3つのお知らせ
「や、語部先生、お手間をとらせて申し訳ない」
結衣子と2人が校長室の前まで来ると、服部半蔵がにこやかにドアを開け、中に招き入れた。学校に戻ってきた時以来、久しぶりに顔を見る。あの時は平身低頭のお詫びをされて大変だった。
「緊急の連絡を待っているので、ここを離れることができなかったのです」
と、前回ほどではないもののしっかり頭を下げる。
「あ、いえ、こちらこそ、本当にご迷惑おかけします」
つられて結衣子も頭を下げながら部屋へ入る。顔を上げた時、すでに部屋に来ていた淳弥と目があった。
とたんに先ほどの一香の話を思い出す。
(人生で一番ムラムラする時期の、真面目だけど、二人きりだと遠慮なく甘えてくる少年忍者……)
鼓動が早くなったような気がした。
(まさかまさか、生徒相手に間違いを起こしては絶対にいけない……!)
淳弥はすこし不思議そうな顔をして、小さく挨拶を返した。
「お見舞いにも行けず、申し訳ありませんでした」
「いえいえ! 大丈夫です、もう元気ですから!」
返事をしたものの、一香がいうほどの反応は返ってこないので、少し拍子抜けする。
(……やっぱり橘先生の勘違いなのでは……)
ここ数日の、あまりに現実離れした出来事の連続に結衣子はすっかり混乱している。思考能力が落ちているところへ奇妙な恋話をされたので思わず鵜呑みにしてしまったが、実際には一香が場を和ませるために冗談を言っただけだったのかも知れない。
(だとしたら、だいぶん恥ずかしい……)
むずむずするのを我慢して、努めて冷静を装った。
結衣子の内心とは関係なく、服部半蔵は話を切り出す。
「申し訳ありませんが、さっそく本題に入ります。お伝えするべきことが3つ、あります」
人差し指を立てる。
「まず、守子様の手紙に書かれていた、あなた自身の使い方についてです」
聞いて、結衣子の身が引き締まった。
自分自身の立場を思い出さないといけない。自分は(今でも信じられないが)どうやらとても面倒な立場にいて、命を狙われていて、いま周りにいるのはそんな自分のために命をかけている人たちなのだ。一人だけ浮かれているなんて不謹慎すぎる。
「坊と一香の報告内容から考えて、すでに敵はあなたの使い方を知ったと見るべきでしょう。もはや隠す必要も薄いので、ここでお伝えします」
「私も居ていいのですか?」
昴が訊ねた。裏切り者を出した一族が聞いていいものか遠慮をしたのだ。
「かまわん。知る必要ができた」
昴は深く頭を下げた。半蔵はそれを見て頷き、結衣子へ向き直る。
「血族を示す印で、血を受ける。そうすると、冥界への扉が開くそうです」
「血を受ける?」
「あなたの場合は印が目にあるので、まぁ、わかりやすくいえば血を目に入れるのです」
「血を……目に?」
一香が口元に手を当てた。
「そうか、あの時はうちの血が先生に……」
半蔵が頷く。
結衣子はあらためて気を失う直前のことを思い出す。一香が結衣子を庇ってくれたとき、肩から吹き出した血が見えたことは記憶にある。
半蔵が結衣子に向き直り、気遣う様子で続ける。
「印に反応した血の持ち主と交わりが濃ゆい、精神が深く繋がっている死者が特に
「……はい。どこかの、広い草原に立ってました。空は暗いのに何故か明るくて、不思議なところで……あ、あとおばあちゃんに会った気がします。声が出なくて、お話はできなかったんですけど」
「守子様に?」半蔵は目を見張った。
「なるほど……なるほど」
深く息を吐いた。
「あなたが見たのはおそらく、彼岸の向こう側です。私も詳しくは分かりませんが、以前守子様にその個人の心象風景が現れると聞いたことがあります。あなたに見覚えがなければ、もしかしたら守子様のものかも知れません」
半蔵には心当たりがあるのだろうか、わずかの間だけ、遠くを見る目をした。
「守子様の手紙を読む限り、憑依される、というより魂が入れ替わる、と言った方が実態に近いようです。呼び出された魂があなたの体に入り込み、逆に追い出されたあなたの魂は冥府へ送られる。そうして相手が自分の意志で帰らない限り、あなたはあちらの世界へ身代わりとして残らなければならない。あなたは自分の意志でこの世に帰ってくることができない」
「……つまり、死ぬということですか」
うなずく。
「橘焔が自らの意志であの世に帰らなければ……彼が強靭な自制心で再び死を受け入れなければ、あなたはここにいなかった。誰もができることではありません。呼び出されたのが彼だったからできたのです」
「あいつ……」一香は顔を伏せた。
一瞬、弟を失ったくノ一を見る半蔵の目に哀しげな、優しげな光が宿った気がした。
「もし語部先生が出会ったのが本当に守子様であれば、彼女が適切な人物を連れてきて下さったのかも知れません。しかし、2度目の死を受け入れるなど、決して簡単なことではないはず……常にそれを期待するわけにはいかないでしょう」
残された者も去っていく者も、もう一度別れの悲しみを味わうのだ。
そう、他ならぬ
そうして実際に、二度目の別れを突きつけられた者がいる。
知らず知らずにこわばった彼女の肩に、一香が手を置いた。振り向いた彼女に、ゆっくり、優しげに首を振る。
「結衣子先生」昴も静かな口調で声をかける。
「先生は何も悪くありません。悪者は……私の……」
「お前の弟をそそのかした奴だっている」言い終わりを待たずに淳弥が強い口調で付け加えた。
「欲望と悪意が連鎖しているんだ。誰かのせいにできるような、簡単な話じゃない」
「うむ。坊の言う通り。この件に関して因果を辿るのは難しい。しかしはっきりしているのは、語部先生は何の罪もない、ということだ」
半蔵は一拍おいて部下たちに言う。
「風魔を通して知られたのは、血を受け入れることで能力を発揮する、という一点だけ。反魂の力が一方通行のような物であることは気付かれていないはず。相手にしてみれば一度でも血を浴びせればいいのだから、この上なく有益な情報となる。絶対に知られるわけにはいかぬ。そして、我々としてはこの事実を隠しつつも共有する必要ができた。よいか、今後は一滴の血さえも見過ごしてはならぬ」
言い終わってから忍者たちを見た。困難な任務だが、3人ともしっかりと目で応える。
一香が手を上げた。
「質問があります。そうすると、結衣子先生は普通の霊媒師みたいに死んだ人と会話したりはできないんですか?」
「使う血を薄めれば対話もできるそうだが、どの程度まで薄めればいいのかはわからぬ。まさか実験をするわけにもいかないから、当分は一香の言う通りに考えるべきだろう」
「ふーむ……すごいけど不便ですね」
「妙な気を起こすなよ」
「わかってます」半蔵にも物怖じせず答えた。
「結衣子先生を気の毒に思っただけです。自分では使えないのに命を狙われるなんて」
結衣子の能力は彼女自身が有効に利用することは難しい。それなのに彼女の安全や平穏な生活は奪われるのである。
一香の感想に、他の忍者も沈黙をもって同意した。
半蔵は指を二本立てて続ける。
「次に、我々が戦う相手についてです」結衣子の前では、敵、という言い回しは避けた。
「実際に刃を向け合うのは今回同様にカルトやナチス、それを操る風魔忍者になると思われます。が、さらに背後には資金などを提供している権力者がいます。中根栄子。語部先生も名前はご存じでしょう、代々政治家の家系で、第二次大河内内閣で閣僚も務めた政治家です。今回、沙汰書きを出したのは彼女の一存だったそうです」
実のところ、結衣子は日本史に出てくる政治家以外には興味がない。中根栄子は初耳だったが、中根孝一の娘ではないかと想像はできた。戦後の日本を牽引したと言われる、剛腕で知られる人物だ。
「あまり詳しくは話せませんが、彼女はまだ我々の上にいます。いまは他の委員が彼女を牽制してくれていますが、今後どうなるかは未知数です。彼女の目的はおそらく『若返り』。近年大病を患い、かつ高齢であることも考えれば急いで決着をつけたいはず。風魔を使った強硬手段も予想できますが、逆に言えば長引く戦いではありません」
風魔という名前を聞いて、結衣子はあの戦闘的な装備の忍者たちを思い出した。夜の闇に溶けこむような服部学園の忍者たちとは違い、逆に暗闇から手を伸ばしてきそうな印象だった。
「それに関連して、みっつめ。今後の護衛方針ですが……」
その時、机の上の電話が鳴った。
半蔵は淳弥に目配せして、電話を持って部屋の隅へ移動した。電話の相手の声は聞こえない。
「では、続きは俺から」
淳弥が結衣子に向き直った。彼を真正面から見たのはあの夜以来だ。数日前までは子供に見えていた彼が、今ではとても頼もしく逞しい男性に思えた。一香に変なことを吹き込まれたせいかも知れない。
「風魔にはまだ謎が多く、いつ、どこで攻めてくるかもわかりません。なので、より身近で護衛をするため、先生は一香と相部屋になっていただきます」
「……え」
思わず結衣子は声が出た。
「窮屈かもしれませんが、安全のためです。ご容赦ください」
「あ、私は大丈夫ですけど、その、橘先生の方が大変なのでは……?」
結衣子には学生の頃に相部屋経験がある。彼女自身は同居人に恵まれたこともあって苦には思わなかったが、学生によっては相性の悪い相手に耐えられずに寮を出ていくこともあった。
ここ数日でだいぶん印象も変わったものの、まだ『品のある色気を
「うちは全然オッケーですよ!」隣に立って、にっこりと笑顔を見せた。
「結衣子先生は遊び甲斐がありそうですし! それとも、お頭と一緒の方がよかったですか?」
「え、いや、そんな……」
こっちの一香のほうが素なのかもしれない。学園の中には少ないながらも忍者ではない生徒もいるので、今まで見ていたものこそ仮の姿だったのだろう。
「一香、先生を困らせるな」淳弥がため息をついた。結衣子に向き直って、続ける。
「しかし、今後の動き次第では本当に伊賀崎の隠れ屋敷で過ごしてもらうかも知れません。その時は重ねてですが、ご迷惑おかけします」
「ええ!」声を上げたのは昴だ。
「あのボロ屋敷にうら若き女性を呼ぶんですか? 清潔感は何よりも大事ですよ? 掃除してます?」
「してるし、今でも週末はできるだけ帰ってる」
「そうはいいますが、あそこだけ江戸時代というか、妖怪が出てきても不思議じゃないくらいに、えー、言葉を選べば、現代の女性が生活するにはノスタルジックすぎませんか? いつもお線香の匂いがしているし」
わざとらしく思案顔をしている。
「これは難儀なことになるかも知れませんね……」結衣子を振り向いて続ける。
「あそこ、水道もないんですよ。井戸水でしたっけ、川から汲んでくるんでしたっけ」
「そのあたりはお蝶さんがやってくれるから心配いらない。余計なこと言ってると八方丸の散歩やらせるぞ」
「それは汗をかくから嫌ですね〜」
どうも彼らは結衣子に気を使って茶々を入れてくれているらしい、と彼女は気付いた。落ち込んでいた気持ちが少しずつ穏やかになってくる。
散歩、という言葉から予想すると八方丸とは飼い犬だろうか? ……もしかして、忍犬というものでは?
「今後は相応に腕が立つものが警護にあたる必要が出てきました。今は三船が学園を離れているので、校内では俺と二条が専属で先生の警護をします。やむを得ず別の者が警護に当たる場合は、必ず事前にお伝えします。同様に私生活全般に一香が付きますが、外出の際は俺が同行することもあるかも知れません。その時はよろしくお願いします」
デートですね、と一香が耳打ちした。淳弥は目を細めて彼女を見ている。バレてますよ、と伝えようとしたがきっと分かっててやっているに違いない。
代わりに、結衣子はぎこちなく笑って彼に頷いた。(大丈夫、冗談だと分かってますよ)の意味だ。少し驚いたような顔をされたが、まぁ意味は伝わっただろう。
「あ、えー、それでは……以上です。具体的なことは後ほど、また改めてご相談に伺います」
昴と一香が妙に笑顔だが、あまり気にしないでおこう……。
校長室には淳弥と半蔵だけが残った。
3人が出ていく時も半蔵は言葉少なげに電話をしていたが、淳弥だけが残っているのを確認すると、相手に「そっちも引き続き頼む」と応えてから切った。
半蔵は電話を置き、机の淵に体をあずけた。
「悪い方向に転びそうだ」大きくため息をついた。
「長引く戦いではないと言ったが、なんと詫びたものかな」
「裏が取れましたか」
「ああ。三船のやつ、苦手だといいながら良い忍び働きだ」
「最悪の連絡でしょうか」
一拍おいて、半蔵が答える。
「最悪の一歩手前、というところかな。『委員会』であの怪物側につく者はいなかった。そこだけは好材料だ。が、……」顎に手をやり、髭を撫でる。
「風魔が使っていた霧隠、お前の予想通り陸自と共同研究していたものとは違うらしい。公表されていないが、最近、米軍の光学迷彩技術が飛躍的な進歩を遂げたと言うことだ。陸自の情報は米軍に抜かれているからな……。風魔の霧隠は、そちらから流れてきたのかも知れぬ」
伊賀の技術が海外に流出し、その上アメリカで改良されて逆輸入されている。それ自体も悪いニュースだが、米国が関わってるとなるとより悪い。望まぬところまで事態が拡大していることを表しているのだ。
「米軍の一部に先走った連中がいると思いたいが、
このまま事態が拡大していけば、長期戦は避けられない。なにより学園の手に余る。今度こそ結衣子を政府のもとで厳重に警護・管理しなければならないだろう。
「やれやれ。守子様も難しい仕事を残してくれたものだ」
愚痴を言いながら、半蔵は宙を仰いだ。
罪なき孫娘を守りたい。その一念を叶えるために政府の一部を敵に回し、正体不明の風魔忍者と戦う羽目になり、そのうえ世界最大の軍事国家まで相手にしようとしている。
頭の痛い問題が一気に三つも重なって襲ってきた。
「言葉を返すようですが、じいさま」淳弥がまっすぐに半蔵を見つめて言う。
「結衣子先生は何も悪いことはしていません。あのひとに責任を押し付けざるを得ないようなら、世の中の方が間違っているのでは」
彼の言葉に、半蔵は呆気にとられた。顎を撫でていた手が止まる。
「ほう……」
反論や意見を許さないほど、半蔵は狭量ではない。むしろ部下や若いものの意見は積極的に耳を傾けるべし、と普段から自分や配下にも言い含めている。
そんなことではなく、この若く生真面目な忍者が、青春とこれからの人生のほとんどを日陰仕事に捧げる彼が、屈託なく一人の女性の肩を持ったことに新鮮な驚きを感じている。
「それはそうだ。だが、あの娘がいなくなれば少なくとも現状維持にはなる。悲惨な戦争が勃発するのを回避できるかも知れぬ。どうだ? 一人の罪なき女性と、
言いつつも、我ながらつまらない話だと思った。そんなことは納得はできなくても理解はしているはずなのだ。ただ、今までの淳弥なら、それをわざわざ口にはしなかったはず。
その微妙な変化に本人が気付いていないところが、また可笑しい。
「考えるまでもない。しかし、ふふ」
「結衣子先生か。堅物のお前がな」」
途端に彼は口籠った。
「あ……、いや、それは、たまたま流れでそう呼ぶことになりまして」
駄目だった。思わず声を出して笑った。不満気に淳弥が口を閉じたが、一度笑い出したらなかなか止められない。
ひとしきり笑って、いよいよ彼が表情を固くしたころ、やっと治まった。
「いや、悪かった。何はともあれ、当面は言われるがまま、縛られるがまま生きねばならぬ。あの娘のためにも、お前は気を引き締めろ」
「承知」
頭を下げた可愛い部下がどのような顔をしているのか、見なくとも半蔵にははっきりわかっていた。
淳弥が退出し、一人になった半蔵はまだ自分に滑稽さを感じる余裕があることに幾許か安堵した。
「ま、とは言え、世の中どう転ぶかなどわからん。いつかは子孫たちに、好きな様に生きろ、と言ってやりたいものだ」
今度は
伊賀服部学園には霊媒師がいるらしい 井戸端じぇった @jetta
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