再会2
「あぶない!」
一香は慌てて身を挺した。突き飛ばされた結衣子は床に転がる。わずかに遅れて、銃声が聞こえた。
焼けるような痛みが右肩に走る。
「くっそ……あの野郎……」
結衣子を庇って右肩を撃ち抜かれた。赫熱の武器はほとんどが右手に仕込んである。使えなくなったわけではないが、左手だけでは動きが遅れる。
結衣子はぐったりと床に倒れたままだ。顔に血がついているが、おそらく一香のものだろう。本人に怪我は……ない。
「先生……先生?」
呼びかけに返事はない。意識を失っているようだ。
「ま、かえってやりやすいか」
彼女はため息をついた。
結衣子は床に伏せた形になっているので敵からは射線が切れているはずだ。金持ちの家は無駄に窓が多いしでかい。そのくせ中途半端に脆い。割って入るのには苦労するが、弾丸を防げるほどではない。床に寝ているなら逆に安全だろう。
本来、忍者は一部を除き国内で銃を使用することは禁じられている。超人的な肉体と技術、そして近代兵器の組み合わせはあまりに危険だからだ。
「まったく、手に負えんわ」
学園でやりあったときは、昴弟は拳銃しか持っていなかった。あんなものは忍者にとってはおもちゃだ。銃口の向きと指や腕の筋肉の動きで、狙い、タイミング、全てが筒抜けである。ましてや有効距離は10メートル前後。忍者なら一息で懐に飛び込める。
それが今は、奴はどこに隠していたのか殺傷能力も飛距離も弾速も段違いのライフルを持っている。風を視る淳弥ならともかく、一香に追えるような速さではない。
「まいったなぁ」
気付くべきだった。学園で拳銃を取り出した時から。奴には武器を供給するスポンサーがいたのだ。失った片腕を補う武器くらい用意していて当たり前だった。
幸いにも、弾は筋肉を削いだだけで骨を砕いてはいない。鈍いが、動きはする。しかし結衣子をこの腕で担ぎながら移動するのは困難だろう。
急ぎ止血をしながら窓際で様子を伺う。一香も現代戦の訓練は受けているが、対ライフルの訓練などは形ばかりのものだ。
「こういうのは軍人さんの仕事やろ」
またため息が出た。
忍者は諜報戦、白兵戦、夜戦のプロである。しかし今は情報を探るような時間もなく、近付くこともできず、さらには光を操り目を潰してくる忍者が相手なのだ。得意を活かせない。
「さ、どうするか」
自分を落ち着かせるために深呼吸した。
何にしても近付かなくては話にならない。弾道を見れる淳弥なら囮になれるし一人で近づけるかも知れないが、現状では援軍は期待できそうもない。自分一人でできる策はないものか。
ふと、気付いた。床に倒れている結衣子に目をやる。
奴は何故彼女を狙ったのか?
(結衣子先生はあいつにとっても大事なはず。狙って撃つはずがない。となると、あいつは標的がはっきり見えていない。うちと先生の区別がついてない。だから撃った。だったら、……動くものは何でも撃つ……か?)
どうであろう。3度目のため息と共に宙を見た。
「適当な
しかし、そこまで敵の無能さに期待していいものか?
「それはあんまりいい案じゃないと思うな」
「!」
反射的に左手で苦無を構える。床に寝ていた結衣子から聞こえた。見ると、彼女が一香が隠れているところへゆっくりと這って近づいてきている。
目が覚めたのだろうか?
だが、すぐに気付く。おかしい。声が違う。
「もともと当てる気がなかったんだよ。威嚇射撃でここに釘付けにしておいて、近づいてくるつもりだ」
一香は声が出ない。聞き覚えがある。結衣子の声ではない。女性の声でもない。いや、口を動かして話しているのは間違いなく結衣子なのだが、響いてくる声は若い男性のそれだった。
もう一生聞くことのない声、のはずだった。
「姉さん、ちょっと
「結衣子先生……?」
「いやだな、もう忘れたのかい」ゆっくり床から顔を上げた。結衣子の顔だ。だが、何かまぼろしのような、薄い人影が見える。結衣子の奥に、見慣れた顔が見える。もう一生見ることがない顔が、見える。
「まさか」握っている苦無が床に落ちた。
「まさか!」
「時間がない、急ごう」
「ほ……
「やっと気付いた」
一香は動けない。凍りついた彼女の右腕から、熱が冷めつつある手甲を外し、自身の右腕につけた。
「腕ほっそい。かわいそうに、きっとこの先生は明日ひどい筋肉痛になるよ」
肌も白いから火傷しちゃうかもね、と付け加えた。
「まさか……本当に……?」
「なんだ、この人の力、信じてなかったの?」
「信じられるわけないやろ! 人が、人が生き返るなんて!」
「生き返ったわけじゃないよ。僕が餌に釣られて出て来ただけさ」そう言って見慣れた笑顔を見せた。
「たぶん、このまま長くこの体にいたら、黄泉から帰れるんだろうな。たぶん」
浴衣の裾を指で摘んで、放した。彼にとってはいま触れる全てがもう失われたはずのものだった。五感の全てを使って精一杯、この生者の世界を感じていた。
遠くから聞こえる剣戟の音。廊下に差し込む月の光。頬を撫でるぬるい風。口の中に広がる血の味。鼻腔をくすぐる火薬の匂い。
そうして、隣にいる、震えている姉。
「でも、僕は忍者だ。暗闇に忍び、消えなければならない」姉の顔を見続けるのが辛かった。
「だから、あんまり長くいられないんだ」
にっこり、
「さすがの姉さんも泣くかなと思ったんだけど」
「泣いとるわ。涙が出んだけ」
「……ありがとう」
そう言って震える姉の手を握った。
弟は、少しだけ姉に甘えることにした。彼女の手を自分の頬にあて、体温を感じる。
気のせいか、彼女の頬からひとしずくだけ、何かがこぼれ落ちるのが見えた気がした。
雷光の昴は……、妹のために信用も忠義も義理も全てを捨てた男は、気付いてしまった。
先を越されたのだ。
「
結衣子の口がゆっくり動いた。
彼の体は爆炎に包まれた。
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