再会

 もう二度と会えないと思っていた少年忍者が目の前にいた。部屋に入ってくるなりきょろきょろと辺りを見回して、刀を鞘に収める。


 気がつくと結衣子は彼に駆け寄っていた。そのまま両手で、存在を確かめるように強く抱きしめる。


 血と汗と泥の匂いがした。いつもならしかめっ面になるような匂いだったはずなのに、離れることができなかった。彼が、彼らがどのような代償を払ってきたのかが分かる匂いだった。


「遅れて申し訳ありません。お迎えにあがりました」


 顔を上げた。すぐ近くに彼の目がある。


「伊賀崎くん」


 忍者が覆面を外した。この数日で急に見慣れたものになった、彼女の忍者の顔だった。


 彼は少し間を開けたあと、今度はゆっくり部屋を見回して、机の上のまだ手をつけてないサンドイッチを見た。


「ここで何か食事を取りましたか?」


「いいえ、何も……」


「良い判断です。恐縮ですが時間がありませんので、ひとまずこちらへ」


 そういって有無を言わさず結衣子を連れ出す。


 感動の再会のはずだが、いろいろと省略されてしまった。気になることはたくさんある。急いでいるのもわかっていたが、聞かずにはいられなかった。


「あの、あの、どうしてここへ?」


「先ほど言った通り、お迎えにです。帰りましょう、学園に」


「えっ……」


 彼女にしてみれば、わけがわからない。


 政府に幽閉されてもう人生も終わったかと思ったら、来ないはずの忍者がお迎えに来た。


 嬉しいと思う以上に、彼らが心配だった。別れ際のあの校長先生の顔を思い出す。悔しさを噛み殺し、苦痛も苦労も受け入れることを余儀なくされてきた、あの顔。


 私のために、彼らは大事な生活や家族を失ったりしないのだろうか?


「あの、逆らって大丈夫なんですか? あとで酷い目にあったりしないんですか?」


 建物の様子を伺う彼に、そっと訊ねる。


「あなたを守る、と約束したはずです」振り返って答えた。


 一拍して妙な返事をしてしまったことに気付き、照れたように付け加える。


「あ、いや、どうかご安心を。一部の権力者が職権を濫用したことがわかりました。あなたの身の安全の確保は、政府の要請でもあります」


 広い廊下を進んでいると、どうも窓の外が騒がしい。雷のような音がそこかしこで聞こえるし、何かが燃えるような、煙たい匂いもする。


「あの、やっぱり皆さん戦ってるんですか?」


「もちろんです。しかしすぐに終わりま」す、と言ったときにはすぐ目の前の廊下の壁が吹き飛び、煙と埃が舞った。


「ええー!」結衣子は思わず声を上げる。


 しかし、こんな時でも忍者は慌てない。


「先生、下がっててください」刀の柄に手を添え、結衣子を後ろへ隠した。


 吹き飛んだ壁から現れたのは、身の丈が2メートルを越えそうな大男だった。


 彼もまた、異様な風態である。


 柿渋色の忍装束を身に付けて、背中には恐ろしく長い刀を背負っている。およそ忍者の武器とは思えない、重く、派手で、長大な刀だった。


 煙の中からゆっくりと歩いて出てくる。頭巾に隠しきれていないざんばらな長い髪。黒く澱んでいる眼。とても隠れ忍ぶことなどできそうもない、まるで獣のような体躯たいくをした男だった。


 鬼をかたどったいかめしい面頬を外し、無精髭の口元を不気味に緩めて見せる。


「貴様……風魔だな」淳弥が鯉口を切る。


「お初にお目にかかる」大男は厚い唇を大きく広げて白い歯を見せた。

「中之条幻鬼。あんたが伊賀崎淳弥だな?」


「忍者が自己紹介とは笑わせる」


なりは忍者だが、気持ちは鎌倉武士よ。強い奴相手に暴れ回るのが何より楽しくてな」品定めをするような目が細くなる。

「風斬り淳弥はやはり強そうだ。さっきの派手なだけの伊賀者よりは楽しめるか」


「……」


 淳弥が動いた。と思ったら、目にも止まらぬ速さで大男に斬りかかっていた。きんっ、という高い金属音がして、見ると大男があの長大な刀を抜いて構えている。


「……その早業」彼も驚いているようだ。

「物見を襲ったのは貴様か?」


「物見? ああ」舌を出して答える。

「あの物見櫓にいた3人組のことかな? 止まって見えたから、居眠りしてるのかと思ってちょっとからかっただけよ」


「……三船を連れてくるべきだった」再度攻撃の構えを見せる。

「お前を殺す楽しみを分け合いたかった」


「女の前で殺しをシェアする話なんて、伊賀者は乱暴だな」


 言い終わりにまた二人が動く。


 今度は結衣子の目にはほぼ見えない。どちらが先に動いたのかも分からなかった。二人が切り結び、散った火花だけが視界に残る。できるのは肝を冷やすことだけだ。


「先生、離れててください!」


 言われて、すくんだ足に鞭打ってすぐさま廊下の角へ走った。見るのも怖いので、そのまま角に隠れて音だけを聞いている。


 金属が削り合う激しい音、壁や床を蹴る音が聞こえた。


 ややあって静かになったかと思うと、二人の姿は廊下から消えている。


 恐る恐る近寄って崩れた壁から顔を出すと、離れたところで剣戟の音がする。廊下の照明はところどころしか点灯しておらず、外は月明かりだけなのではっきりと様子がわからない。ただ闇夜の中で、敵か味方かもわからない人影が複数倒れているのは見えた。


 結衣子は唐突に思い出した。敵対勢力は彼女の確保だけが目的ではない。中には単純にこの世から消したがっているものもいるらしい。


「どこかに隠れないと……」


 万が一自分が狙われれば彼が満足に戦うこともできなくなる。


 何もできなくとも、せめて足手まといにはなりたくなかった。


 元来た廊下を走って戻った。先ほどの部屋は安全かも知れないが、不気味なので入る気になれず、さらに先の廊下の突き当たりまで来た。


 普段は利用しない、大きめの家具などが防湿シートを掛けられて放置されている。


 隠れるのには都合がよさそうだ。シートを持ち上げると、埃が舞ってきついカビの臭いがした。もう何年も放置されているに違いない。


 迷わず潜り込んだ。


 このまま見つからずに済めばいいのだが、不安までは隠せない。


(忍者と忍者の戦い……どうなっちゃうんだろ)


 さっき見た忍者は、監禁された部屋で話した忍者と同じ装束をしていた。きっと同じ流派なのだろう。服部学園が伊賀流だとしたら、さっきのは……淳弥の言葉から考えて、風魔流? 戦国や幕末の剣客はそれなりに詳しいつもりだが、忍者は専門外だ。風魔小太郎という名前を連想するくらいである。


 すぐ近くで大きな音がした。


 その直後、点々と残っていた廊下の明かりが全て消えた。


 視界はわずかばかり差し込む月明かりだけになった。


 暗闇と、シートに残ったカビと樟脳の臭い、まだ遠くから聞こえる断続的な破裂音。まるで遠くの花火の音を聞いているような気さえする。


 そして、人の声はない。


 現実感が徐々に削がれていくような心地だった。


 そのとき、唐突に近くの窓ガラスが割れた。


 見ると、窓を突き破って入ってきた影があった。


(誰……?)


 恐る恐る隙間から覗き、目を凝らす。


 その人影は濃ゆい紺色の忍装束に身を固め、右手の手甲が赤々と輝いている。


「……橘先生!?」


「え」汗と血に汚れた一香が目をパチパチさせる。

「結衣子先生? なぜ一人で?」


「実はその」


「いやいや」自分に言い聞かせるように首を振った。

「細かいことはあとあとにしときます、まずは逃げましょう!」


「でも、伊賀崎くんが戦っています」


「お頭が?」


「学園の装束とは違う忍者……」淳弥の言葉を思い出した。

「風魔の忍者と」


 聞いて、彼女は天を仰いだ。


「あいつ。やっぱ裏切っとるんやないのか」呟いて、結衣子をまっすぐに見る。

「正直まずいです。思ったより手強かった。お頭の力を借りられればと思ったんですが」


「手強い?」


「そうです。雷光の昴。あのいけすかない数学教師の、弟の方ですよ。あいつ、裏切っただけじゃ飽き足らず、とうとう銃に頼りやがった」


「弟? 弟って……」


 結衣子は一香が破り割った窓を振り返り、身を起こした。


「だめ! 危ない!」

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