恋と竜退治の要件 3

 翌朝。

 借りているアパルトメントの一室で、メリアはいつもより念入りに身嗜みを整えていた。

 姿見を前に、ちょっと癖のある焦茶色の髪に櫛を通して、フリルブラウスにシワがないことを確かめる。とっておきの螺鈿細工のボタンがついたキュロットスカートに足を通す。

 最期に工房から支給された藍色のローブを羽織って、魔石技師の資格を証明する「傾く天秤」のエンブレムを胸につければ完成──じゃない。


「肝心なの忘れてた。ごめんね、ママ」


 手編みのネクタイを締めて、鏡に向かって笑顔を作る。

 うん、大丈夫。ちゃんと可愛い。

 学院OBの諸先輩いわく、新人の仕事は可愛がられること。女性だけの部署とはいえ、むしろだからこそ、第一印象は大事だ。


「──よし、頑張ろう!」


 頬を叩いてアパルトメントを出る。

 アドラステア魔法工房は、王都の目抜き通りから一本外れた場所に位置する三階建の大工房だ。

 一階は汎用魔法石を販売する直販店で、二階は来客受付と営業部門、三階は企画部門と研究部門のオフィスになっている。ちなみに研究部門は別の場所に専用の工房を持っていて、大半の人はそっちで働いているらしい。

 いいなあ、という本音は胸の裡に留めておく。

 いつまでも凹んでいてはいられない。窓際部門(?)とはいえ、憧れの工房に就職できたのだ。けして同期のような優等生ではないが、石への術式記述コーディングには自信がある。きちんと履歴書にも書いた。

 それを見込まれての。抜擢人事かもしれない。

 いや、きっとそうだ。そうに違いない。であれば、大いに歓迎してもらえるはず……。

 甘い妄想に頬を緩めたメリアの脇を、石車クッルスが駆け抜ける。魔法石の力で車輪を回す、馬車に代わる移動手段だ。高級品だが、ここ数年でぐんと見かける機会が増えた気がする。いずれ完全に馬車へ取って変わるだろう。石車クッルスはいわば象徴だ。魔法石がもたらす、新しい時代の。

 アドラステア魔石工房に到着する。

 面談の最後に、セージは「特注部門への行き方は、一階の直販店で聞いてね」と言っていた。正直「?」という感じだけれど、考えても仕方がない。

 裏手の従業員用通用口から、開店前の直販店に入る。


「おはようございまーす……」


「あれ、メリアちゃん?」


 開店準備中のイリーナが顔を上げた。花柄のエプロンが似合う彼女は、笑顔が可愛い店舗部門のアイドルだ。


「なんで一階に? あっ、もしかして店舗配属になったの⁉︎」


 花咲くような笑顔が眩しい。こんな笑顔を向けられたら、老若男女問わず財布の紐が緩むだろう。

 彼女がいるなら店舗部門もありかな──と思いつつ、メリアは首を横に振る。


「えー、そっかぁ。でもそうだよね。メリアちゃん、魔法科卒のエリートさんだもんね」


「配属は特注部門でした。ここに来れば、行き方を教えてもらえるって教わったんですけど」


「えっ」


 イリーナが固まった。


「と、特注部門?」


「? はい。昨日、セージさんから辞令を貰って」


「へえええ、そうなんだー……」


「イリーナさん?」


「メリアちゃん」


 むんず、と肩を掴まれた。


「大変だと思うけど、挫けないでね。辛いときはわたしに相談して。ね?」


 どういうこと。

 ブラックジョークの類だろうか? けれど、メリアを見つめるイリーナの目つきは限りなくマジだった。

 マジで心配している目だった。


 問題の特注部門への行き方は、あっさり教えてくれた。店舗の奥まった場所に地下へ続く昇降装置があって、そこから行けるのだそうだ。

 研修で臨時店員を勤めたとき、なんか変な場所に扉があるな? とは感じたのだ。てっきり地下倉庫か何かだと思っていたのだが。

 まさか執務スペースだったとは。

 というか、地下か……いや! 嘆いていても始まらない。


「では、メリアドール・ウィスタリア、行ってきます!」


「がんばれー!」


 黄色い応援を背中に受けて、昇降装置に乗り込む。

 地下に降りて、魔法石式のランタンが並ぶ回廊を少し歩くと扉があった。頑丈そうな金属製で、小さな木の看板が掛かっている。


【オーダーメイドご希望の方は紐を引いてください ※要予約】


 なるほど。見れば確かに、紐が垂れ下がっている。しかしメリアは客ではない。

 迷った末にそのままドアを開けると、そこは応接室だった。中央に上等な座椅子が一つ。小さな丸テーブルを挟んで、椅子がもう一脚。壁際に置かれた棚には、高価そうな茶器一式がある。

 おそらく、ここで相談に来た顧客をもてなすのだろう。

 ぐるりと部屋を見回すと、奥に「関係者以外立ち位置禁止」と札が掛かった扉があった。きっと、あの先が執務室だ。

 意を決して、ドアをノックする。

 コン、コン。

 しかし返事はない。もう一度。コンコン。

 あれ? 

 やっぱり反応がない。もしかして自分が一番乗りなのだろうか。もう始業まで時間が無いのに。

 ──ええい、ここまできてビビってどうする!

 ドアノブを掴んで、思い切り手前に引く。

 現れたのは、四方を本棚に囲まれた部屋だった。

 真っ先に感じたのは、紙とインクの匂い。

 置き場がないのか、ランタンは天上から直に吊るされている。

 床はとにかく書類やら本やらで散らかっていて、足の踏み場にも迷うほどだ。

 それから、部屋の奥に漆塗りの机が二つ。よく整理されているほうは無人で、もう一方は山のような書類と人の足が載っている。

 ただの足ではない。

 生足だ。

 うず高く積み上げられた紙束の間から、生足が生えている。

 強く叩けば折れてしまいそうなほど、細い足だ。靴どころか靴下も履いておらず、ランタンの光を浴びる丸い爪先は眩しいくらいに白い。

 その足が喋った。


「ここはスタッフ専用ですよ」

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