爆弾と傷痕の要件 1

 結局、食事の間もステラは上の空だった。メリアが盛り上げようと話を振っても、いつもの毒舌すら返ってこない。

 なんだか釈然としないままメリアはベッナッシュ入り、魔法石式のランタンの光を消した。

 そして、翌日の明け方。

 日の出と共に、それは始まった。


 初めの一発は、無人の倉庫だった。朝焼けに照らされた魔法石の在庫用倉庫が、爆音と共に崩壊した。

 もっとも、この事実をメリアが知るのはもう少し後のことだ。このときメリアが知り得たのは、落雷のような轟音と窓硝子の振動だけだった。


「な、なに? 雷……?」


 起き抜けの頭で窓を見やるが、藍色の空は鮮やかに晴れ上がっている。雷どころか雨の気配さえもない。

 寝巻きを整えて、窓へ近づく。街を見下ろすと、未明の道路を走る市民の後ろ姿が見えた。

 何かあったのだろうか。

 振り返ると、ステラが身を起こすところだった。ネグリジェの肩紐が外れて、随分としどけない姿になっているが、ラピスラズリの瞳は鋭い。


「先輩、今の……」


「灰は降っていますか?」


「え? あ、いえ」


「なら、活火山の噴火じゃありませんね。もちろん雷でもない。なら、今の衝撃は──」


 ガンガンガン! ドアノッカーが激しく鳴った。

 メリアがおそるおそるドアを開けると、そこには額に汗を流した支配人がいた。昨日は一分の乱れもなかった蝶ネクタイが、斜めに傾いている。


「あの、何かあったんですか?」


「申し訳ありません、メリア様」


 支配人は、荒い息を無理やり整えて続けた。


「市長──バーンウッド伯爵が、ステラ様をお呼びです。至急、市庁舎へ出頭せよと」


 そこでようやく、メリアは支配人の背後にいる存在に気がついた。長剣を携え、兜を被った衛兵の姿に。


 馬車で連行された先、市庁舎の最上階で待っていたのは、観光都市ミスドラスの市長、バーンウッド伯爵だった。

 夢の中にいたところを叩き起こされたのだろう。恰幅のいい身体を包む服は上等だが着崩れていて、口髭も乱れている。


「君がステラ・ディーヴァだな」


 やや甲高い声で、伯爵がステラだけに声を掛けた。乱れた髪を揺らして、ステラが首肯する。最低限の身なりを整える時間しか与えられなかったのだ。


「先ほど、我がミスドラスの魔法石工房が所有する倉庫が爆破された。同時に、市庁舎の窓へ投げ込まれた手紙がこれだ」


 机越しに差し出された紙は、いくつも折り目がついていた。おそらく石か何かを包んだ状態で投げ込まれたのだろう。窓硝子を破るために。

 メリアは紙を受け取り、書かれている文面を読み上げた。


「我々は【黒曜会】。魔法石に奪われた未来を憂う者の集いである。我々は市中に複数の爆弾を設置した。要求に従え。さもなくば、容赦なく起爆する──これって……」


 爆破予告。これ以上ないくらい、わかりやすい犯行宣言だ。紙の右下には、正八面体の印が押されている。

 この意匠、どこかで見かけたような……?


「問題はその続きだ」


 伯爵に促されて、メリアは後半部分を読み上げた。


「よ、要求は三つ。一つ。市街に流通している魔法石を集め、我々に差し出すこと。二つ。終身刑で辺獄島に収監されている犯罪者、ミザクラ・ストレリチアの即時処刑。そして──え?」


 続く文言に、メリアは言葉を失った。後を引き取るように、伯爵が続ける。


「三つ。ミザクラ・ストレリチアの助手であり、共犯者である──ステラ・ディーヴァの身柄を引き渡すこと」


「……せん、ぱい?」


「……。」


 メリアは背後を振り返る。抜刀した衛兵二人に挟まれたステラが、弱々しく目を伏せていた。


 †



「ど──どういうことですか⁉︎ なんで衛兵がステラ先輩を拘束するんです! 捕まえるのは、テロリストたちのほうですよね⁉︎」


「無論、テロリストには対処する。ステラ嬢の投獄は保護目的にすぎんよ」


 もっともらしい言葉に聞こえる。けれど、伯爵の態度はどこか後ろめたさを繕うようにも見えた。嫌な予感がする。


「ちゃんと約束してください! 先輩を引き渡したりしないって、」


「衛兵!」


 なおも訴えるメリアに舌打ちを返して、伯爵が叫んだ。「この小娘も連れていけ! うるさくて敵わん!」


「はぁあ⁉︎ あ、ちょっ、どこ触ってんですかっ!」


 衛兵たちに担がれたメリアが放り出されたのは、冷たい地下牢だった。四方を石で囲まれ、正面は鉄格子で塞がれている。


「な、なんですかここ⁉︎」


「二代前の領主様が飼ってた猛獣用の檻だよ。悪いが、ここでしばらく大人しくしててくれ」


 ぎぎい、ばたん。鍵を掛けた衛兵が、すまなそうに言った。

 衛兵たちはランタンを壁に掛け、地上へと引き返していく。メリアはその背中を呆然と見送った。

 頭がまるで働かない。テロリスト。爆発。ステラが捕まって、自分も牢に入れられて。

 そして、ミザクラ事件──そうだ。

 テロリストたちの手紙には、確かに書いてあった。ステラ・ディーヴァは、ミザクラ・ストレリチアの協力者であったと。

 メリアはミザクラ事件の当事者だ。四年前のあの日、何が起きたかもちろん覚えている。

 あの日、街に灼熱の息吹を吐こうとした飛龍は、突如降り注いだ光の矢によって討伐された。

 そう。ミザクラが放った魔法は、確かに竜を撃ち貫いたのだ。

 飛龍が現れてから、わずか半日。手元に相応しい石があったとしても、ステラをして「丸二日はかかる」と言わしめる対竜魔法だ。それを半日足らずで開発してのけたミザクラは、きっと偉大な魔石技師だったのだろう。

 けれど。

 ミザクラの対竜魔法は、完璧ではなかった。

 竜のみを貫くはずの光は空中で出鱈目に拡散し、その一部は市街地へと降り注いだ。強力な熱線は幾つもの建物を倒壊させ、大規模な火災を引き起こした。

 最終的に、街の死者は三〇〇人を超えた。

 故意ではなく過失、しかしあまりにも甚大な被害に王立裁判所が下した判決は、魔石技師資格の永久剥奪と、辺獄島アロセールでの終身刑。

 これがメリアの知る、ミザクラ事件の全容だ。

 ミザクラに助手がいたなんて話は、聞いたことがない。後になって、当時の新聞を図書館で読んだこともある。けれど、やはり心当たりがない。

 あの手紙に書かれていたことは、事実なのか。事実だとすれば、それを知り得るのは誰か──

 そのとき、衣擦れのような物音がした。

 続いて、硝子を指で弾くような声が。


「……メリア?」


「先輩!」


 拳を握って、石の壁を軽く叩く。すぐに応答があった。間違いない。ステラは隣の牢にいる。


「あの、ステラ先輩。テロリストの手紙に書いてあったことって、」


 嘘ですよね、という言葉を紡ぐより先に、望まない返事がきた。

 

「事実ですよ」


「え……」


「すべて事実です。私はミザクラの弟子で、あの日、彼女と共に対竜魔法を構築しました」


 メリアの知るステラ・ディーヴァとはまるで結びつかない、弱々しく、打ちのめされた声だった。


「で、でも、先輩は助手だったんですよね? あくまで、魔法を構築したのはミザクラで、」


「もちろん、対竜魔法を構築したのはミザクラです。私では、あの短時間で対竜魔法の開発工程を終わらせるなんてできません。ただ──」


 耐え難い痛みを堪えるかのような、苦しげな声でステラは言った。


「あの事故の原因は私です。わたしが担当した術式に、致命的な考慮漏れがありました」


 私が三〇〇人を殺したんです、と。


「考慮漏れ……って……」


「照射する光の収束と拡散。わたしは威力の増加にばかり気を取られて、光が街の上空を走ることを完全に忘れていました」


「嘘」


「本当です」


「嘘。うそ、ですよ」


「だから本当です」


「嘘です。だってそんなの、先輩らしくないですよ。だってわたしがそんな仕様書出したら、けちょんけちょんにするじゃないですか。真っ赤に朱入れして、殺人現場みたいにして返すじゃないですか」


 硬い石に背中を寄せて、メリアは膝を抱えた。地下だからか、吐き出す息が白くなるほどに寒い。


「先輩、言ってたじゃないですか。ステラ・ディーヴァの要件定義は完璧だ、って」


「……。」


「なんで、そんなミス……」


「わかりません。あの日は私も、無我夢中だったんです。日が落ちて砲撃が止む前に対竜魔法を完成させなければ、街が火の海になることは明らかでしたから」


「……はい」


「試験工程でも気づかなかった。疲労なのか、焦燥だったのか。あるいは、名誉に目が眩んだのかもしれませんね。ここで竜を倒せば師匠共々魔法史に名が残る、と。そういうことを考えなかったといえば、きっと嘘になります」


「……でも、新聞にも先輩の名前はなかったのに」


「庇われたんですよ」


「え?」


「ミザクラに。あの人、私が構築した術式を、自分が構築したものだと裁判で証言したんです」


 声に自嘲と後悔の響きが宿る。


「バカなんですよ、あの人。私のミスなのに。本当のことを言えば、終身刑になんてならなかったはずなのに」


 でも。


「本当のバカは、その証言を受け入れて、否定もしなかった弟子のほうですけど」


「そんな……」


「おかげで私は資格剥奪だけで無罪放免。無実のミザクラ先生は、雪と牢獄しかない島で無期懲役というわけです」


 ──あの子、魔石技師免許を持っていないのよ。剥奪されちゃったの。

 シャルロッテの言葉が蘇る。そうか。てっきり、貴族相手に罵声でも浴びせたのかと思っていたけれど。

 そういうことだったのか。


「だから、まあ、ツケが回ってきたのかもしれませんね」


 ステラの声色には、隠しきれない、あるいは隠そうともしていない諦観が滲んでいた。


 そして。

 恐れていたことがやってきた。

 ガチャガチャと金属が擦れ合う音と、乱暴な足音。地下を照らすランタンの光。

 先ほどの軽装から、完全武装へと着替えた衛兵たちが、メリアの牢の前を通り過ぎて行く。


「あの、なにしてるんですか?」


「おい、出ろ」


「ちょっと、無視しないでください!」


 鍵を外す音がした。「ついてこい」という乱暴な声と、なにか柔らかなものを叩く音。

 両手を縄で縛られたステラが、背中を押されるようにして鉄格子の前に現れた。


「先輩!」


 ステラは横目でメリアを見た。けれど、それだけだ。声を上げることさえしない。

 メリアは鉄格子に張り付いて叫ぶ。


「やめてください!」


「おい、早く連れて行くぞ」


「やめてって言ってるじゃないですか! 先輩を、どこに連れていくんですかっ!」


「知るか。伯爵様が決めることだ」


 ステラが振り返って、小さく唇を動かした。音は聞こえなかったけれど、不思議と何を言ったのかは理解できた。

 ──ごめんなさい。

 冷たい鉄格子を両手で握りしめて、メリアは自身の爪先を見つめる。

 地上へ続く階段の先で、重たい扉が軋む音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る