二度目の別れ
「じゃ、僕はもう行くよ。この人があの世で迷子になっちゃうからね」
焔はつぶやき、微笑んだ。その頬に、雫が流れる。
「はは、死んでやっと涙が出るようになったよ」
「馬鹿なことを」彼の顔を見ることができない。
「……また、会えるんかな」
「さぁ? 今度は、あの世で会うことになるかもね」
彼は姉にゆっくり体を預けた。
「さようなら。また、いつか」
耳元で、秘密を打ち明けるように囁いた。
「……」
涙を流せないことがこんなにも苦しいとは、彼女は今更ながらに気付いた。
焔が目を閉じる。大粒の涙が流れて、一際綺麗な光の筋を頬に残した。彼の幻が朝露のように消えていく。
結衣子の、浅い呼吸の音だけが残った。
二度目の喪失は、一度目と同じように、とても耐え難かった。
「
見ると、昴が窓際に立っていた。
「あんたか」すぐにそっぽを向いた。
「あんまり見せたくないところやったんやけど」
「申し訳ありません」丁寧に頭を下げる。
「私がこんなことを頼める立場でないことは分かっているんですが」
再び一香は振り向いた。昴が顔を上げ、彼女をまっすぐに見て言う。
「あいつを楽にしてやってくれませんか」
昴は、床に寝ている弟を見た。
うつろに目を開けて、兄を見上げている。腹から下が吹き飛び、残っていた右手も肘から先がない。それでもまだ命果てずに目を動かしている。
もはや自決することも叶わない。
彼女は優しく結衣子を寝かせた。
疲れた足取りでゆっくりと標的に近づき、膝をついた。彼の口元が動いているように見える。悪態をついているのか、命乞いをしているのか、それとも謝罪の言葉、懺悔の言葉でも言っているのか。ただ血で汚れた唇が最後の呼吸に揺れているだけかも知れない。
目から最期の光が消える。口元の動きも止まった。
「死んだ」一香は力無くつぶやいた。
「ふん。死後の世界を信じてたのなら腹でも切れば深雪ちゃんに会えたろうに」
そう言いながらも、すこし、彼女の険が消えたようだった。
「深雪は中学にも上がってなかった。当然、殺しもやってません。あの子の行くところと、私たちの逝くところはきっと別だと思ったんでしょう」
昴は弟の
二人とも言葉もなかった。
ぬるい風が吹いた。
すでに戦いの音は消えている。剣戟の音もなく、木々のざわめきも虫の声も、心なしか遠くに聞こえる。
気配がして振り向くと、彼らのお頭が立っていた。
「ご苦労だった」
淳弥は疲れを隠して声をかけた。
「ええ」視線を弟に戻して、兄が答える。
「あとは、橘の家へ報告にいくだけです」
……弟の
彼らは見事に抜け忍を打ち果たした。
「連絡は済ませた。もうじき迎えが来るだろう」
そう言って、淳弥は結衣子の様子を見に行った。
残された二人は、亡骸を運ぶための作業に取り掛かる。持参した布で、わかる限りの体を集めて包んだ。
抜け忍の死体は墓に入れられることもない。二人も詳しくは知らないが、焼いた後は散骨されるか無縁仏として弔われるのだろう。
結局、命を捨てても彼は妹に再会することはできなかった。
「深雪も、あの世で残念がっているかもしれません」
せめて同じ墓に入ることが出来ていれば、と昴は唇を噛んだ。
「それも覚悟の上やったんやろ」
あらかたの準備も終わって、一香がやれやれ、と床に座り込みながら言った。
「そういや、なんで深雪ちゃんたちもおんなじ名前なん。二条の家で名を世襲するのは男だけなんやろ。女はみんな『みゆき』にせないかんルールでもあるのか」
「そんなルールありませんよ」疲れた顔だが、やっと少し頬がゆるんだ。
「たんに深雪のわがままです。私たちみたいに、おんなじ名前の
「ははあ。で、妹には漢字違いで美雪……と」
「ええ……夏生まれなのに、親父が面白がって付けてしまいました。美雪が生まれたころは呼び分けるのに困りましたよ」
「あんたらは美雪ちゃんたちをなんて呼んどったん?」
「
ははは、と乾いた笑い声を上げた。
「えらく可愛い呼び名やんか。大の大人が、そんなに妹が可愛いのかね」
悪態をついて、ため息まじりに
「……可愛いか。そりゃそうか」
悪かったな、と呟いた。
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