観光都市ミスドラス 4

「えっ、もう作業終わっちゃったんですか⁉︎」


「はい。先ほどご到着されたステラ様が、あっという間に」


「そ、そうですか……」


 メリアがホテルにつくと、すぐに支配人がやってきた。ステラが先に着いているか聞いてみたのところ、先を越されたどころかメンテナンス作業まですべて終わってしまったらしい。

 道に迷った挙句、仕事のサポートさえできないなんて。

 情けないにもほどがある。

 がっくり肩を落とすメリアを慰めるように、支配人が「食事は一番よいものをご用意しておりますので」と言った。そんなに食い意地が張って見えるのか、わたしは。


「今回は特別によい食材をご用意させて頂きましたので、ぜひご遠慮なく」


 ……まあ、凹んでいても仕方がない。ご飯が楽しめないし。

 それにしても、特別にいい食材、か。


「あの。どうしてそこまでして頂けるんですか?」


「と仰いますと?」


「えと、ミスドラスにも魔法石の工房はありますよね。そちらでなくて王都のアドラステアに依頼、しかもサービス付でなんて」


 初老の支配人は「ああ」と納得したように首肯して、丹念に整えられた口髭を撫でた。


「二年前のことです。ステラ様とシャルロッテ様が、慰安旅行で当館にいらっしゃいました」


「慰安旅行で……⁉︎」


 あの部署にそんな概念があったのか。そして参加したのか、あの人が。


「ステラ様は、身共が採用していた温泉水の水質浄化魔法に不備があることを指摘されました。我々は天然の温泉水を浄化して提供していますが、その機能に衛生上の欠陥があると」


「さすがですね」


「さらに翌日、問題の魔法石を販売している工房に殴り込んで大論戦を繰り広げたそうです。担当者の眼前に学術論文をうず高く積み上げ、術式の欠陥について相手が襤褸雑巾になるまで論破なされたそうで」


「さ、さすがですね……」

 

 なんだその怖すぎるクレーマー。

 メリアの反応に、支配人が苦笑を浮かべた。


「はい。正直我々も、話を伺ったときは困惑しました。そもそも当時のステラ様は当ホテルとは何の関係もない、ただのお客様なのですから」


 それはまあ、そうだろう。


「もちろん工房側は非を認めず、物別れに終わりました。ステラ様はミスドラスの魔石技師ギルナッシュも訴え出ましたが、運営は重い腰を上げず、已む無く王都へ戻られました──が」


 支配人が口元を引き締めた。


「その二か月後に、近隣のホテルで感染症が発生しました。温泉を利用した顧客が次々に体調不良を訴えたのです」


「え……」


「そのホテルは、我々と同じ工房産の浄化用魔法石を使用していました。ステラ様の訴えを思い出した魔石技師ギルドは重い腰を上げ、件の水質浄化魔法の再検証が行われ──結果は、クロでした」


 万能であるはずの魔法には二つの壁がある。石の容量と人の能力。

 人が要件を考え、人が術式を構築し、人が記述して人が試験する。だからミスは発生する。ときにその被害は、個人の範囲で収まるものではない──ミザクラ事件のように。


「我々は大急ぎでステラ様へ連絡を取り、魔法石の改良と以後の保守を依頼しました。これが、我々がステラ様へ依頼している経緯でございます」


 ──すごい。

 掛け値なくそう思う。自分ならどうだったろう。浄化魔法の不備なんて、きっと気づきもしない。

 ステラだから、被害は最小限で収まったのだ。もし彼女がギルドへ訴え出ていなければ、原因の特定にもっと時間が掛かっただろう。それは被害者が増えることと同義だ。

 胸の中に熱い灯が宿る。やり方は過激だけれど、これが魔石技師だ。本物の、プロフェッショナルの仕事だ。

 メリアは一礼して立ち去ろうとして、最後に支配人に訊ねた。


「──あの、ここのホテルは大丈夫だったんですか? 感染症」


「はい。最初の訪問の際、ステラ様が別の魔法石を設備内部に仕込んでくださったのです」


 だから、一泊の宿代など安いものなのですよ。

 支配人が、丁寧に一礼した。


  †


「ステラ先輩ステラ先輩ステラ先輩! お風呂入りましょう!!」


「なんですか藪から棒に」


「入りましょう! お背中流しますから! なんだったら髪も洗いますし肩も揉みますから!」


「普通にキモいです」


 ベッドに腰掛けて荷解きしていたステラが、メリアを薮睨みした。しかしメリアはめげない。クローゼットから湯浴み用のバスローブを取り出して、ステラに向かって突き付ける。


「温泉付きのホテルですよ! 温泉に入らないで何をするんですか⁉」


「持ってきた論文読み終わったんで、図書館にでも行こうかと」


「駄目です! もっと身体を労わってください! ご飯もちゃんと食べてください! 毎日八時間寝てください!」


「お母さんですかあんたは」


 そう応じるステラの目元には、うっすらとクマが浮いている。出会ったときからずっと。

 少し考えれば分かる話だ。特注部門は多忙だ。それでも、執務室に連泊しなければいけないほどの仕事があるわけではない。じゃあ、どうしてステラは家に帰っていないのか。深夜、あの部屋で何をしているのか。

 ダスティに渡した魔法石を作るときに見せたあの技術を、一目で水質浄化魔法の欠陥に気づくだけの知識を。

 この人はいったい、どうやって身につけたのか。

 ──そんなもの、ひとつしかないに決まってるのに。


「身体、大事にしてくだい。ステラ先輩が倒れたら、わたし、泣いちゃうと思いますから」


「……はぁ」


 ステラが、観念したようにため息をついた。立ち上がって、ブーツの代わりにサンダルを履く。


「なにぼけーっとしてんですか」


「先輩?」


「行くんでしょう、風呂」


 メリアの顔が晴れ上がる。二人分のタオルとバスローブを抱えて、ステラの跡をついていく。

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