忍者x忍者2

 橘一香は強敵だった。『雷光の昴じぶん』では正面からは太刀打ちできない、と分かっている。


 伸び切った雑草の影を縫いながら必死に彼女との距離をとり、ライフルの隠し場所まで辿り着いたものの、油断はできない。なにせ相手は火炎の体術を使う橘一族のなかでも抜きん出た技術を持っている。致命傷を与えられなければ、次の瞬間に死ぬのは自分かもしれない。


 さきほどは最も強力な目潰しを間近で食らわせた。開発中に失明したものが出たほどの威力だが、彼女の動きを完全に止めれるとは思えない。


「手の内がバレているのは辛いな」


 しかし瞼どころか目を覆った手のひらも貫通して届く強力な光である。1分とは言わないまでも、10秒、いや20秒は視界を奪ったはずだ。


 チャンスは今しかない。まだ彼女はライフルを見てない。距離がある今のうちから、初弾で致命を狙うしかない。いまなら一方的に撃てる。一秒でもはやくこの広い敷地内から彼女を見つけ出さねば。


 ゆらり、と視線の先で小さく動く人影が見えた。


 引き金を引いた。


 影が大きく真横にはねる。外れた。


 本来は上半身で受ける銃の反動が全部右肩にのって、体が大きく揺れた。片腕で撃つライフルの狙いが精確でないのは見越している。比較的反動が少ない、小口径のものを用意したが、訓練不足もあって連射ができない。


 警戒されない初撃を外したのは非常にまずい。距離を詰められる。


 しかし次弾を撃つ体勢を整えるまで十分に間があったにも関わらず、彼女は攻撃してこなかった。


 つまり。


「効いている、か」


 目潰しがまだ効いている。それ以外考えられない。


 二条の一族では、一際強烈な光を放つ独自の火薬を『雷』と名付けていた。着火も強力な静電気を使うので、本当に手元で雷が発生したかのような錯覚さえ引き起こす。


 強靭な女性の髪が程よく縫い込こまれた火薬の包紙つつみがみは、爆発を抑え込み、火薬の燃焼速度を加速させ、破裂する際の威力を高める。兄の使う『雷撃』が強烈な衝撃と熱を発するのはこの為だ。さらに鉄片も混ぜたものは手榴弾にも劣らない威力である。


 対して弟は、妹がいなくなったあと、通常の包紙で火薬を包んだ『雷光』を使うようになった。圧縮されないぶん、熱と衝撃はすぐさま散って、破片が遠く飛ぶこともない。その代わり強烈な光が長く残り、視界を奪う。


 もともとは昴弟も『雷撃』を使っていた。二人の呼び名も区別されなかったし、二人で一人の双子忍者と扱われていた。諜報活動をする忍者としては、むしろその方が都合が良かった。


 弟はなぜ『雷撃』を捨てたのか?


 言ってみれば、気まぐれに近かった。髪を切った深雪が風邪を引いたことが全ての原因となった気がして、止めたのだ。


 通常の任務では『雷光』でも支障なかったし、『雷撃の』『雷光の』と呼び分けられるようになっても兄ほどには気にならなかった。


 むしろ、その頃から二人で一人の双子忍者に違和感を感じ始めていた。弟は兄ほどには冷淡になれなかった。


「ここにきて『雷光』が役に立ってくれるか。不思議なものだ」


 二発目を撃つ。わずかに足を掠めたようだ。


 三発目。結び目に当たり、頭巾が宙に舞った。夜目よめにも艶やかに見える髪が流れた。深雪の髪も綺麗だったな、と場違いなことを思った。


 三発も撃てばコツも掴めてくる。次は当てる。


 しかし、四発目を撃とうとしたところで、一香が別荘の影へ逃げ込んだ。


 すぐさま彼は彼女を追った。淳弥と合流されるとまずい。彼の元上司は、十分な距離があればライフルの弾道すら見切れるのだ。彼女の向かった先に奴がいれば、一気に逆転される。


 一香が逃げた先を狙える場所まで移動した時、建物の電気が一斉に消えた。彼女が送電線と発電機を破壊したのだろう。すぐ後にガラスが割れる音がする。


「中に入られたか?」


 まだ確定ではない。遮蔽物が欲しいなら建物に入るべきではあるだろう。だがそれはあの狡猾なくノ一のブラフで、草葉の陰で待ち構えているかもしれない。


 建物を注視する。3階の廊下に面した大きなガラスが割れている。


 そして、わずかに結衣子の顔が見えた。


「いる!」


 確信した。一香はあの新人教師と合流したのだ。


 二人の居場所が分かったのは有難い。さっきの『雷撃』の位置から考えて、兄は風魔たちの陽動で動いている。さらに、淳弥も戦闘中で彼女を連れ出すことができないのだろう。そして淳弥、昴兄、一香以外に学園の忍者も来ていないから、彼女はまだ建物の中にいる。


 何とかして一香を排除できれば、あとはあの霊媒師を連れて逃げ出せるかもしれない。


 彼は躊躇せず四発目を撃った。威嚇射撃である。当てるつもりはない。あの二人に動かれては困るのだ。


 ここで、運が彼に味方した。


 当てるつもりがなかった四発目は、結衣子を庇った一香の右肩に命中した。


 致命傷とは言えないが、彼女の戦闘力を大きく削いだはずだ。


 今が絶好の機会。


(あのくノ一を排除して……深雪を呼び出す)


 角度を変えて数発威嚇射撃をすると、ライフルを捨て自動短銃サブマシンガンに持ち替えた。拳銃よりはましなはずだ。普段ならあの橘の忍者を相手に通用するかは分からないが、片腕を潰し、目も潰せば十分に勝機がある。


 彼は建物に駆け寄り、突起物を伝って一気に3階の窓まで登った。『雷光』を放ち、音と光が収まったところへ室内へ飛び込んだ。


 一香と結衣子が、お互いを庇うように重なっている。二人とも顔を伏せ、手で顔を覆っている。二人の視覚は奪った。一香が残された左腕で結衣子をかばっているが、この距離ならあのくノ一だけを狙い撃つことは全く造作もない。


 ここまでは想定通りだった。


『雷光の昴』は勝利を確信した。


 瞬間ーーーー


 背後で『雷撃』が炸裂した。


 彼は衝撃で室内の壁に叩きつけられた。息が詰まり、肺の動きが一瞬止まる。


 すぐに気付いた。兄の雷撃弾だ。広い窓の向こう、まだ遠くに、傷だらけの、血を分けた彼の分身が見える。


 想定外だ。陽動で動いていたのではないのか。


(しかし『雷光』で奪った一香の目は回復していないはず。まだ……まだこちらが有利だ)


 呼吸を回復するよりも先に、視線を動かした。


 二人ともまだ上半身を伏せている。


(間に合う)


 肺に残った空気を無理やりに吐き出した。痛みを無視して足を踏み出し、急いで酸素を体に流し込む。


 雷撃を受けたにも関わらず足は動く。自動短銃も手の中にある。しかし持ち上げた腕は痺れて正確に撃てそうにない。大事な霊媒師に当たってしまう。さらに彼には片腕がない。銃を構えている右手だけでは、彼女をどかすことができない。回り込んで、近付いて、確実に射線から離す必要がある。まだ目も耳も回復していないはず。気づかれない。彼の兄がくるまでまだ一拍以上ある。大丈夫だ、間に合う。これで一香を殺し、結衣子を人質にして、回復を待つ。そのあとは、止むを得ない、風魔など頼りたくはないが、ここは連中に任せて……。


 足が止まった。


 動かなくなった。不思議に思い、足元を見ようとしたが、見えなかった。誰かの細い腕が足元を隠すように伸びていた。その腕は赫く熱を帯びた手甲をつけていて、今まさに彼の腹の中へ吸い込まれていくところだった。


 一香の手甲だ。あり得ない。彼女の右腕は潰したし、度重なる『雷光』の影響で視覚には相当のダメージが溜まっているはず。現に……彼女はまだ両目をつぶり、左手で結衣子を庇い、右腕を力無く垂らしている……。


 鮮血が、白く細いその腕を、熱された鉄の赫色よりもさらに赤く、朱く染める。


 彼は気付いた。


 先を越されたのだ。

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