恋と竜退治の要件 5
依頼人の向かいに腰掛けたステラは、一枚の紙を手にしていた。
「マリアンヌ・スティルトンさん。西方領域の大貴族、スティルトン公爵閣下の三女で十七歳」
「ええ」「ええっ!」
二人の視線がメリアに集中する。頬に熱を感じながら、メリアは言い訳がましく呟いた。
「ご、ごめんなさい。その、貴族の方かなー、とは思ったんですけど。まさか公爵家のお姫様だなんて」
しかも公爵。爵位の中でも最も格が高い大貴族だ。ステラが咳払いをして、紙の続きを読み上げた。
「さて、肝心のご依頼内容ですが──申込用紙には、『男性を魅了する魔法』とありますね」
「そうよ」「そうなんですか⁉」
二人の視線が、再びメリアに突き刺さる。赤面しつつ、メリアは再び小声で弁解した。
「あ、いや、でもそれって──法令違反、ですよね?」
魔法は法律で縛られている。
光や音によって他者の精神に干渉する魔法は存在するし、魅了の類はその代表格だ。一方で、王国法はその手の魔法に厳しい。一説には制定当時の法務大臣が痛い目を見たせいとも言われるが──いずれにせよ、禁忌とされるジャンルだ。
「安心して頂戴。わかりやすくそう書いたけど、無理なのは分かってるわ」
「では、どのような魔法をお求めで?」
ステラの問いかけに、マリアンヌが扇で口元を隠した。
「……恥を忍んで言うのだけど。実はわたくし、三日前に婚約を破棄されたの」
「は⁉︎」
三度、二人の視線がメリアに集まる。メリアはしゅんとして口を両手で塞いだ。はい、もう口を挟みません。
「わたくしはスティルトン家の女よ? まったく、無礼にもほどがあるわよね」
「なるほど。それで?」
「わかるでしょ? あの棒振り男に、思い知らせてやりたいのよ。もっといい男を捕まえて、逃した魚は大きかったってね!」
なんだそりゃ。
いや、ギリギリわからないこともないけれど。要はフラれたのが悔しいから、さっさと次の恋人を見つけて元恋人に見せつけたいということか。
「だから、男を惹きつける魔法が欲しいの。あるでしょう? 体臭を変える水魔法とか、声質を変える風魔法とか」
──しょうもな!
そんなものでよければ、一階の既製品売り場でも見つかるはずだ。思わず脱力してしまった。
この注文に、ステラはどう反応するだろう。そう思って横顔を覗き込む。
藍色の双眸を細めて、ステラが口を開いた。
「嘘ですね」
「「え?」」
マリアンヌとメリアの声が重なった。
「あなたが今仰ったことは、事実であって本心ではありません。よって、その要望にはお答えできかねます」
「ちょ、ちょっと! わたくしが嘘をついていると?」
「ええ」
「そんなわけないでしょ! わたくしは、ダスティの馬鹿に思い知らせてやるって決めたんだから!」
「なら、どうしてまだその髪留めを?」
華奢な指先が、マリアンヌの髪留めを指差した。髪留めがどうかしたのか。
けれど、マリアンヌは目に見えて動揺した。
「こ、これは……」
「いかにも公爵家のご令嬢に相応しい身なりですが、そこだけ妙に浮いてます。木製で、しかも出来が悪い。素人の作品ですね。そんなものを身につけるとは、よっほど気に入ってるんでしょう」
マリアンヌは答えない。ステラは淡々と話を続ける。
「婚約者がいる令嬢に、手製のプレゼントを渡す馬鹿はいません。素直に考えれば、それは件の元婚約者から贈られたもの。ついクセで付けてしまいましたか? 婚約を破棄されて怒り心頭なのに?」
確かに妙だ。元恋人に思い知らせてやりたいと言いながら、そのプレゼントは大事にしている──ということは。
不遜な態度で足を組んだステラが、椅子の肘掛に頬杖を突いた。
「マリアンヌさん。あなた、本当は未練タラタラなんじゃないですか? その、元婚約者とやらに」
あまりに無礼な物言いに、マリアンヌが絶句する──が。
「〜〜っ、そうよ! ええそうよ悪い⁉︎ だってダスティって超格好いいんだもん! ちょっと塩顔だけどイケメンだし! 王都で五本の指に入る剣士だし! ちょーっと言葉が足らずで寡黙で硬派なタイプなんだけど、そこがまた男らしくて素敵っていうか!」
彼女は怒りと羞恥で顔を真っ赤にしながら、猛然と語り始めた。元婚約者への惚気を。
「だってしょうがないじゃない! 好きなんだもん! 他に思いつかなかったんだもん! わたくしが別の男を引っ掛けてるとこをみせたら、ヤキモチ焼いて戻ってきてくれるかもしれないじゃない⁉︎ そうでしょ⁉︎」
だもんて、おい公爵家令嬢。
「いや知りませんよ。恋愛とか興味ないんで」
「それは個人の自由ね! でもそうよ。認めるわ。わたくしはダスティが好きなの。婚約破棄されたけど。そう、婚約破棄……ぐすん」
婚約破棄、と言った瞬間、マリアンヌの顔がずんと暗くなった。自分で言って自分で傷ついてる。
ステラがため息をついた。
「マリアンヌさん。言っておきますが、私はあなたの恋愛にはこれっぽっちも興味ないです。微塵もないです。ただ──」
ステラがひたとマリアンヌを見つめた。
「あなたの願いを【定義】するのが私の仕事です」
「定義?」
「かの《伝道の魔女》アニマより齎された魔法──黎明言語を石の内部に記述し、そこに人が持つ魔力を通して奇跡を起こす現象──は、この三十年弱で大いに発展しました。現代の魔法は、相応の時間とコストを掛けさえすれば、ほぼあらゆる事象を可能とします。ですが」
ステラが懐から石を取り出した。
等級は低いが、魔法石だ。
「今、自分に必要なのはどんな魔法か。それを本当の意味でわかっている人は、とても少ない。あまりにも万能すぎる故の弊害です」
「本当に必要な魔法……」
「あなたの願いを精緻化し、予算と期間の許す範囲で具体的な
ステラが顔を上げる。
「質問を変えましょう。あなたに必要な魔法は、本当に、体臭や声質を変える魔法ですか?」
「違うわ」
マリアンヌが即答する。
「では、元婚約者を魅了するための魔法ですか?」
「……いいえ、違う。わたくしは、彼を魔法で手に入れたいわけじゃない」
「なら、彼の好む姿になりたい?」
「違うの。そういうことじゃないわ」
「もう一度聞きます。あなたの望みはなんですか?」
マリアンヌが両手で顔を覆った。
「わたくしは、ただ、ダスティと──ちゃんと、話し合いたい。あんなふうに一方的な言葉じゃ、納得できないの……」
そうですか、とステラが目を閉じた。
「それなら、魔法は必要ないんじゃないですか」
そっか、とマリアンヌが呟いた。
そうだったんだ、と。
†
「一度彼と話してみるわ。それでもし、魔法が必要だと思ったそのときは、改めて相談します」
マリアンヌが席を立つ。
ステラはもう彼女から興味を失ったかのように、ぞんざいにメリアへ見送りを指示し、執務室へと戻っていった。貴族に対する配慮や世辞の類は一切ない。それどころか、客商売として最低限の愛想もなかった。
メリアはマリアンヌの手荷物を預かって、地下の回廊を歩く。
道中、ぽつりとマリアンヌが言った。
「あのステラさんって方、変わった人ね」
「え?」
「ここは魔法石を作って売る、工房でしょう。なのに、魔法は要らないなんて」
確かにそうだ。もしかしたら相談料は発生するのかもしれないが、微々たるものだろう。
「でも、いい魔石技師だと思うわ」
「……わたしには、よく分からないです」
そもそも先ほどの面談は、魔石技師の仕事なのだろうか。学院の魔法科の授業では、「魔法を使わない」なんて選択肢はありえなかった。魔法を学ぶ学校なのだから、それは当然ではあるのだけど……。
メリアにとって、魔法は技術だ。奇跡である魔女の魔法と異なり、誰もが扱える魔法石は、世界をよりよくできる道具だと信じている。
でも、ステラはなにかもっと、高く広い視野で魔法というものを捉えているような──そんな印象がある。
街路に止まっていた
「ダスティさんと、ちゃんとお話できるといいですね」
「ありがと。実はね、彼とは幼馴染なの。向こうは子爵家の出だから、色々あったんだけどね」
そうなのか。貴族社会は田舎者のメリアにとって未知の世界だ。けれど、公爵家と子爵家では家格が違う。色々揉めたことは想像できた。
ただでさえ、婚約破棄は重たい十字架だ。好意を持つ相手なら尚更だろう。それでもマリアンヌは来た時よりも晴れやかな顔をしていた。
うまくいくといいな。そう思った。
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