尋問

 伊賀服部学園には地下牢がある。


 もっとも、最近はほとんど使われていない。護衛や潜入・諜報はしても、捕らえた敵やスパイを時間をかけて尋問することもない。政治的な問題もあって、基本的にはその場でし、必要ならそういうのは公安がやる。


 いま地下牢にいるナチス指揮官のハインツとその配下のオペレーターは、その点では珍しかった。霊媒師の護衛という特殊な任務でなければ、彼らも本来なら公安に引き渡していたはずだ。


 彼らにとっては運がよかったとも言える。この学園には内通者がいて、それなりの地位にある。武器も融通したし、関係は良好だ。機会を見て助けてくれるかも知れないと期待できた。最悪でも本部に連絡はしてくれるだろう。


 そしてその機会が訪れた。


 ハインツはその忍者を見つけた時、不覚にも涙が出そうになった。戦地で救援に来た仲間に出会ったような気分だ。


Blitz雷光! 待っていた!」


 忍者は一人だった。今なら話しかけても大丈夫だろう。日本語は難しいが、専門的な言葉でなれければなんとか話せる。


「ここは寒くてジメジメしている。日本は嫌いではないが、気候はなかなか馴染めない」


 木造の頑丈なドアに嵌められた鉄格子を挟んで、顔を見合わせた。


「今は夏だから湿気は仕方ない。そのかわり涼しいだろう?」


「冗談じゃない、涼しすぎて凍える。服も濡れて冷えるし、まるで拷問だ。朝の冷え込みはベルリンよりも厳しい」


「朝? まだ君らが捕らえられて1日経ってないぞ」


「まさか。本当か?」


「本当だ。もう時間感覚がなくなったのか? これから夜が明けるんだ。覚悟したほうがいい」


「……ちょっと待て。ここを出してくれないのか?」


「いまはまだ難しい。今回は様子を見にきたんだ。そちらの仲間に連絡をするから、連絡手段を教えてくれ」


「……」


 彼は違和感を覚えた。連絡手段を教えろ、だと? 計画が失敗したことは『まとめ役』には伝わっているだろうが、それにしてもまだ何も対応していないのか?


「何をいっている。ゲンキが中継なかつぎをしていただろう」


「……できなくなった。他の方法はないか?」


「あるにはあるが……」


 見た目は同じだ。声も同じだと思う。狭い地下なので多少声が反響しているが、同一人物としか思えない。丁寧で聞き取りやすい日本語、少し速いがこちらを気遣って文節を区切る話し方、話終わりに少し口を開いて相手を待つ態度。


 しかし、念には念をいれる必要がある。


「我らが総統の墓碑にある文言と同じだ」


「ヒトラーの墓? ……それは……」


 聞いたことがある。ニンジャは姿形、声、癖まで真似ると。


 そしてこいつは合言葉を知らない。


MonikaモニカSei vor気をつ… 」


 男の手から激しい光が放たれ、ハインツの意識は途切れた。





「ばれたじゃないですか」やれやれ、といった顔で淳弥を見る。

「ま、でも敵の名前が知れたのは良かったです。聞いたことありませんが、風魔の名前でしょうね」


「おかしいな。俺たちでも見分けがつかないのに、敵もやるものだ」


「途中までは良かったんですけどね」


 昴は指揮官に顔を見られていない。廃ビル突入時には指揮官が気を失ってから部屋に入ってきたので、疑われる要素もないはずだった。うまくいけば連絡先を聞き出せるのでは……と考えたのだが。


「合言葉ですよ。敵さんのほうが古典的ですが、こういう時はなかなか有効です」肩をすくめて薄く笑った。

「でも、おかげでプランBを思いつきました。私の得意分野です。ここは任せてほしいですね」


「得意分野?」


「女性です。私のような紳士だからこそできることがあるのです」


「あのオペレーターか。モニカ、と呼んでいたな」


「私が女性相手の諜報のお手本をお見せしますよ」


「必要ない」


「そういえば、まだそっち系はされたことがないんでしたね」


「興味もない」


 部下の昴は呆れ顔になった。


「お頭……そんなことでは一流の忍者にはなれませんよ」


「ナンパすることが一流の証だっていうなら、俺は結構だ」


「別にそれだけじゃないですが……話を戻して、問題はモニカちゃんが日本語を理解してるかどうか、です」


 牢は離れて設置されているため、さきほどの会話を聞かれることはない。問題は廃ビルやその後の会話を理解されたかどうかだ。


 モニカなる女性がまだ二条昴が兄弟であることを知らず、味方側のスパイだと思いこんでいるならやりようはある……らしい。


「日本語が話せないなら、それこそ難しいんじゃないか?」


「お頭、本当に現代人ですか? スマホ持ってますよね?」


「持っているし使っているし、現に一香との連絡はスマホのメッセージだ」憮然とした表情。

「音声翻訳だろう? 知っているが、あんなもので尋問なんてできるのか?」


「尋問なんてしませんよ。お頭の言うナンパです。でもいっちゃあなんですが、これも忍びの技の一つです。一香の姐さんだっていろんな男を相手にやってますよ」


 知ってはいるが、淳弥はあまりそういう術が得意でない。


 というより、伊賀崎家の技術がそもそも戦闘に寄っていて、父親からも学園からもそっちの手解てほどきは全く受けてなかった。やったこともないしできるとも思ってない。


「くノ一が男を籠絡ろうらくする技術を持つように、男の忍者も女性に対する技術を持ちます。ただ、男は単純なので色気で引っかかりますが、女性は複雑なので難しいです」


「男だって複雑だ」


 張り合うところではないが、なんとなく馬鹿にされたような気がして言い返してしまう。


「あれ、妙に反論しますね」意外な反応に驚いている。

「男に比べると間違いなく女性の方が複雑で美しい。洋の東西を問わず、年齢を問わず、です。これに関しては個人的に授業して差し上げたいところですが時間がありません」


「意見の相違だな」


 呆れたように淳弥は返事した。昴が馬鹿にしているとしたら男全般なのだろう。


 男だって女性に比べても遜色ない複雑さと美しさがある、と淳弥は思っている。


 ただ、今はそんな繊細な話題をしている時間などない。


「できることがあるというならさっさとやってくれ。お前の言う通り時間がない」


 男子生徒の嫌われ者は、やれやれ、と大袈裟なジェスチャーをした。この面倒な部下が男全般に嫌われている事が、あらためて理解できた。


「ではそうしましょう。二人きりの方がいいので、お頭は待っていてください。疑わしいと思うなら隠れて聞いていてもいいですよ」


 ため息が出る。実際のところ彼の疑いが完全に晴れているわけではない。気が重いが出歯亀にならざるを得ないと思うと、もう一度ため息が出た。


「幸せが逃げますよ。将来誰かと付き合う時も参考になると思いますが」


「余計なお世話だ」


 なんとなく結衣子のことを思い出す。


 彼の周りはくノ一ばかりだった。学園の女生徒の中には近隣住民の協力者もいるが、それとて言ってみれば身内である。恋愛対象として見たこともなかった。


 彼にとって結衣子が初めて接する一般女性というわけではないが、忍者姿の自分を怖がらずにいてくれる点を加えてみれば、初めてかもしれない。


(身分を偽装せずにそんな関係になるとすれば、彼女のような人なのだろうか)


 浴衣姿で目を輝かせながら近寄ってくる彼女に、柄にもなく胸が熱くなったことを思い出した。記憶に釣られて心拍が上がる。


 ふぅ、と今度は意識して深く息を吐いた。相手は護衛対象だ。……いや、護衛対象


(『見えずとも近くで風のように』、か。我ながら随分と嘘つきだな)


 落ち着かなくてはならない。この状況で迷いや感情の起伏は禁物だ。


 ただ、そう分かっていても、あの時の結衣子が彼の中に残った。


 唯一の肉親を失い、命と体を狙われ、それでも彼を気遣う言葉を言った彼女は、確かに複雑で美しいのかもしれない、と彼は思う。


 彼女は無事だろうか。

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