もう一つの影

 淳弥は動かない。が、半蔵は視線を向けた。


「雷撃の、か」


 二条は両手を体に添わせて、丁寧に頭を下げた。


「戻りました」


「首尾はどうだった?」


「棟梁の仰せのままにいたしました。先方も条件を飲んでくださいました」


 一息吸い、付け加えた。


「美雪を人質に残し、雷光を討ちます」


 やっと淳弥が二条を見た。


「橘の家にはしばしの猶予をいただきました。どうか、私に討手を命じてください」


「兄が弟を討てるのか」


「兄だからこそ、でございます」


 さらに深々と頭を下げる。


「どうか、どうかお願いいたします」


 淳弥も半蔵もじっと見ている。


 彼は頭を下げたまま動かない。


 抜け忍を出した家が、自家の名誉のために追手を出すことは例がないわけではない。実際に過去には首級しるしを持ち帰り、名誉を回復した家もある。だからと言って、信じることができるものだろうか。


「信じられんわ」


 振り向くと、血に染まったくノ一が体を折り曲げた双子の兄を睨みつけていた。 


 校長室へ入ってくるなり『雷光の昴』の左腕を床へ投げ捨てる。


家長おやじがなんと言ったのかはわからんけどな、うちは許せん。お前の弟の腕一本で弟は帰ってこんのじゃ」


 二条は頭を上げない。


 守子からの密書を届けたのは橘家の次男、たちばな炎己えんき。しかし本来なら密書は中身の整合を取るために同じ内容の写しが届くはずだった。写しを届けるはずだったのはたちばなほむら。この橘家の四男が死体で見つかったのが、一香が呼び出された三日前だった。


 今日、その死体の検分が行われた。そして分かったのだ。この焔が戦いに負けた最期、死力を尽くして自分の腹の中に、裏切り者の名を焼き刻んでいたことが。


 『雷光』。雷光の昴の雷は一際ひときわ激しい光を放つ。が、いつしか熱と衝撃を失った。身内でさえ見分けがつかなくとも、戦えば分かる。


「名前も顔も同じ双子の忍者で、片方は裏切り者。もう片方もいつ裏切るかわかったもんじゃない。討手はうちにやらせてください。どうか、ご命令を」


 まっすぐに半蔵を見る。


 一香の視線に釣られるように、淳弥も半蔵を見た。


 目を閉じ、静かに考えている。


 廊下から足音が聞こえた。


「失礼します」


 三船だ。校長室の緊張感に飲まれぬように視線を半蔵に合わせて動かさない。


「報告があります」


「このまま聞く。言ってみろ」目を閉じたまま答えた。


「風魔の影があります」


 瞬間、これまでとは違う緊張が走った。


 風魔。伊賀から外れた傍流。江戸の御代みよに盗賊へ身を堕とし、一族郎党ごと処刑されたはずの存在。


 噂だけはいつの時代にも残った。いずれ風魔が波乱を巻き起こす気でいると。


「城戸が心音で『ふうま』と打ち続けていました。生臭坊主からはこれを」


 血で汚れた印籠を出した。北条の鱗紋が彫られている。かつて風魔の一族は北条家に仕えていた。


「風魔か。なるほどな」


 語部守子を訪ねた大柄な男。風魔の祖先も、同様に人並外れて大柄だったと言われている。


 雷光の昴は語部守子が橘家に滞在していたことは知っていたが、手紙の特徴とは噛み合わなかった。


 これで、ナチス残党、カルト教団、雷光の昴、お上と、それを結ぶ風魔の図が出来上がった。


 誰も動けなかった。ただ半蔵の言葉を待っている。


 しばしののち、半蔵は口を開いた。


「坊よ」


「はい」


「見届け人となれ」


「承知」


「討手は」


 目を開け、二条と一香を交互に見た。


「雷撃の昴と赫熱せきねつの一香」


「はっ……はい」


「仰せのままに」


 一香が睨みつけた。二条はより深く頭を下げた。


「坊よ」


「はい」


「妙な気を起こすなよ」


「……?」


 妙な気とは?


「雷光を追えば、行き着くところは語部のあの女子おなごだ。よいか、逆らうな」


「……委細いさい承知」


 淳弥の口角が、不敵に上がった。


 棟梁の髭は表情を隠さない程度に整えられている。淳弥の返事を聞いて……攻撃的な笑みがこぼれたのが見えた。


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