これは、どんな風に読めば良いのか迷うかもしれません。
「イソヒヨドリ」「ハクセキレイ」を読んでいれば、この物語の人物たちがどのような生活をして、人生を辿るのかは知っているはずなのです。だから、最初は「安心してなよ、きっと救いはあるのだから」なんて割と呑気に読み進めていたのですが、甘かったです。
当時のLGBT(そもそもそんな言葉さえなかったはず)の扱いはきっと今とはだいぶん違っていて、優生保護の歴史を辿るような重苦しさがあるのだろうなと思いました。例えば、名前を残すことについても現代の﨑里ちゃんと当時の高原さんとがそれぞれの作品で意見を述べていますが、対話の相手や周囲の反応が違ってる様に感じます。
そんな息詰まる空気の中で竹史くんがどんな青春を過ごしたのか。物語の終盤で、もう本当に取り返しがつかないほどの事件があるのですが、彼らの未来を知っているのに胸が締め付けられます。仮に自分がそこにいて、何か声をかけられる機会があったとしても、そうして未来を知っていたとしても、何も言葉にすることはできなかったでしょう。
この物語は、彼らの青春物語でもあるのですが、「普通じゃない」人たちがどのように生きてきたのか、現代がどのように変わってきているのかを描いている物語でもあると思います。そうして、ちゃんと「良い方向に変わっている」はずなのに、本当は何も変わっていないのではないか、なんて言う描写もところどころ見える気がするのです。結局、「普通」とはなんなんでしょうね?
そう考えると、イソヒヨドリの最後の、現代の﨑里ちゃんの行動は、まさに父親やその世代への強烈な問いかけのようにも思えました。作中で語られない彼女の胸の内は、きっともっと複雑で、憤怒とも傲慢とも言えない、特別な感情があったのではないか、と今では思います。
イソヒヨドリを読んだ皆さん、ぜひ最後まで読んでください。でも気をつけて! きっと読んだ後にしばらく放心状態になります! 自分はなりました! それくらいパワーがある作品です!
高校生達の繊細な感情が、弓道や、恋愛、それから周りを取り巻く人たちを通して、作者様の圧巻の筆力で描かれています。
読みながら、頭に浮かべるもなく目の前にありありと浮かぶ、繊細かつ丁寧な情景描写や心情描写もさることながら、私がこの物語で一番惹かれたのは、作者様の人物を作り上げる力だと思います。まるで自分自身がその世界にいてすぐ傍で主人公達の日常を覗き見ているような錯覚を、この物語の世界に浸らせている間、ずっと起こしていました。それが心地よく、時に痛く、人を愛するとは、愛されるとは何なのか、と深く考えさせられる物語でした。
きっと私は、書籍として店頭で並んでいたとしても、躊躇うことなく手に取っていたと思います。それ程までに上質な物語でした。このような物語を、webという場所に届けてくれた作者様に心から感謝しました。