ぶための沈黙。目の奥に滲む同情。
できるだけ明るい声で、メリアは続けた。
「四年前にお母さんが亡くなって。お父さんはずっと昔に。それで王立女学院に入ることに決めたんです。あそこって全寮制で、魔法科は奨学金も出るじゃないですか」
「……四年前。一応確認ですが、あなたの地元って──」
線路にガタツキがあったのか、機関車が大きく揺れた。
通路を挟んで反対側の座席から、どさりと音がした。今の振動で、荷台から荷物が落ちてしまったらしい。見れば、紙袋から黒い手袋のような手袋がいくつか飛び出していた。
席に座っていた青年が立ち上がり、周囲に向けて「すみません」と頭を下げる。
鳶色の髪をした、気弱そうな青年だ。二十代半ばくらいだろうか。身なりが良いとは言えないけれど、マナーとしての清潔感はある。
「あの、手伝いましょうか」
反射的にメリアが立ち上がると、男は一瞬、怯えたように目を見開いた。
「いえ、大丈夫です。お気遣いなく」
そのまま俯き、散らばった手袋を雑な仕草で紙袋へ詰め込んでいく。
中途半端に立ち上がった姿勢をしていたメリアは、再び席に腰を下ろした。
背後をチラと見たステラが言う。
「あの手袋、アドラステアの製品ですね」
「え、そうなんですか?」
「仕様のチェックで見た記憶があります。確か、鉱山での採掘作業用の手袋ですよ」
商品名は確か「岩石崩し」でしたかね、とステラが呟く。指先部分に岩盤を割り砕くための魔法石が仕込んであるらしい。
「分子結合を振動させることで、どんな硬い岩でも粉砕可能だとか。かなり売れたはずです」
「へえ。じゃあ、あの人も鉱山で働いてるのかな……あれ? ミスドラスって観光都市ですよね」
「元々は炭鉱都市です。五、六年前に現市長が観光業へ舵を切りましたが、元々は炭鉱夫の街ですよ」
ステラの解説によれば、今でも少なくない数の採掘坑が稼働しているらしい。
「もっとも」
ステラが窓の外へ視線を投げた。
「かつて街の中心だった炭鉱は、産出量の減少と魔法石の普及に伴う燃料資材の需要低下によってほとんどが廃坑に。残っているのは、魔法石適正が高い宝石類の鉱脈のみ──だそうですが」
「時代の流れってやつですねえ」
なんだかしみじみとしてしまう。別に、ミスドラスの過去を知っているわけではないのだが。
それでも、メリアの目に映る世界は日々移り変わっていく。魔法石の発展とは、そういうものだ。
「石革命から三十年。工房による市場流通が本格化してから十年。きっとまだまだ、この世界は変わっていくんですね」
「でしょうね」
メリアの言葉に、意外なほど素直にステラが頷いた。
「技術の進歩は常に不可逆。ただ──」
汽笛が鳴った。橋に差し掛かったようで、座席の揺れが激しくなる。窓から吹き込む風と音に散らされて、ステラの言葉は聞き取れなかった。
ただ、メリアには、彼女がこう言っていた気がした。
──早過ぎる歩みは、ときに痛みを伴う。
と。
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