ひとまずの……

 服部半蔵への報告後、4人は休息を言い渡された。


 あらかた学園の片付けも終わっており、日を待たずに授業も再開されるとのこと。まだ戦いの爪痕は残っているが、落ち着きを取り戻しつつある。


 安静にしている結衣子の元へ、一香が度々お見舞いと称して遊びに来た。昴も一度だけ「お詫びに」と、顔を出した。双子の兄弟の件も、その時に聞いた。淳弥だけは校長室に行ったり来たりして忙しいらしく、まだ会えていない。


「うちもお見舞いに行くの誘ったんですけど、忙しいのと素直じゃないのとでなかなか連れて来れないですねー」


 お昼のお弁当を持ってくるのを理由に、再び一香が見舞いに来て、ついでに近況も教えてくれた。


 結衣子からすれば一香たちのほうがよっぽど満身創痍に見えたのだが、さすがは忍者、回復は早いらしくピンピンしている。むしろ、訓練で受ける傷の方が多いらしい。


 そうして、食後のお茶を啜りながら、意味ありげにニンマリと笑って言葉を続ける。


「そうそう、聞きたかったんですけど。結衣子先生、お頭になにかしたんですか?」


「え?」思いがけない質問にすぐに答えることができない。

「……何か? ですか? とくに思い当たらないですが」


 一香はいよいよ目を細めている。これまで結衣子は彼女を上品な色気と雰囲気を持つ女性と思っていたが、いまは大変に俗っぽい笑顔だ。


「あらぁ。先生、そういうのはよくないですよ。お遊び、っていうことですか?」


「その……なんのことだか、さっぱり」


 結衣子には本当になんのことだか、全く心当たりがない。


「あららー? もしかしたら無意識にってことかな。それともそういうのが趣味なのかな」


 彼女は意外そうに首を捻る。


「伊賀崎くんがどうかしたんですか?」


「いやー」今度は目を細めすぎて糸のようになっていた。

「先生を助けに行くときに、ついでに悪いやつを懲らしめたんですけど、普段ならお頭がそういう荒事を率先してやるんですよ。一番地味で目立たなくて、一番強いですからね。でも今回は珍しくうちが荒事担当で、お頭が先生救出に行ったもんだから、おやおや、これはぁ〜? と、思いまして」


 再びニヨニヨした顔になる。


「浴衣が効いたんかな……結衣子先生、年下男子はお好みですか?」


 ようやく彼女にも一香が言っている意味がわかった。


 思い当たることといえば、まさにこの部屋で彼と二人きりになった時のことだ。お互いの身の上話をしたり、ちょっとだけ近付きすぎたりしたのを思い出す。


 あの時は忍者たちの戦いの熱に当てられて、自分自身もすこしおかしかった。はっきり覚えてないが、何か勘違いをさせるようなことを言っただろうか?


 今まで異性に好意を持たれたことは記憶にない。正直なところあまりそういうことには興味が持てなかったし、地味すぎる自分にそういう男性が現れるなどあり得ないと思っていた。ましてや年下の、男子高校生が自分なんかに興味を持つなど考えもしなかった。


 思い返してみれば、成り行きとはいえ彼にかかえられたり自分からしがみついたりもしていた。浴衣も慣れないので少し着崩れていた気もする。もしかしたらだが、自分が思っていた以上に何か特別な印象を与えてしまったのかも知れない。


 顔を赤くして目を泳がせた少年の顔を思い出し、結衣子もじんわりと顔が熱くなる。


(そうなると、助けられた時に抱きついたのは、ちょっとまずかったのでは……)


 よくよく考えれば教師と生徒である。そこらへんもよろしくない気がする。


「ちょっと身の上話をしたので、それで気を使ってくれたのかと……思います……」


 言い訳のようにぼそぼそと言う。


「身の上話〜〜? それ、まさに『何か』してるじゃないですか!」


「そう……ですか?」


「男はですね、そういうのすごい単純なんですよ。自尊心をくすぐりながらヨイショして、さらにこっちの弱みを見せるわけです。『あなただけに話します』『あなただけが私の理解者です』的な事言って、ちょっと甘えたふりをしたらもうイチコロです。あの唐変木を落としたのなら結衣子先生もくノ一の才能あるかもですよ。ぶっちゃけうちもよくやりますからね、あることないこと含めて、御涙頂戴の身の上話で落とした男は星の数です。もう何度うちの親父が死んだことになっているか……あの頑丈な親父は殺しても死なないと思うんですけどね、でも父親がいない、というのは男側からしたら面倒な障害が一つ減るという意味もあるので、そこらへんも戦略的に死んでもらってます。だからといって親父が残した借金があるとか余計なことを足しちゃうと後々面倒なことになる可能性を感じさせてしまうので、独り立ちして立派に生活できる女である、あなたに面倒はかけませんよ、でも本当は寂しいの……みたいな感じを出せるとベストです。男側がこりゃちょろいわ! という顔になるのが目に見えますね。こっちからしたら、ちょろいのはお前じゃぼけ! って感じですね。女を舐めてる男なんてそんなもんですよ。機密情報だって三日三晩もあれば……あ、あああ! すいません」


 急に頭を下げた一香に結衣子はびくりとした。


「ど、どうしたんですか?」


「無神経でした。結衣子先生は、今回は本当に大変でしたもんね」


 勢いに飲まれていたので全く気になっていなかった。一香も弟を亡くしているのに、祖母を亡くした結衣子を気遣ってくれることが素直にありがたかったし、彼女の芯の強さを感じさせた。


「あ、その、大丈夫です。もちろん悲しいは悲しいんですけど、なんだか慣れてしまったのか、逆におばあちゃんが近くにいるような気さえするんです。やっぱり本当にイタコの才能があるのかもしれないです」


 結衣子の言葉を聞いて、一香は頭を上げた。神妙な顔になっている。


「それについては保証します。正直なところ、今までは半信半疑だったんですけど、結衣子先生の力は本物でした。あるんですね、超常の力って」深くうなずきなら言葉を続ける。

「こんな家業だから、人の生き死にについては世間と結構ズレるんですよ。配慮ない言い方をしていたらすいません。でも案外、うちらは似ているのかも知れないですね」


「私もそう思います」


 結衣子は頷いた。


 現代人の死生観と忍者のそれはきっと違うのだろう。結衣子がかつて読んだ『葉隠はがくれ』に書かれていたような、死が身近な侍たちと目の前の忍者たちは同じなのだ。


 霊媒師も同様で、『死』に近いという点では、どちらかといえば忍者寄りに思えた。


「でね、先生、話はもどりますけど」神妙な顔のまま声をひそめる。

初心うぶな年下男子を相手にするのは結構覚悟が要りますよ。とくにああいう普段真面目な奴は、甘える相手ができたらそりゃもう遠慮がなくて大変なんですから」


 逃げたい話題が帰ってきた。困惑して、結衣子は耳まで赤くなる。


「え、遠慮なく……ですか?」


「そうですよ。そもそも男子高校生なんて人生で一番ムラムラしている時期ですからね」


「ムラムラ……」


「ああいうのはところ構わず絡んでくるんで本当困るんですよねぇ。まぁはそこまではならないと思いますが、二人きりになったらどうなるかなぁ。ね、先生? どう思います?」


「わからないです……」


 顔を上げることができずに俯いていると、ほそい目の一香が顔を覗き込んでくる。


「教えてあげましょうか?」耳元で囁く。

「年下男子を骨抜きにする術……」


 もはや結衣子の頭からは湯気が出ている。


あねさん、からかうのはそこまでです」


 襖の向こうから、呆れ顔の昴が声をかけた。


「なんや。ここは女子寮やぞ。万年発情期の男子は入ってくんな」


 楽しくなりそうなところを邪魔されて、くノ一は不機嫌に返事をする。


「私は女性には敬意を払っているつもりですし、男子って歳でもないです」敷居の向こうで膝を着き、結衣子に顔を向けた。

「棟梁からお話があるそうです。本来ならこちらから出向くべきなのですが、人の多い女子寮ここでは内密のお話をすることができません。体調が良ければご足労いただきたいとのことでしたが、いかがでしょうか」

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