爆弾と傷痕の要件 3
「申し訳ないが、君には交渉のカードなってもらう」
伯爵が整えた口髭を撫でた。
「もちろん、引き渡すつもりはない。まずは交渉のテーブルにつくために、こちらも誠意を見せなくてはいけないのだ。もちろん、魔法石もすべて供出させた」
何が誠意だ。
魔法石の供出についても疑わしいものだ。この短時間で、すべての工房を説き伏せるには、よほどの人望か悪辣さが必要だ。しかし、目の前の男にはそのどちらも感じなかった。
「すまないが、ご協力を願おう」
「……。」
ステラは何も言葉を返さなかった。
衛兵に囲われたまま市庁舎の裏口を出ると、やけに頑丈そうな馬車が待っていた。
他に、木箱を満載した荷馬車が二台。あれが工房に供出させた魔法石、あるいはその偽物だろう。
衛兵が、馬車に乗るよう身振りで示した。
ふと思う。そういえば、テロリストはどうしてステラの存在を知っているのだろう?
ミザクラ事件の後、ステラの存在はミザクラの知己によって徹底的に隠された。ステラの未来を守るために。それでも、資格の剥奪は如何ともしがたかったが。
犯人はよほどあの事件に精通しているのか、あるいは全く別の理由でステラを殺害しようとしているのか──どうでもいいか。
(……先生)
あの日、ミザクラはステラを庇った。
自分がチェックし、承認した術式なのだから、弟子のお前は何も悪くない。そう言って潔く出頭した。裁判でも、すべては自身の責任だと断言した。
でも、やはりあれはステラのミスだ。
おそらく伯爵の狙いは、ステラと木箱を引き渡すと見せかけての奇襲。あるいは狙撃か。
失敗すれば、きっと自分は助からない。
それでもかまわなかった。自分に恨みがあるということは、相手はミザクラ事件の被害者か、その遺族だ。彼らには復讐の権利がある。
だからステラは、大人しく馬車のタラップへ足を載せて、
「──先輩!!」
早朝のしじまを裂くような、鮮烈な声がした。
振り返ると──
やけに必死な顔をした女の子が、息を切らして立っていた。
「……メリア?」
「なに、なに勝手に諦めてるんですかっ!」
「え?」
「こんなのおかしいです! テロリストに先輩を差し出して、それで爆弾が解除される保証なんて、どこにもないじゃないですか! そもそもただの旅行者を犯罪者に引き渡すってなんですか! なんでそんな命令に大人しく従ってるんですか死にたいんですか⁉︎」
「いや、私は、」
「もっと自分を大事にしてください! 大体、普段から先輩は身を削り過ぎなんですっ。ちゃんとご飯食べてくださいベッドで寝てください定時で帰って休んでください!」
「私は、ミザクラ事件を引き起こしたんですよ」
「知りませんそんなの!」
「は? いや、だってあなたのお母様だって、私が──」
「勝手に殺すな! お母さんが死んだのは、対竜魔法のせいじゃないです! 病気で亡くなったんです!」
メリアは、自身の首元に巻き付いたネクタイを握りしめた。最後の一目まで、丁寧に編まれたネクタイを。
「お母さんが旅立ったのは、事件の一ヶ月後です。あの光のお陰で、私とお母さんは助かりました。ちゃんとお別れを言えたんです。たくさん、お話できたんです」
予想外の言葉だった。確かに、メリアは「四年前に死んだ」としか言っていなかった。
それでも──例えそうだとしても。
悲鳴のようにステラは叫ぶ。
「私は、三〇〇人を殺したんですよ!」
「そうかもしれないけど! でも、先輩は、力を尽くしたんじゃないですか。救うために。助けるために。それで失敗したからって、自分が救った人のことまで、無かったことにしないでください。あの魔法に救われた人は、確かにいたんです。お母さんや──わたしみたいに。それを勝手に、無かったことに、しないで、ください」
「それ、は……」
「あの光を見て、わたしは魔石技師になるって決めたんです。あれは、ステラ先輩の魔法だったんですね。先輩と、先輩の先生の」
メリアが深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。助けてくれて」
「あ……」
ステラは呆然と、揺れる焦茶色の髪を眺めた。
救った? ミザクラ先生と私が、この子を?
だとしても罪は消えない。善行は悪業を相殺しない。失われた命は還らない。でも、だけど──
顔を上げたメリアが、今にも泣き出しそうな顔で言った。
「いかないでください。わたしに、魔法のこと、もっとたくさん、教えてください」
──いかないでください、ミザクラ先生。だって、私、まだ何も……。
目の前の光景が、焼きついた過去と重なる。
今のメリアは、いつかのステラだ。判決が下され、去り行くミザクラに縋り付いて泣いていた自分自身だ。
罪は罪だ。ステラが、生涯に渡って背負うべきものだ。その事実は覆らないし、今さら目を逸らすつもりもない。司法が罰を課さなくても、ステラ自身の良心が許さない。
だけど、もしかしたら。
私はまだ、生きていても、いいのかもしれない。
ステラは、ミザクラから継いだ燕脂色のローブをぎゅっと握りしめた。
「おい、いい加減に──」
痺れを切らした衛兵が、ステラの肩に手を伸ばす。
「先輩っ!」
メリアが腕を振りかぶり、何かを投げてよこした。拘束された手でとっさに掴んだそれは、魔法の杖だ。木で作られたそれは、指先に吸い付くようだった。
──いつか。
いつか私の罪が、私に追いつくだろう。
でもそれは今日じゃない。だってまだ、私にはやるべきことが残っている。
せめてこの仕事を終えるまでは、
「ちゃんと生きなきゃ駄目ですね、先生」
すがるように自分を見つめる後輩の姿に、ステラは少しだけ微笑んだ。
杖を真下に向ける。
石畳の道に、術式が円を描く。
「【定義】【構築】【記述】」
瞬く間に石畳が魔法石に変わる。理外の速度で石材に刻まれた術式が、魔力を純粋な力へと置換する。
「【
試験工程を省いて放たれた魔法は、地面より駆ける青雷。しかるべく定義された電撃は、衛兵たちだけを打ち据えた。
タラップを降りて、石畳に足をつける。倒れた衛兵たちの間を縫うように、メリアが飛び込んでくる。
「うわぷ」
勢いを受け止めきれず、ステラは硬い石に尻餅をついた。土の匂いのする髪が、喉首へ擦り付けられる。
「はは」
「先輩?」
「はは、は、あははっ」
「ス、ステラ先輩? 大丈夫ですか? もしてかして頭打ったりしちゃいましたか⁉︎」
「いいえ」
地べたに転がったステラは、空を見上げた。水色の秋空が、果てしなく広がっている。
「ただ、仕事を思い出しました」
「え。もしかして、大事な仕事ですか?」
メリアの問いかけに、ステラは晴れあがる蒼穹のような気分で答えた。
「ええ。これはきっと、私にしかできない仕事なんです」
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