恋と竜退治の要件 4

 薄い硝子を爪先で弾いたような、高く澄んだ女の子の声だった。


「あと、うちは完全予約制です」


「いえ、すみません。わたしお客さんじゃなくて」


「ほう?」


 生足が紙束を横薙ぎにする。ばっさばっさと紙が落ちて、足の持ち主が現れた。

 椅子に座った、長い銀髪の女の子だ。

 小柄で華奢で、強く叩いたら壊れてしまいそうに線が細い。やや年上。机に足を放り出しているせいで、プリーツスカートが捲れて太腿がかなりきわどい場所まで露わになっている。

 顔は──可愛い。ちょっとびっくりするくらいの美人だ。

 ただ、やたら跳ねまくっている髪と、目の下のクマは減点対象と言えないこともない。くしゃくしゃのシャツブラウスにはよく分からないシミがついているし、だぶだぶのローブは肩からずり落ちている。布地の色は臙脂。つまり工房が支給しているローブではない。自前だろうか。

 そしてブラウスの胸元には、天秤のエンブレムが引っかかっていた。

 それで分かる。

 ──私と同じ、魔石技師だ。


「あなた、研究の新人ですか?」


「え? あ、いえ、違いま「じゃあ企画の新人ですねよーしちょうどよかった火属性課のグレミオ主任に伝言ですので一言一句違わず伝えてください。『新作の発熱魔法、飲用水沸騰用なのに四重の火力強化式とか沸いてんのはお前の頭だボケナス。容器が持たずに破裂するに決まってんだろ。どうせ先週作った風呂釜用の術式丸パクりしたんだろうけど魔石定義書ドキュメント書くときはせめて酒を抜いてからにしろよはっ倒すぞこのアル中が』はい復唱どうぞ」


「え、は? は⁉︎」


「聞こえませんか? それとも覚えられませんか? ではもう一度。『新作の──」


「じゃなくて! 覚えられるわけないっていうか、そもそもわたし企画部門じゃないです!」


 あとその伝言は新人にはだいぶ無理です。


「……は? 企画じゃない?」


 長く伸びた銀髪の間で、ラピスラズリみたいな藍色の目が細くなる。

 視線は、ひたとメリアの胸元を捉えていた。


「ローブ着てエンブレムつけてんだから魔法科上がりですよね。企画じゃなきゃ研究でしょうに」


「違うんです。わたし、今日からここに配属されて」


「あ?」


 きゅっと心臓がすくむ。怖い! この人なんか怖い! 私より小柄なくらいなのに。

 倦怠が滲む声で、銀髪の少女が言葉を続けた。


「ここに新人なんて来やしませんよ。迷子ですか? それともよその工房のスパイですか?」


「ううう嘘じゃないです、セージさんにお前は特注部門だって内示されて、」


 そうだ。まずは挨拶しないと。

 メリアはぎゅっと両目を瞑って、勢いよく頭を下げた。


「ほ、本日から特注部門に配属されました、メリアドール・ウィスタリアです! みじゅちゅものですが、よろしくご指導ごべちゅ、ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」


 めっちゃ噛んだ。

 おそるおそる顔を上げる。視線が合った。生き恥を味わうようにジロジロと見つめられて、メリアの頬に火が灯る。


「えらい噛みましたね」


「ひぅ」


 わざわざ指摘しないでほしい。


「新人のメリアドールさん、ね。こっちはなんも聞いちゃいませんが」


「はあ」


 そう言われましても。

 メリアの困惑をよそに、銀髪の少女は面倒そうに欠伸を噛み殺して、インク壺から羽根ペンを引き抜いた。


「まあいいです。あなた、どこがいいですか?」


「へ?」


「希望部門。まさか、来たくて特注に来たワケじゃないでしょう。企画でも研究でもそれ以外でも、一筆書いてさしあげますよ」


「え、いや、それはさすがに」


 他部署への推薦状? このひと、そんな発言力があるのか? 

 というか──私、もしかして配属初日に追い出されようとしている?

 動揺する私に向けて、少女がこれみよがしなため息を吐いた。


「わからないんですか? はっきり言いましょうか? つまりド素人が増えたところで戦力にならないどころか余計な仕事が増えるだけなんで、ジャマになる前にどっか行けと──」


「ス、テ、ラ」


 メリアは背後を振り返った。

 ドアを開けて入ってきたのは、大人の女性だ。暗褐色の髪に鮮やかな唇。とろんと垂れた艶っぽい目つき。工房支給のローブは羽織っておらず、胸元が大胆に開いた漆黒の簡易ドレスを纏っている。

 男女を問わず、目を奪われそうな麗人──にもかかわらず、どうしても目につくのはその右足だ。スカートの裾から覗く足首は、なめらかな銀色をしていた。

 義足。


「他部門への推薦が可能になるのは、着任二週間後からよ」


「そんなルール、ありましたっけ?」


「就業規則第八章第二項第四条」


「あー、はいはい。あるんでしょうね。就業規則とか読んだことないですけど」


 ステラと呼ばれた少女が、ひらひらと手を振った。ステラ──確か、セージが言っていた名前だ。

 ステラ・ディーヴァ。たしか、工房の切り札だとかなんとか。そういえば、あれはどういう意味だったのだろう。


「メリアドールさんね」


 後から入ってきた美女がメリアの前にやってきて、優雅な仕草で右手を差し出した。細く長い指の先で、丁寧に磨かれた爪が煌めいている。


「初めまして、部門長のシャルロット・ヒースバーンです。これからどうぞよろしくね」


 なんて優しそうな笑顔だろう。

 差し出された手を、メリアは両手で握り締めた。


「よ、よろしくお願いします! わた、わたし実は不安で、なんか怖い先輩いるし、しょ、初日から追い出されるかとっ」


「は? 怖い先輩って私のことです?」


「ひぃっ!」


「ステラ、睨まないの」


 シャルロッテがメリアを抱き寄せた。豊満な胸元に顔が埋まる。肌色の谷間は、柔らかいうえになんだか良い匂いがした。

 同性相手なのに、なんだかぽーっとしてしまう。こんなに綺麗で優しそうな人が部門長なら、わたし、頑張れるかもしれない……。

 そんなことを考えていると、鋭い舌打ちが飛んできた。


「怖いってんなら、シャルのほうがよっぽどおっかないでしょうよ」


「え?」


 思わずシャルロッテを見上げる。この人が怖い? そんな馬鹿な。こんなに優しそうなのに。

 

「ちょっとシャル。その新人、本気で引き受けるつもりですか? うちの体制で新人教育とか、どう考えても不可能ですよ」


「そう言って断り続けたから、いつまで経っても人が増えないんじゃない。悪循環よ。どこも腕利きは手放さないんだから、新人でもなんでもまずは受け入れないと」


「別に私は今のままで構いませんけど」


「組織として成立してないって言ってるの。あなた一人のマンパワーに頼りきりなんて、不健全そのものだわ」


「別に回ってんだから問題ないでしょう」


「少しは管理職わたしの立場も考えて。毎月毎月、部門長会議で針の筵なんだから」


「無駄な会議なんてやめちまえばいいんですよ」


 どうしよう。口を挟む余地がない。というか、ここいてもいいのだろうか。

 メリアが、おそるおそる「あの、結局私はどうすれば」と手を挙げたときだった。

 カランカラン。執務室に、軽快な鐘の音が鳴り響いた。

 そういえば、応接室の入り口に呼び鈴の紐がついていたか。


「……そういえば、朝一で予約入ってましたっけ」


「そうね。しかも伯爵家のご令嬢。ステラ、すぐ出られる?」


 三人の視線が、机の上に放り出された生足に集中した。

 少なくとも、靴下と編み上げブーツを履く時間は必要そうだ。できれば髪も梳かすべきだろう。

 ステラがメリアをちらりと見た。


「新人さん」


「え、は、はい!」


「……とりあえずお茶をお出しして、世間話でもして場を繋いでおいてください。五分で支度します」


 否応もなかった。


  †


 依頼人は、いかにも「貴族のご令嬢」という感じの女性だった。

 ふわふわの金髪と、木彫りの髪留め。流行りの色合いを取り入れた簡易ドレスに、高価なコランダムをあしらったネックレス。ティーカップに口をつける姿も洗練されている。

 年齢はおそらくメリアより幾らか上だろう。

 ソーサーにカップを載せてから、女性が口を開いた。


「正直、よくわからないのよね」


「え?」


「ここ、魔法をオーダーメイドしてくれるんでしょう? でも、大抵の魔法はお金を出せば買えるじゃない」


 それは──そのとおりだ。

 魔法石革命後、各地にアドラステアのような工房が乱立し、市場におけるシェアを競い合っている。魔法石の研究は日進月歩だ。市場に出回る種類も、ここ数年で爆発的に増えている。


「勧められたから来てみたけれど、本当に意味があるのかどうか」


「そ、そうですね」


「そうですねって、あなたここのスタッフじゃないの?」


「あ、いえ、それはそうなんですが、実は今日が初めてで──」


 口を滑らせたメリアが、怪訝な表情を浮かべた令嬢に気圧されていると。


「意味があるか否かは、あなた次第です。マリアンヌさん」


 ようやく、執務室に繋がる扉が開いた。

 一瞬、誰かわからなかった。綺麗に梳かされた髪と、薄く化粧された顔。当然、編み上げブーツも履いている。


「お待たせしました。本案件を担当する、ステラ・ディーヴァです。お見知り置きを」

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