観光都市ミスドラス 2
駅から出ると、硫黄の匂いが鼻先を掠めた。観光都市を名乗るだけあって、駅舎周辺からしてよく賑わっている。
駅から伸びるメインストリートは石畳で舗装されていて、左右には真新しい白亜の建物が並んでいた。これが少し前まで炭鉱街だったとは、ちょっと信じられないほどだ。
ではさっそくホテルに、と思ったところでステラが何故か明後日の方向へ歩き出した。
「え? あ、ちょっ、ステラ先輩?」
「さっきの論文で気になる参考文献がありました。図書館に寄るので、先にホテルへ行っておいてください」
メリアが止めるより早く、ステラはスーツケースを引いて人波の奥へ消えてしまう。
「え、ええー……」
ぽつんと取り残されたメリアは、半端に伸ばした手を下げた。
見知らぬ街で一人。端的に言ってとても寂しい。
とはいえ、図書館まで追いかける気力はなかった。とりあえず荷物を曳いて、シャルロッテから渡された地図を片手にホテルへ向かう。
で。
「あれ? おかしいな、この辺のはずなんだけど……」
迷った。
しかもいつの間にか表通りを外れて、裏道に入ってしまった。昼間といえど、日の差し込まない小径は薄暗い。
それに──なんというか。
駅前とは雰囲気が違う。粗末な荒屋のような家々に、営業しているかも怪しい飲食店。酒瓶の転がる道端からは、鼻につく据えた異臭がした。
華やかな白亜の街並みに隠された、匂い立つ貧困の気配。
(……とりあえず、一旦戻ろう)
メリアが身を翻したとき、暗がりから足音がした。二十歳過ぎの男が三人。皺だらけのシャツは垢と煤に汚れている。無精髭の生えた赤ら顔から、濃密なアルコールの気配がした。
一番年嵩の男が、不躾な視線でメリアの身体を舐めた。背筋に悪寒が走る。目を合わせないよう俯いて、足早に横を通り抜けようとした。
ガッ。
男がヘラヘラ笑って、足で道を塞いだ。
「そんなにビビんなって」
もう一人の男が後ろで笑った。「オメーの顔が怖ぇんだよ」
「うっせ。ねえ君、観光っぽいけど、裏路地になんの用?」
声を掛けてきた年嵩が前を塞ぎ、会話に参加していない若い男が後ろに回り込む。
走って逃げるには荷物が邪魔だ。それでも、なりふり構わず走り抜けるべきかも──と思った瞬間、男の腕が肩に伸びてきた。
「おっ、意外と可愛いじゃん」
三人目の男が呆れたように言う。
「まだガキだろ。お前、マジかよ」
「バカ、わかってねえなあ。こんくらいが丁度いいんだよ」
本格的にやばい。
背筋に冷たい汗が伝った、そのときだった。
ころころと、足元に何か丸くて小さなものが転がってきたのは。
「あ? なんだこれ」
男が手を伸ばすと、球体は勢いよく煙を吹き出し始めた。同時に、メリアの背後で大きな声がした。
「火事だーーっ!!」
「あ? 火事?」
メリアの肩を掴んでいた男が、困惑したように周囲を見回した。立ちこめる煙でよく分からないが、「火事」という単語に反応したのか、いくつか足音が近づいてきている。
「くそっ、なんだこの煙⁉︎」
立ちこめる煙を振り払おうと、男が手を離す。
同時に、誰かがメリアの手首を掴んだ。
「こっち!」
真っ先に叫んだ声と同じ、女の子の声だ。引かれるままに走り出す。男たちの罵声が背中に飛んでくるが、もう周囲には野次馬で人だかりができている。
そのまま、入り組んだ路地を三つか四つ曲がっただろうか。女の子が足を止めて振り返った。
「こんなもんかな」
キャスケット帽の下で、くすんだ金髪が揺れる。煤で汚れたリネンシャツにサスペンダーつきのカーゴパンツ。生地がささくれてボロボロになった革靴を履いている。遠目には、少年にも見える格好だ。
少女はじっとメリアの瞳を見つめた後、深々とため息をついた。
「あのさ。キミ、バカなの?」
「え?」
「あんな場所に女の子が一人で荷物抱えてたら、襲ってくれって言ってるようなモンだよ。怖いもの見たさなら止めないけど」
「ち、違うよ。道に迷ったの! 『フローライト』ってホテルを探してて、」
「『フローライト』ぉ? 全然方向違うじゃん。表通りにあるご立派なホテルだよ。キミ、もしかして良いとこのお嬢様?」
「まさか! これから仕事なのっ」
「へええ」少女の視線がメリアの姿を確かめる。「もしかして、新人メイドか何か?」
メイドか。ある意味では適切な表現かもしれない。今のメリアは、ステラの小間使いみたいなものだ。
「うん。まあ、そんな感じ」
「そっか」
少女は頷いて、走って乱れたメリアの襟を整えた。
「うんうん。どんな仕事であれ、働いてるなら立派だよ」
「……あ、ありがと?」
背後から、荒っぽい声が響いた。先ほどの連中が追いかけてきたのだろうか。まだこちらを見つけたわけではないようだが。
少女が小さく舌打ちする。
「キミ、急ぎ? 時間ある?」
「少しなら平気だけど……」
「オッケー。なら、連中が諦めるまでウチにいなよ。すぐそこだから」
ね? と袖を引かれて、ついメリアは頷いていた。実際、荷物を引いて歩き回った末の逃走劇でクタクタだ。休めるものなら今すぐ腰を下ろして休みたい。
「あ、そうだ」
さっそく歩き出した少女が、思い出したように振り返った。
「ボクはクラウ。捨石拾いのクラウ・チャペル。キミの名前は?」
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