観光都市ミスドラス 3

 捨石拾いとは、廃鉱山で打ち捨てられている石から、比較的魔法石適正の高いものを拾い集めて売る仕事だ。貧困層の小遣い稼ぎと言ってもいい。


「適当なとこ座ってね。お茶くらい出すから」


 案の定、クラウに案内されたのは蔦の生えた荒屋だった。ただ、室内はよく掃除されていて、清潔感がある。

 木製の椅子に腰掛け、室内を見回したとき、メリアは妙な違和感を感じた。なんだろう。革の破けたソファ。蝋燭の消えたランタン。幾つかの書籍。空き瓶に活けられた白い花。薪のストーブ。


「ちょーっと待っててね」


 クラウが金属の鍋をストーブの上に置いたとき、メリアはその正体に気付いた。

 この部屋には、魔法石が存在しないのだ。


「あの、クラウ」


「なに? あ、紅茶で良かったよね? 安物の出涸らしだけどさ」


「それは大丈夫だけど。湯沸かし用の魔法石、使わないの?」


 水と一緒に鍋やポットに入れるだけでお湯が作れる発熱の魔法石は、もっともポピュラーな魔法石のひとつだ。薪代を削減し、不注意による火災の危険を大きく減らした。

 値段も安い。この家からして暮らしぶりはけしてラクではないだろうが、それでも充分手が届くはずだ。


「あー、みんな言うんだよね。それ」


 メリアの問いかけに、クラウは背を向けたまま応じた。


「魔法石使ったら、って」


「そりゃ、そのほうが楽だし。コストもかからないし……」


 おまけに安全だ。


「まあね。でも、別に無くても困らないしさ」


 クラウがポットから茶葉を掬い、鍋に落とした。ふわりとオレンジに似た香りが広がる。


「ストーブでもお湯は沸くし」


「……確かに」


 それはそうだ。実際、ほんの十数年前まではどこの家庭もこうやってお湯を沸かしていたのだから。魔法石のない生活はメリアにとって歴史でしかないが、そういう生活を続ける人がいることは理解できる。


「クラウ。誰か来てるのか?」


 階段が軋む音。振り返ると、鳶色の髪をした若い男性がこちらを見ていた。見覚えがある。

 ──汽車で手袋を拾っていた人だ。

 クラウが彼に声を掛けた。


「兄さん、あたしのお客さんだから」


 家族の前だと「ボク」じゃないんだな。そんなことを思うメリアに向けて、クラウの兄が一礼した。


「どうも。こいつの兄のナッシュです」


「こいつって言わないで」


 クラウが頬を膨らませる。どうやら兄妹仲は良いらしい。


「あの、さっきお会いしましたよね。ほら、汽車の二等車両で」


「え、あ。ああ、そうですね」


 ナッシュは視線を左右に彷徨わせた後、ぼそぼそと言った。


「すみません。こいつ、裏道で絡まれてる人を助けるのが趣味みたいな奴で」


「あ、わたしも助けて貰いました。なんか、煙が出る玉みたいなので」


「あれは煙玉。ボクのお手製」


 ひひ、と悪戯っぽく笑う。そうすると、ますます少年みたいだ。

 首の後ろを手のひらで撫でて、「じゃあ、僕は仕事があるので」とナッシュは家を出て行った。

 後ろ姿を見送って、クラウが誇らしげに胸を張る。


「あの煙玉ね、兄さんに作り方を教わったんだ。兄さんは街一番の発破技師だから、火薬の扱いならお手のもの、ってわけ。石の目利きも兄さんに教わったんだ」


 発破とは、火薬や魔法石を用いて硬い岩盤を爆破、粉砕することだ。それを生業にしているなら、たしかに火薬の知識は豊富だろう。鉱山夫なら、石に詳しいことも納得がいく。


「すごい煙だったね。びっくりしたよ」


 ふふん、クラウが得意げに鼻の下を擦る。 


「ああいうときは、火事ってことにするのが一番だからね」


「へええ。どうして?」


「そりゃ、バカ正直に『助けて!』なんて言っても誰も来てくれないし。下町の常識ってやつだよ。キミ、やっぱり良いとこの出でしょ」


「まさか。全然、田舎の生まれ」


「田舎って? 王都の郊外を田舎だなんて言うなよ」


「グラスラントの北だよ。ソフィア湖の近く」


 湖の名を口にすると、メリアの胸に郷愁の花が咲いた。懐かしく、暖かな記憶が蘇る。その上に降り積もる、細雪のように冷たい寂寞も。

 クラウが、身を乗り出して尋ねた。


「それって、ミザクラ事件が起きた辺りだよね」


 ミザクラ事件。

 四年前に魔石技師ミザクラ・ストレリチアが引き起こした、魔法石革命以後に起きた最大規模の魔法事故。

 魔法史に残る巨大な汚点であり、未曾有の大事故──もとい、災害だ。

 メリアにとって、生涯忘れることのできない記憶でもある。

 

「ねえメリア。キミ、家族は?」


「……いないよ」 


 クラウは痛みを堪えるように目をぎゅっと瞑り、開き、それから目の前の紅茶を一息に飲み干した。


「ごめん、ヤなこと聞いた」


「え。ク、クラウ?」


 隣の席に回り込んだクラウが、ぎゅっとメリアに抱きついてくる。痩せ気味の身体は、けれど確かに温かい。

 くすんだ色の金髪からは、かすかに煤の匂いがした。


「ごめんね」


「だ、大丈夫だってば。もう四年も前だし、わたし、全然だから」


「ほんとう? だってボクには兄さんがいるけど、メリアには誰もいないんでしょ?」


「そうかもしれないけど。でも、平気だよ。お母さんは色んなことを教えてくれたし、今は、夢だった仕事に就けたし」


 指先で、愛用の編みネクタイに触れる。

 メリアの言葉に一瞬だけ眩しげに目を細めた後、クラウは「そっかぁ」と頷いた。


 ゆっくりとお茶を飲み終えた後、メリアはクラウの家を出た。クラウと共に。


「ホテルまで案内するよ。もう連中は諦めたと思うけど、また迷ったらいけないもんね」


 この申し出は、ありがたく受けることにした。

 道中、クラウは様々な話をしてくれた。美味しい屋台料理から隠れた秘湯の在り処、現市長のゴシップに至るまで、クラウの話は多岐に渡り、メリアを飽きさせなかった。

 あっという間にホテル『フローライト』の前に着く。


「じゃ、ボクはここで」


「うん」


 いつの間にか繋いでいた手が離れる。明日にはメリアは王都へ帰る。きっと、もう会うことはないだろう。今更、メイドだと嘘をついたことに罪悪感が沸いてきた。


「あの、クラウ。わたしね、」


「メリア」 


 クラウが、不意に声を潜めた。湿った息が耳朶を打つ。


「できたら、明日はホテルから出ないで。特に、魔法石の商店には近づかないでね」


「────え?」


 聞き返す間も無く、クラウがメリアから身体を離した。二歩、三歩と遠ざかって、両手を口の脇に添える。


「ばいばい、メリア! お仕事、頑張ってねぇっ!」

 

 そうしてクラウは、メリアが呼び止めるより早く、雑踏の中へ姿を消した。 

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