恋と竜退治の要件 6

 執務室に戻り、シャルロッテとの面談が終わると、仏頂面のステラが声を掛けてきた。


「あなた、何が食べたいですか」


「はえ?」


「いえ、ですから。その。そろそろ昼休憩なので」


 横を向いたステラが、「お金は出します」と呟いた。あまりにもぎこちない。人を誘い慣れていないにもほどがある。

 お昼か……。

 ちょっと気まずいし怖いけれど、親のいないメリアは奨学金という名の借金を背負っている。折角奢ってもらえるというなら甘えておこう。


「あの、シチューとか食べたいです」


「わかりました」


 スタスタ歩き出したステラの背中を追う。

 王都は食の都だ。大陸の主要都市を繋ぐ鉄道網によって、大陸各地からあらゆる食材がやってくる。料理屋の数も多い。

 目抜通りの端で、ステラが言った。


「じゃ、お好きな店にどうぞ」


 わたしが選ぶんかい。いやいいけど。

 折角なのでちょっとお高い店を選ぶ。注文を終えると、すぐに湯気を立てたシチューが運ばれてきた。


「あの、ステラ先輩」


「勝手に先輩呼びしないでください」


「でも、同じ部署ですし」


「二週間だけです」


「え?」


「好きな部門宛の推薦状を書くと言ったでしょう。嘘は吐きませんよ」


「あれ、本気だったんですか⁉︎」


「だからそう言ってます」


 硬いパンをブラウンシチューに浸しながら、こともなげにステラが言った。

 なんなんだろう、この人。普通のスタッフに、そんな発言力があるのだろうか。

 そういえばセージが妙なことを言っていた。確か──


「ステラ・ディーヴァは工房の切り札」


「は? なんですか、それ」


「あの、セージさんがそう言ってたのを思い出しちゃって。どういう意味なんですか?」


 ステラが深々とため息をついた。


「一部のスタッフが勝手に言ってるだけです。特に営業の御用聞連中」


「ごようきき?」


「アドラステアは直販や市場への卸売の他に、貴族や上級商人相手へ高級魔法石の販売もしています。金持ちが多いので上客ではありますが、その分注文と文句と苦情が多いんですよ」


「なるほど」


「普通は既存の魔法石を組み合わせて対応しますが、中には手詰まりになるケースもある。そういう案件がウチに回ってくるわけです」


「そ、それで切り札ですか」


「言葉どおりでしょう?」


 間違ってはいない気もするが、どちらかといえば貧乏籤というか、ババ引き役というか。


「マリアンヌさんも、そういう?」


「ええ。出入りの営業がうちに丸投げした客です」


 ステラが小さく舌打ちした。言葉遣いは丁寧だが、早口なうえに語気が刺々しい。

 つまり怖い。


「オーダーメイドって、いつもあんな感じなんですか?」


「んなわけないでしょう。必要ならちゃんと魔法を作りますよ。ただ、不要なら作らないし、既製品でいいならそっちを勧めます。それも含めて、要件定義ですから」


 定義。さっきも口にしていた言葉だ。


「それって、魔石開発四工程の【定義】のことですよね」


「へえ、さすが院卒」


「ば、馬鹿にしないでくださいよぅ」


「してませんが。エリートじゃないですか」


 魔法石作成には四つの工程がある。【定義】、【構築】、【記述】、【試験】。

 そのうち【定義】とは、素体となる石にどういう術式を記述するかを定める工程だ。その魔法で何を実現し、何を実現しないのかを定義する。もっとも最初に行われ、ここで決まった内容は、原則として完成まで覆らない。


「『魔法は全てを実現する。大切なことは、何をするかではなく、何をしないかだ』」


「魔石技師の祖、フィッツジェラルドの格言ですね」


「ええ。ご存知のとおり、魔法は奇跡の力です。理論上は何でもできる。例えば、この大陸を丸ごと吹っ飛ばしたり、死者を蘇生することも」

 

 魔法科の最初の授業で教わることだ。

 かつては魔女が独占していた神代の黎明言語。その異形の言語を石に記述し、人が持つ魔力を増幅して奇跡を起こす現象──魔法。

 理論上、魔法にできないことは何もない。本当の本当にできる。しかし──


「けれど理想と現実の間には、超えられない二つの壁がある」


「石の容量ストレージと、人間の能力……」


 メリアの呟きに、ステラが頷いた。

 全ての石には、術式を書き込める容量ストレージがある。一般に、より大きく、より高価な宝石ほどたくさんの情報量を書き込むことができる。「石」という極めて優秀な情報媒体が生まれた後も、紙文化が廃れていない理由がこれだ。

 高容量の宝石は希少であり、従ってコストがかかる。 

 もう一つは説明するまでも無い。結局、石に術式を記述するのは人間だ。長大で複雑で高度な術式ほど、失敗のリスクは上がる。

 大陸一つ壊せるような術式をミスなく記述できる人間は存在しないし、膨大な術式を書き込めるサイズの宝石も存在しない。

 だから、まだこの世界は壊れていない。その代わり、理想郷でもないけれど。


「【定義】というのは、理想と現実のギャップを埋める作業です。用意できる石の容量と、限られた納期の中で、依頼人が本当に欲しいものを理解し、最善の妥協案を探る。それこそが魔法石作成の肝で、この仕事の醍醐味──……」


 ハッとしたように、ステラが口を閉じた。バツが悪そうにグラスの水を飲み、横を向く。


「まあ、あなたには関係ない話です。どうぞ研究部門で、魔法の深奥を極めてください」


 そのまま、もくもくとシチューを食べ始める。なんだかもったいない気がした。もう少し、話を聞いていたかったのに。

 でも、これ以上は聞いても答えてくれない気がする。かといってだんまりのままというのも気まずくて、メリアは適当に口を開いた。


「あ、あの! マリアンヌさん、上手くいくといいですね!」


「砂粒ほども興味ないです」


「そういえば、幼馴染なんだそうですよ。素敵ですよねえ、身分違いのロマンスって」


「だから興味……身分違い? あの惚気話の相手、王族かなんかですか?」


「逆ですよ! 婚約者さんが子爵家の長男で」


 その瞬間。

 ぴたりとステラのスプーンが止まった。


「いや、ちょっと待ってください。公爵家の娘と子爵家の息子が婚約して、が婚約破棄を宣言したんですか?」


「? はい、そうだと思いますけど……」


「ありえません」


「え?」


「公爵家と子爵家じゃ格が違い過ぎます。百歩譲って婚約が成立したとして、子爵側がそれを反故にするなんて許されません。よほどの事情がない限り」


「よほどの事情って」


「例えば公爵家側が不貞行為を働いていた、とか」


「そんな、マリアンヌさんはそういう人じゃないですよ。ステラ先輩だって見たじゃないですか」


 最初こそあんなことを言っていたけれど、後半の惚気は凄まじかった。彼女が不貞を働いた? それも、婚約破棄前に? 

 そんなこと、ありえない。


「男女の話なんて、外野にはわからないと思いますけど」


「それは──いえ、でも絶対違います!」


「……だとすれば、謎が残りますね」


 ステラがシチューから大きな芋を掬い、口に放り込む。


「なぜマリアンヌ嬢は、婚約を破棄をされなくてはならなかったのか」


「そ、そうですよね。マリアンヌさん。あんなに素敵な方なのに。どうして婚約破棄なんて……」


 おかしい。やっぱり、おかしい気がする。

 少なくとも、マリアンヌは明らかに元婚約者に好意を抱いていた。

 人の趣味はそれぞれだが、彼女は堂々とした王都風の美人だし、容姿にも気を遣っていた。性格だって可愛らしい。貴族社会のタブーを犯さなくてはいけないほど、好ましくない相手ではないはずだ。

 では何故。

 行き違い? 喧嘩? 違う。それならマリアンヌが口にしていたはずだ。

 あるいはマリアンヌ自身、婚約破棄の理由に思い当たっていないのか。

 だから納得がいかず、納得できないから苛立ち、紹介を受けてアドラステアを訪れた。

 こう考えれば辻褄は合う。合うけれど、もしそうだとしたら。

 だとしたら──どういうことなのだろう?

 整理してみよう。

 互いに気持ちが通じている男女がいて、男が女に一方的に別れを告げる。男は硬派で無骨で寡黙。おそらく抱え込むタイプ。

 どういうシチュエーションが考えられる?

 例えば、例えば──


「その。もしかして、元婚約者は不治の病だった、とか」


「ないですね。マリアンヌさんは、婚約者を『王都でも指折りの剣士』と言っていました」


「じゃあ、立場や身分の問題……は、解決したから婚約したわけですよね。他の可能性──」


 ひとつの想像が頭を過ぎる。

 その瞬間、ぞわっと背筋が冷えた。

 おそるおそる、メリアは言った。

  

「例えば、死を覚悟した戦いに向かうとき……とか」


 ステラの手が止まる。


「その。そういう話、劇で見たことがあるんです。戦争が始まって、激戦区に行かなくちゃいけなくなった男の人が、愛する恋人からわざと嫌われようとするっていう筋書きで」


 死にゆく自分を忘れて、新しい恋人を探してほしい。それが男の秘めた本心だった。男が戦死した後、ヒロインは真実を悟り、毒を呷って男の後を追う。

 そういう悲劇の恋物語だ。


「くだらな。三文芝居ですね」


「めちゃくちゃ泣けるんですっ! わたし三回も泣きました! いや、それはどうでもよくて、そのっ、もしかしたら──」


「わかってますよ」


 ステラが小さく舌打ちした。苦々しい声で呟く。


「面倒な予感がしてきました。忌々しいことに当たるんですよね、これ」


 宣言どおり、ステラの予感は的中した。

 夕方、再び執務室の呼び鈴が鳴った。来訪者はマリアンヌで、整った顔を涙でぐしゃぐしゃにした彼女はこう言った。

 

「助けて。このままだと、ダスティが死んじゃう」


 ──と。

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