恋と竜退治の要件 7

「黒の森に現れた、地這竜の討伐勅令……」


「ええ。それも騎士一名に従騎士五名だけの最小編成。並の騎士なら、『死んでこい』とほぼ同義語ですね」


 マリアンヌとの面談を終えたステラが告げた言葉を聞いて、メリアは硬い唾を飲み込んだ。

 地這竜。

 その名の通り、翼が退化した竜の一種だ。飛行機能力はない代わりに、強靭な四肢と毒のある爪、太い尾、発達した顎を持つ。


 魔法石革命以前、竜は騎士や冒険者、自衛団の代表的な死因だった。竜は群れこそ成さないが、デカくて強くて息吹ブレスを吐く。

 事情が変わったのは、革命後に「竜忌岩」と呼ばれる魔法石が開発されたからだ。頑丈で巨大な竜石に、竜が嫌う音波を放つ術式を組み込む。一日一回起動するだけで休まず稼働する優れもので、今はどこの都市の鐘楼にもこの魔法石がひとつ設置されている。


 ただ──その効果範囲は、都市や、都市間を繋ぐ線路だけだ。

 人が住む森や山岳部に竜が出現した場合、騎士が派遣されることになる。

 メリアと別れた後、マリアンヌはダスティの元へ向かい、婚約破棄の経緯について詰問したそうだ。

 当初ダスティは言い渋っていたが、やがてすべての事情を明かした。

 自分に地這竜討伐の勅令が下されたこと。

 その成功確率は──


「せいぜい五分五分でしょうね。いくらダスティ氏が優秀な剣士でも。勝てたとしても、後に残る傷を負う可能性が高い」


「そんな……」


 五分五分。半分の確率で、死ぬ。

 無茶苦茶だ。軍事行動として破綻している。なにより、竜種の討伐に人数制限をかける意味がわからない。

 そのとき、工房へ出向いていたシャルロッテが、執務室へ戻ってきた。


「ただいま」


「シャル。なにかわかりましたか?」


「少しはね。予想どおり、宮廷内の力学が働いたみたいよ。それもかなり上のほうから」


「シャルロッテさん、宮廷貴族の知り合いがいるんですか⁉︎」


「まさか。工房内の御用聞たちから情報を集めてきただけ」


 アドラステアには、貴族の懐に入って商売しているスタッフがいる。そこから話を聞いてきたのだろう。


「平たくいうと、狙いはマリアンヌさんね。第二王子が、彼女を側室にしたいと溢してたみたい」


「あー、それでダスティ氏が邪魔になったと」


「な、なんですかそれ⁉︎」


「別に珍しい話でもないですよ。王子本人が動いたか、取り巻きが気を効かせたか知りませんが」


「そんな……」


「宮廷には対竜魔法が入った大型の魔法石がありますよね。国宝の。あれは?」


 そうだ、対竜魔法。メリアも授業で聞いたことがある。誰でも安全に竜を討伐できる術式が刻まれた、赤子の拳ほどもある大宝石。

 けれど、シャルロッテは首を横に振った。


「【王笏】ね。今回、持ち出し許可は出てない。『王国で五本の指に入る剣豪、ダスティ殿には不要であろう』だそうよ。編成人数が少ないのも同じ理由」


「うわえっぐ。これだから貴族は……」


「えっ、えっ。あの、なんとかならないんですか?」


「なりませんよ。陛下の勅令が出ちゃってるんですから。何があろうと、定められた日に出立して竜と戦うしかありません」


 そして、マリアンヌがダスティから聞き出した出立日時は──明日の夜明け。

 あと十二時間と少しだ。


「そんな……」


 本当に何もできないのだろうか。まだ時間はある。例えば、例えば──


「わ、わたしたちで、対竜魔法を実装するとか!」


「馬鹿ですか」


「だってそうすれば、」


「さっき自分で言っていたでしょう。対竜魔法──どんな竜も吹き飛ばせる亜音速砲撃魔法の構築に、どれだけの術式が必要だか理解してます? そんな容量の大宝石がどこにあると?」


「それは、でも……」


「仮に石があったとして。定義構築記述試験。四工程パスするのに最速で丸二日はかかりますよ。討伐どころか、通夜まで終わりますね」


「わかってます! わかってますけど……!」


 ──幼馴染なの。

 そう言ってはにかんでいたマリアンヌの笑顔が、脳裏にこびりついて離れない。


「それでも、何か……」


「そのって、具体的になんですか?」


「…………それは」


 分からない。

 理想はある。一撃で竜を倒せる魔法がほしい。今すぐ、あと十二時間で。

 でも、現実はそこから遠すぎる。

 果てしない距離をどうやって縮めればいいのか、今のメリアには見当もつかない。


「ステラ」


「……なんですか」


「新人を苛めない。泣いちゃってるじゃない」


 言われて気がついた。目の奥が熱い。視界がぼやけている。泣いていることに気づくと、なんだか余計に泣けてきた。

 悔しい。

 不鮮明な視界のなかで、ステラが気まずそうに首に手を当てた。


「……さっき教えたでしょう。思い出してください。開発四工程のうち、【定義】というのは──」


「……理想と現実の狭間で、依頼人が本当に欲しいものを理解し、究極の妥協案を探ること」


「なんだ。覚えてるじゃないですか」


 気のせいだろうか。ぼやけた視界のなかで、この意地悪な先輩が微笑んだ気がした。

 腰帯から魔法の杖を引き抜き、ステラが顔の前に構える。


「メリアドール・ウィスタリアに問います。今、依頼人が本当に欲しいものはなんですか?」


「……竜を、倒せる魔法です」


「違います。それでは漠然としすぎている。もっと精緻に、具体的に考えてください。本当に、【誰でも】【安全に】【全ての竜を倒せる】魔法が必要ですか?」


 それは当然──いや、違う。

 そうじゃない。

 そんな魔法が使えたら、それが一番に決まっている。でも、現実から目を逸らしては駄目だ。作れないものは作れない。間に合わないものは、間に合わないのだ。

 理想と現実の妥協点を探れ。


「……【誰でも】じゃないないです。そうだ。そうです。ダスティさんは、王国有数の剣士なんです。だから、【優れた剣士が】【竜を倒せる】魔法であればいい……そうですよね?」


「少しよくなりました。でもまだ全然です。わかりますか?」


「【全ての竜を倒せる】必要はないです! 【地這竜を倒せる】魔法であれば、要件は足ります。だから、空を飛ぶ相手に備える必要はない……」


「【優れた剣士が】【地這竜を倒せる】魔法。それが要件?」


「いいえ! 地這竜は黒の森にいます! 小規模部隊なら、気づかれずに接近できます! 尻や爪も自由に振り回せないはずです。その代わり、延焼を含めたブレス対策が必要です!」


「【優れた剣士が】【不意打ちの接近戦闘で】【炎のブレスと森の延焼を妨害しつつ】【自由に身動きできない地這竜を倒せる】魔法。他に、考慮漏れはありませんか?」


 ──ある。一番大事な要件が足りていない。


「……安全に、重い怪我をせず、五体満足で帰って来られること。それが、最後の要件です」


「いいでしょう。初めてにしては上出来です」


 ステラの杖が、淡い光を放つ。


「まるで足りていませんが、あとは私がフォローします。一応、先輩ですからね」


 光が奔流となり、執務室を照らした。

 四つの魔法──その詳細な術式が、魔法陣に刻まれて宙に浮かんでいる。

 目の前の光景が意味するものに気がついて、メリアの背筋に冷たいものが走った。

 定義の次工程。術式の構築工程が、粗々ながらすでに終わっている。

 さっきのやり取りなんて、定義工程の第一歩だ。本来はそこから具体的なイメージを定め、威力や属性、持続時間を決定しなければ構築には入れない。

 仮に定義が完璧だったとしても、構築は人の言葉を神代の黎明言語に置き換える作業だ。辞書を片手に、翻訳作業をするようなもの。

 ──それを、いまの一瞬で?

 

「あの。ステラ先輩、これって、」


ですよ。必要な石のストレージを確認するための。こうすれば、より正確に見積もれるでしょう?」


「……見積もり?」


 嘘だ。こんなやり方、見たことも聞いたこともない。普通は定義が終わった段階で、過去の経験からおおまかな必要ストレージを算出するだけなのに。

 それを、実際に式を組んでしまうなんて。

 ──アドラステア工房の切り札。あの言葉の、本当の意味は……。

 魔法陣が消えた。


「小粒でいいのでコランダム級が一つと、小指大の貴石級が三つ。それでちょうど収まります。記述と試験、私と新人の二人かかりで八時間ってとこですね」


 魔法四つで八時間。わけがわからないくらい早い。でも、あの技術を見せられた後では疑う余地はなかった。

 今から八時間──徹夜でやれば、夜明けには間に合う!

 シャルロッテが、ふと気づいたように言った。


「ちょっと待って。ステラ、石はどうするの?」

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